四話
────それから、しばらくして。
「……では、私からの要求は却下なされるのですね?」
不意に鋭い語調の言葉が会場に響き、トモカズは自分を取り戻した。
暇過ぎて半分寝ていたくらいだったのだが、意識が一気に覚醒する。
いつの間にか、会議場の空気は一変していた。
何が起きているのか分からなかったトモカズは、慌てて場の状況を把握しようとする。
まず把握できたのは、司会役の鏖殺人だけでなく、エリカまでもが席から立ち上がっていることだった。
表情は互いの仮面によってわからないが、決して穏やかなものではなさそうだ。
三人目のリュウは普通に座っていたが、彼もオロオロしているように見えた。
そして鏖殺人は転生憲章を記した紙ではなく、何らかの目録を手にしている。
どうやらそれは、多くの人名が記されたリストのようだった。
下の名前が漢字で書かれているところからすると、異世界転生者の名前だろうか。
そこまで把握したところで、エリカの返答が聞こえた。
「アカーシャ国転生局顧問として明言します。ティタン局長が引き渡しを要求する方々は、全て私たちの施設で保護されるべき方々です。従って、引き渡し要求は受諾できません」
聞いているだけで背筋が伸びそうな、毅然とした言い方だった。
リュウの背後にいるナイト連邦の転生局メンバーからどよめきが起こる。
その奥では、会議に参加した記者たちが熱心にメモをしているのが分かった。
一方、鏖殺人はいつもの雰囲気を崩さない。
動揺は見せず、淡々と言葉を返す。
「それは、貴女の個人的な意見ですか?それとも、アカーシャ国の総意ですか?」
一瞬だけ、エリカは動きを止めた。
しかしすぐに、強い語調で言い返す。
「我が国は建国当初から、異世界転生者に対しては『隔離』を基本方針として掲げています。この方針は、他国にとやかく言われるものではありません。私たちが考え、私たちが決めていることです」
「つまり?」
「先程の言葉は、アカーシャ国の総意と考えてもらって構いません……アカーシャ国は、グリス王国からの要請を受諾拒否します」
再び、聴衆がどよめいた。
そしてほぼ同時に、トモカズはようやく、二人が何について口論しているのかを察する。
転生憲章に置いて、最も議論を呼ぶ条文────第六十六条についてだ。
「転生憲章・第六十六条 グリス王国、アカーシャ国、ナイト連邦の三国において、一国の転生局の管理下に置かれるべき異世界転生者が、別の国家の転生局に捕獲された場合、捕獲した国家は本来その異世界転生者を管理すべき国家にそれを引き渡すことが出来る」
これは具体的に言うと、以下のようなケースを想定した条文である。
例えば、グリス王国に異世界転生者が現れたとしよう。
そして、異世界転生者が混乱のままに逃亡し、知らず知らずの内に国境線を超えてアカーシャ国にまで逃げたとする。
この後、異世界転生者がアカーシャ国の転生局に捕まった場合、誰がその異世界転生者の処分をするのか────それを決めているのだ。
条文に従えば、「本来その異世界転生者を管理すべき国家」……今の例えの場合は、グリス王国に引き渡されることになる。
捕獲場所ではなく、異世界転生してきた場所によって管理者が変わるのだ。
つまりグリス王国に異世界転生してきた人物は、転生後にアカーシャ国に逃げたとしても、捕獲後はグリス王国に戻されて殺されることになる。
逆にグリス王国で転生局に捕まっても、その人物がアカーシャ国から来ていたのならば、鏖殺人はその人物を殺さずにアカーシャ国転生局に引き渡さなければならない。
転生憲章契約当時から、三国はこのルールに従って行動するようになっていた。
言葉にしてみれば簡単なことだが、現実的にはこの条文は色々と問題が多い。
何故かと言えば、特に移動型異世界転生者の転生してきた場所と言うのは、実際には分からないことが多いのだ。
彼らはこの世界の地理など知らないので、直接聞いてもどこの国から来たのかは一切知らない。
だから、彼らが出現した瞬間を偶然目撃していない限り、条文に記されているところの「本来その異世界転生者を管理すべき国家」は分からないのである。
故に国境付近で異世界転生者を捕まえた場合、どこの国が彼らを処分すべきなのか分からない事態に陥ることは珍しくない。
一応は現場検証を繰り返して出現場所を決めるのだが、捕まえた時点でかなりの時間が経過していることも多く、正確な結論が導き出せているとは言い難いのが現状だ。
そのため、「グリス王国に現れたのに、アカーシャ国の隔離施設に送られた者」や、「アカーシャ国に現れたのに、誤認から鏖殺人の手で殺されてしまった者」はかなり存在すると言われている。
こういう事情もあって、第六十六条絡みでは歴史上様々な議論があった。
内容を改定すべきという声も多いのだが、中々新しい条文も用意されず、ずるずると同じような議論を繰り返すのが常態化していて……。
今、鏖殺人とエリカがやっていることもまた、第六十六条から巻き起こった議論の一つである。
鏖殺人が手に持っている目録は、国境周辺に現れた移動型異世界転生者の中でも、特にややこしい経緯を経た者たち────「当初はアカーシャ国に現れたと判断されて隔離施設に送られたが、後で実はグリス王国に最初に現れていたことが判明した者たち」のリストだ。
転生憲章六十六条に従えば、彼らはグリス王国に引き渡さないといけないことになる。
何せ、最初はグリス王国に出現していたのだから。
だから転生憲章の会議が開かれる度に、鏖殺人は彼らの引き渡し要求を行う。
彼らを責任もって殺害するために。
しかしエリカが述べたように、アカーシャ国は昔から異世界転生者を「隔離」してきた国だ。
そのため、一度は隔離施設に送った者を後になって鏖殺人に引き渡すというこの行為は、極めて国民の評判が悪い。
最初は「アカーシャ国に来た以上は命は奪いません、隔離施設で過ごしてください」と言ったのに、後になって「貴方が最初に出現した場所は、グリス王国内だったと分かりました、鏖殺人に引き渡すのでやっぱり死んでください」と告げるのは酷過ぎるじゃないか、という意見が多いのだ。
この世論に押されてか、アカーシャ国の転生局局長は鏖殺人の要求を蹴ることが多い。
とにかくゴネまくって、「彼らは本当にアカーシャ国に出現したんだ、だから引き渡す必要は無い」という態度を示すのだ。
エリカもまた、その例外ではないようだった。
……こうして、トモカズは場の変化の理由を遅ればせながら察する。
要は、議論が荒れやすい話題のところまで来たので、論戦になっているのだ。
張りつめた雰囲気の中で、エリカがもう一度口を開く。
「ティタン局長が提出する証拠には不正確な物が多く、失礼ながら信頼性に足るとは言えません……その者たちは、確かにアカーシャ国に出現した者たちですよ。グリス王国側の判断に再考の余地があるかと」
聴衆が再びどよめく。
いくらアカーシャ国が代々グリス王国からの要求を蹴り続けたと言っても、ここまで断言することは珍しいのだ。
どちらかと言うと、のらりくらりと議論を煙に巻くことが多いのだが、エリカは真正面から否定した。
「ほう?」
鏖殺人も流石に興味を惹かれたのか、やや楽し気な口調で聞き返す。
「私の提出した証拠が不確実というのならば、ぜひお聞きしたい。そちらには、この者たちがアカーシャ国に出現したという確かな証拠があるのですか?」
──まあ、そうなるよな……どう反論するんだ?
興味を持って、トモカズはエリカを観察する。
視線の先のエリカは、あっさりとこう切り返した。
「簡単です。全員に聞き取り調査を行いましたが、全員が『自分たちは確かにアカーシャ国に出現した』と証言しましたから」
……会議場に、しばらく静寂が訪れた。
参加者全員が、「よもやこれだけではないだろう」と思って耳をそばだてている。
しかしエリカは本当にそこで口を閉じて、席についてしまった。
そのせいで、会場は再び沈黙する。
全員が呆気に取られたのだ。
「そりゃあ、全員そう言うだろう。もう隔離施設の仲間から、グリス王国に捕まったら死ぬってことを教わっているんだから……」
ぽつりとリュウが溢した言葉が、その場の人々の意見を代弁していた。
証拠以前の問題だ。
その異世界転生者が自殺志願者でもない限り、好んで「実はグリス王国から来ました」とは言わないだろう……子どもでも分かる。
──まさかこのお姫様、本当にそれだけを理由にして、鏖殺人の要求を蹴っているのか……?
トモカズの頬を、冷たい汗が流れた。




