五話
これはトモカズの持論だが、司書にとって図書というのは、一種の麻薬になりうる存在である。
事実、何とか転生憲章契約改定会議の一日目を終え、普段から暇な時に籠っている閲覧室で本を広げた時、トモカズは肩の力が一気に抜けたことを自覚した。
不覚にも寝入ってしまうほどにまで、やることがない会議だったが、やはりあの独特の緊張感が、トモカズを疲れさせていたのだろう。
普段ならまず合わない人物に立て続けに出会ったから、と言うのもあるが。
──だけど、思ったよりは会議は荒れなかったな……。
書架から無造作に取り出した「クリスタルウォーズ全史」という歴史書を読みながら、脳の一部がぼんやりと今日の感想を浮かべてくる。
六十六条をめぐる論戦の中で行われた、エリカからの珍発言。
もしかすると鏖殺人が激昂するのではないか、と冷や汗をかいたものだが、意外にも鏖殺人はその言葉に大きな反応を示さなかった。
結局、それを境にして、会議は静かなものへと変化。
トモカズが恐れていたような乱闘騒ぎは、さすがに無かった。
「鏖殺人はすぐに武器を振り回す、とか聞いていたけど、案外我慢強いのかな……」
とりあえず初日を乗り切ることが出来た、という安心感から、トモカズはそんなぼやきを口から吐く。
図書館は既に閉館しており、自分しかこの閲覧室にはいない、と思っていたがための発言だったのだが────。
「そうか、アカーシャ国での俺の評判はそんなものか」
突然、自分以外の声が閲覧室に響き、トモカズは反射的に本を閉じた。
その勢いで、怯えた獣のように首を左右に振る。
心臓の鼓動は一瞬にしてとんでもない速度に変化し、全身の汗腺も開いた。
トモカズの反応は、過剰対応ではない。
今聞こえた声は、幻聴でなければ、今日何度も聞いた、彼の────。
「そう怯えなくてもいいんじゃないか?」
もう一度、今度は先ほどよりも近い位置に、声が響く。
壊れた人形のような動きで音源へ首を向ければ、そこに存在した姿は「案の定」だった。
青い仮面に片刃の刀剣。
見間違いようの無い、鏖殺人その人である。
──なんで、利用時間の過ぎた夜に、彼がここに……。
混乱した思考が一つの疑問を脳内で言葉にする。
その答えは、鏖殺人自身がすぐに説明した。
「忙しくて、あまりここに来る機会は無いからな。転生憲章の会議がここで行われた時には、勉強がてら、他の利用者がいない時間に本を読んでいるんだよ。許可はもらってある」
こちらの混乱を見越したのか、幼い子どもに説き伏せるような、ゆっくりとした口調だった。
おかげで、鏖殺人が言い終わった時には、トモカズの混乱もおさまる。
同時に、何故そのことが自分に知らされていなかったのだろう、という疑問も湧いたが、こちらはすぐに解決する。
大方、万事において適当な秋野課長が伝え忘れていたのだろう。
「……失礼いたしました、どうぞ、ごゆっくりお使いください」
既に一日目の会議が終わっている以上、トモカズと鏖殺人は「会場責任者と参加者」ではなく、「司書と利用者」である。
ここでは、それにふさわしい対応をしなくてはならない。
何とか自分を立て直したトモカズが辛うじてそれだけ述べると、鏖殺人は少し俯いた。
そして、すぐに口を開く。
「司書がいるのなら都合がいい。本を探してくれないか?」
「はあ……。もちろんかまいませんが、どんな本でしょうか?」
「……異世界から伝わった童話だよ」
その時、鏖殺人が何とも言えない表情を浮かべていたことに、トモカズは気が付かなかった。
閲覧室の奥にある扉を開けると、そこには元の閲覧室よりも多少狭い部屋が現れる。
ここは一般公開されている蔵書よりも古い、保存が難しい本が置かれてある部屋で、基本的に貸し出しがされない蔵書専門の場所だ。
同時に、会議の責任者になるよう依頼された時、トモカズがくつろいでいた部屋でもある。
そして、この部屋にも、奥に扉がある。
こちらの扉が開けられることは、滅多に無い。
というより、開けられる人物が少ない。
大陸中を探したところで、五十人もいないだろう。
ここまで移動が制限されるのには、当然訳がある。
それは、扉の先に置いてあるのが────異世界由来の書物だから。
各国の転生局では保管しきれなくなったか、この世界に存在しない技術の開発方法など、危険な内容が記されているために、ここへ送られてきたもの。
そういった本たちが死蔵されている場所だからである。
ここに繋がる鍵を持っているのは、マーズ大書院の人間と、各転生局の幹部職員のみ。
当然、トモカズと鏖殺人は鍵を所有している。
「……見つけた」
鏖殺人を閲覧室に待たせ、久しぶりに入った─この部屋に入るのは、鍵を持つ司書たちの間でも避けられているため─部屋で要望の本を探すこと五分。
意外にあっさりと、目的の童話は見つかった。
「確かに『赤い靴』、だな。間違いない」
「人魚姫」、と書かれた本の隣に無造作に積まれてあるそれを掴み、トモカズは念入りに確認する。
紙の感じが新しいことから見て、そこまで昔の本ではないだろう。
最近来た異世界転生者の私物なのだろうか。
──異世界由来の昔話や童話が、こっちの世界でも寝物語や民間伝承として無自覚に広まっているって話は聞いたことがあるけど、この本は初めて見るな……。
赤い縁の拍子に、これまた赤い靴が踊っている表紙を見て、トモカズはそんな感想を抱く。
だが、さすがに利用者を待たしている状況であるため、自分の興味は後回しにした。
だから、出来るだけその本には興味は抱かないようにした。
例え、表紙に描かれた靴を、切断された人間の足が履いていたとしても。
例え、同じく表紙に描かれた少女が、両足を欠損しているように描写されていても。
かつてないほどに内容が気になったが、トモカズは理性で好奇心を押し殺した。
「ありがとう。疲れていただろうに、すまなかった」
「いえ、座っていただけなので……」
何なら、眠ってさえいたが、さすがにそこは隠す。
「赤い靴」を渡すと、鏖殺人はかすかに表情を緩めた、気がした。
いつも通りの仮面があるため、表情が分からないのだが、トモカズにはそう感じられたのだ。
だからだろうか。
不意に、トモカズの口が動いた。
鏖殺人の言う通り、疲れていたのかも知れない。
そう考えなければ、説明がつかない程、突拍子の無い発言。
「その本、どうして借りられるのですか?」
蔵書の利用目的を尋ねるというのは、司書としては望ましくない。
元々失言が多いとして叱られることの多いトモカズだが、その中でもこの言葉は質が悪い部類に入る。
瞬時に顔色が変わり、訂正しようとしたが、その前に鏖殺人が返答した。
「この本は昔から読んでいてね。ふと、旅先でも読みたくなった」
「……同じ内容の本を、所有されているんですか?」
「ああ」
その言い方は、まるで過去を懐かしむ老人のようだった。
思わぬ鏖殺人の姿を見て、トモカズは絶句する。
相手に対して極めて失礼な話だが、異世界転生者の殺害に拘る鏖殺人の姿と、異世界由来の童話を借りに来る眼前の彼の姿がどうしても重ならない。
異世界由来の本を借りたい、と言い出した時には、もしや焼き捨てるのではないか、とすら一瞬考えたのだが。
「……ティタン局長も、今日はお疲れでしょう。ぜひお気に入りの本を読んで、ゆっくりお休みになってください」
その言葉は、特に意識することもなく、トモカズの口からするりと出てきた。
もしかすると、本を好む彼の姿に、ある種の親近感を芽生えさせたからかもしれない。
鏖殺人の返答も、心なしか柔らかかった。
「ああ、そうさせてもらうよ。アカーシャの新顧問も、なかなかに侮れないからな」
──侮れない?
トモカズの頭の中に、疑問符が湧く。
半分くらいは聞いていなかったが、鏖殺人が言うところの新顧問であるエリカが、「異世界転生者がアカーシャに来たと言っているから、彼らはアカーシャ出身だ」などと、凄まじい理屈を口にしたことは覚えている。
あの様子からは、エリカには申し訳ないが、あまり切れ者の印象は受けなかった。
せいぜい、「度を過ぎた善人」と言ったところか。
てっきり、鏖殺人もそれを見抜き、まともに相手をしなかったと思っていたのだが。
そんな疑念が顔に出ていたのだろう。
やや雰囲気を崩して、鏖殺人が解説をしてくる。
「恐らく、例の発言を思い返しているんだろうが、あの発言はハッタリ……というより、覚悟の上の挑発だと思う。俺を怒らせて、会議を長引かせるのが目的だろう」
「……仮にそうだとして、何故そんなことを?」
「この会場を借りられるのは最大一週間までだからな。その間に結論が出なかった内容については、また次の機会に話し合うことになっている。六十六条に従って俺が強硬に引き渡しを要求し、新人の自分が丸め込まれるような事態になることを防ぐため、わざと的を外したことを言ったんだろう」
他の会議参加者がどよめくほどに、力強く意見を述べていたエリカの姿を、トモカズは思い出す。
あの態度まで含めて、演技だとしたら。
敢えて暴論や屁理屈を並べ、鏖殺人を怒らせ、アカーシャ国の希望を叶えるべく、議論を有耶無耶にする意図があったのだとしたら。
一度結論をぼかしてしまえば、次の会議が開かれるまで、引き渡し対象の異世界転生者は守られる。
──確かに、侮れない。というより、勇気があるな……。鏖殺人の噂は聞いているだろうに。
エリカへの認識が、トモカズの中でガラリと様相を変えた。
現場を知らないお姫様から、たった一人で鏖殺人を挑発するだけの度胸を持つ戦士へと。
そして、それに気が付いている鏖殺人も、十分にしたたかだ。
改めて、トモカズは軽く眩暈に襲われる。
各国で恐れられるほどの戦闘力と苛烈さを併せ持つ鏖殺人。
その鏖殺人に挑戦する元王族のエリカ。
彼らが隠然と行っていた戦いは、トモカズの理解を超えている。
一人影が薄かったリュウはともかく、この二人の心境については想像もできない。
──見た目だけじゃなく、その中身も、本当に「仮面舞踏会」だったんだな、あの場所は。
これが最大後六日も続く。
そう考えると、トモカズは肩が落ちそうだった。
せっかく本を開いたことで回復した精神が、また疲れていっていることが、はっきりと感じられた。




