六話
「……ですから、ティタン局長のおっしゃられることには、未だ十分な確証が得られていない、と私たちは考えているのです」
「ほう?それはまた何故ですか?」
──またか……。
いささかげんなりした気分で、トモカズは聞き慣れた論戦を見つめる。
ふと奥に目をやれば、ナイト連邦の転生局メンバーたちも似たような顔をしていた。名前も知らない相手なのだが、何故だか親近感が湧いてくる。
会議は、既に四日目に突入していた。
もちろん、三日かけただけあって、この会議の主目的──転生憲章全条文の内容確認は終わっている。
本来予備日であるこの日に話し合われているのは、その過程で後回しにされた条文に関する議論。
すなわち、初日に鏖殺人とエリカが衝突した六十六条を巡る対応のように、各国の意見が異なってしまっている条文に対する、意見のすり合わせである。
そして、大方予想していたが────トモカズの目の前では、初日と同様の激論が交わされていた。
鏖殺人の、「うちで殺処分すべき異世界転生者を引き渡せ」という要求。
エリカの、「殺されると分かっていて、彼らをグリス王国に送ることなどできない」という否定。
この二つが、がっつりと火花を散らしている。
鏖殺人が引き渡し対象がグリス王国に確かにいたのだという証拠を見せれば、エリカはアカーシャ国にいたという証拠を見せる。
エリカが鏖殺人側の不手際を攻めれば、鏖殺人はアカーシャ国の対応の遅さを皮肉る。
開始から二時間ほどで、既に会議は泥沼の様相を呈していた。
──これ、多分最終日まで続くんだろうな……。
耳をふさぎたい、という生理的欲求を抱えながら、トモカズはそんなことを考える。
これまでの三日間の会議を見たところでは、鏖殺人もエリカもかなり弁が立つ。
加えて、両者ともに自国の信念を固く信じているようだ。
お互いに、自分の意見を譲ることはないだろう。
普通こういった場合、両者と関わりの無い第三者がその言い分を聞き、より合理的な判断を下すのが筋だとされる。実際、トモカズもぜひそうなってほしいと感じている。
だが、その第三者になりうるナイト連邦のメンバーたちは、沈黙を貫いていた。
というよりも、彼らはこの会議が始まって以来、「前例に従う」以外の積極的な意思表明をしていない。
──グリス王国にも、アカーシャ国にも恩があるから、どちらかに加担はしたくないのかな?
暇に任せた邪推が、トモカズの頭に降ってきた。
ナイト連邦は現在、もはや国の形をなしておらず、国内のいたるところで武力闘争が起きていることは、周知の事実だ。
その余波で、彼らは何人もの武装勢力のメンバーを取り逃がし、隣国であるアカーシャ国に多大な迷惑をかけている。
つまり、彼らはアカーシャ国の方針に対して、とやかく言えるような立場に無いのだ。
加えて、鏖殺人に対しても、何度か手に負えなくなった転生者結社を潰してもらったという恩がある。
転生局局長であるリュウとしても、恩人に逆らいたくはないだろう。
結果として、彼らは会議中沈黙するしかないのだ。
この辺り、あくまで会場を提供しただけであるため、会議に参加していながら、会議に口をはさめないトモカズと似ているかもしれない。
尤も、そのために、鏖殺人とエリカの論戦は調停者を失い、水掛け論になってしまっているのだが。
──ただ、鏖殺人の言うことが正しければ、これはエリカ顧問の思い通り、ということになるんだよな……。
意図的に会議を長引かせ、結論をうやむやにすることがアカーシャ国の目的。
会議初日の夜、鏖殺人は確かにそう言っていた。
時に感情的に、時に合理的に意見を述べ、会議をあらぬ方向に向かわせる彼女の姿は、鏖殺人の推測とピタリと重なる。
だとすれば、それを読み切っている鏖殺人が、何か手を打つはずだ────。
まさに、トモカズがそう考えた瞬間だった。
一時も休まることがなかった論戦が、ふと止んだ。
反射的に、トモカズはうなだれていた首をはね上げる。
ナイト連邦のメンバーや、観覧席に陣取る記者たちも、似たような反応だった。
すぐにわかったことは、どうやらこの静寂をもたらしたのは鏖殺人の方らしい、ということだった。
いつの間にか、黒いマスクを少しずらし、トモカズが用意した氷水を飲んでいる。
その隙を見てか、エリカの方も一時資料を机に置き、同様に水を飲み始めた。
それを境に、会議の雰囲気は一時休戦、といったものに変わる。
さすがの二人も、この論戦に疲れてきたらしい。三時間以上も話続けていたのだから、そうもなるだろう、とトモカズは同情した。
依然として様子が変わらない鏖殺人の方はともかく、エリカの方は一目見るだけで、肩で息をしていることが分かるほどだった。
──まあ、これを機にもう少し落ち着いて話してくれれば、こっちも気を揉まなくて済むんだけど……。
そう考えた瞬間である。
鏖殺人の低い声が、会議場に響いた。
「細かいところを話しても埒が明かないな……。質問を変えよう、天司顧問」
その声は、今までの論戦で発せられた声とは、桁違いの迫力を有していた。
いつの間にか、敬語すら使われなくなっている。
決して自分に問いかけられているわけではないのに、思わずトモカズは背筋を正した。
そんな周囲の様子を無視して、鏖殺人は続きを告げる。
「根本的なところから聞きたい……あなたは転生者法について、特に我が国が掲げているような、異世界転生者を片っ端から殺していくやり方について、どう考えている?」
遠くで記者たちが、ざわりと空気を揺らしたのが、トモカズにも感じられた。
エリカがとリュウが、ともに唾を飲んだことも。
「……アカーシャ国の方針とは相容れないものです。ですが、『門』の発生頻度や、建国の過程などを考慮すると、グリス王国内で支持されている理由も理解できます」
少し時間をかけて、エリカから帰ってきた反応は、やや迷いを含んだものだった。
完全な肯定ではないが、完全な否定でもない。
鏖殺人は当然、そこをついた。
「天司顧問としてではなく、あなた個人の考えを聞きたい。あなたは、どう考えているんだ、エリカ姫?」
鏖殺人にしては珍しい、挑発的な質問。
エリカは、その意図を察知していながら────乗った。
「……ならば、個人的な意見を述べましょう。私は、異世界転生者を殺害することは、『悪』だと考えています」
この言葉が発せられた瞬間、先ほどのざわつきとは比べ物にならない程の声が会議場を満たした。
トモカズももちろん、口から驚愕の声を漏らす。
それに気が付いていないわけでもないのだろうが、エリカの口は止まらない。
「異世界転生者は皆、別の世界では普通の人間として暮らしていた者たちです。彼らは皆、笑い、泣き、怒り、喜ぶ、人としてごく当たり前の心があります。その感じ方は、私たちと同じ……。彼らは、少しだけ生まれた場所が異なっていただけで、私たちと同じ、人間なんです。……そんな存在が、たまたま『門』の発生という自然災害に巻き込まれ、こちらの世界に来たからと言って、殺してしまうことは、あまりにもひどいと思います」
佐藤トシオの起こした魔法大戦以来、なかなか聞かなかった、異世界転生者に対する擁護。
異世界転生者に対して同情的な者たちが、薄々感じながらも、口にしてこなかった言葉。
それを、エリカは言い切った。
その歴史的ともいえる発言に、一瞬、会議は混乱する。
だが、その喧騒を、鏖殺人が引き裂いた。
もう一度、口調を丁寧なものに戻して。
「なるほど、よく分かりました。……では、ナイト連邦の意見を聞きたい。刃野局長、あなたは我が国の転生者法と、それが保証する異世界転生者の殺害について、どう思われますか?」
今まで会議において蚊帳の外だったリュウは、突然の指名に驚いた様子だった。
目を白黒させ、何故か辺りを見回す。
そして、混乱した様子のまま、口を開いた。
「……『正義』だと思います」
その言葉は、よく考えたうえでの発言だとは思えなかった。
一応の建前を、反射的に口にしたかのような。
事実、そうだったのだろう。
まるで原稿を読み上げるように、リュウは言葉を続ける。
「……彼らは、存在するだけで、この世界を混乱させます。いくら悪意なくこの世界に来るとしても、それは何の意味も持ちません。異世界転生者は、存在すること自体が悪なのです。故に、彼らを殺すことは、『正義』です」
こちらは、これまで幾度となく語られてきた、グリス王国、ナイト連邦共通の転生者法正当論。
聞きなれた理屈に、会場の様子は少し、静まる。
「……こちらも、よく分かりました。では、私も個人的な意見を述べさせてもらいましょう」
不意に、鏖殺人が指を立てる。
次に、その指をエリカに向けた。
そして、その状態のまま発せられた彼の言葉に、トモカズは絶句することになる。
「私の意見は、天司顧問と同じです。我が国の異世界転生者に対する行為は、『悪』だと考えています。……理由は彼女とは違いますがね」
しばらく、その意味を咀嚼するかのように、誰もが沈黙し。
次の瞬間、会議場は沸騰した。




