内務省所属平和庁直属特務機関「転生局」

四章 鏖殺人と「人間」の少女

十二話

「必要悪、か……」

　意表を突かれた、とでも言いたげな口調で、鏖殺人がユキの回答を復唱する。

　ふと力が抜けたかのように、彼は一度組んでいた腕を解いた。

　何か返してくるか、と思ったのだが、ユキの予想に反して、鏖殺人はそのまま口を開かない。

　その様子を見かねたのか、白縫の方が質問をしてきた。

「どういう風に考えて、そういった結論に辿り着いたのか、聞かせてもらえるか、な？」

　穏やかな口調を装っていたが、白縫の顔は完全に笑うのを我慢している人間のそれだった。

　どうやら、鏖殺人の方はともかく、白縫には面白がられているらしい。

　依然として沈黙している鏖殺人が気になりはしたが、ユキは静かに口を開いた。

「……先ほどまで申し上げたように、転生者法は問題だらけの法律です。その法律に従って行動しているのですから、転生局も、またその基本方針も、問題を多数抱えています」

「あくまで現在の状況を見ただけの結論ですが、現代では、異世界転生者はもはやほとんどの力を失っています。多少は魔法を使えると言っても、碌に訓練できるような場所もなく、ほとんど危険性はない、と言い切っていい段階に来ているかもしれません」

「そもそも、百五十年前でも、佐藤トシオを除けば、だいたいの異世界転生者は大した能力を持っていなかったのではないでしょうか。異世界転生者がやってくること自体は、この世界における自然現象であり、佐藤トシオがやってくる以前から、異世界転生者はこの世界に何人もやってきていたはずです」

「それにも関わらず、佐藤トシオが台頭するまで、この世界には現代で言う転生局に当たる組織が存在しなかった。これは、当時の国家体制がまだまだ未熟だったこともありますが、それ以前に、異世界転生者が当時はそれほど脅威ではなかった、とも考えられます」

「何人やってきても、彼らのせいで世界が滅びるようなことは、滅多に無かった、ということです」

「そう考えれば、佐藤トシオに対する見方も変わってきます。現代では、佐藤トシオがまるで異世界転生者の代表のように扱われていますが、むしろ彼はイレギュラーだったのかもしれません」

「世界が滅びかけたのは確かに悲劇でした。しかし、そんな特異例にばかり目を付けて、昔の人々が過剰に反応してしまった結果、作り上げられたのが今の世界の在り方なのでしょう」

「お二人は当然ご存じでしょうが、隣国のアカーシャ国では、異世界転生者を隔離するだけしかやっていません。それでも国内の治安は比較的良好であり、大きな問題も起きていないと聞きます」

「これは、アカーシャ国では異世界転生者の数が少ないことが第一の要因ですが、同時に、もはやその程度の対応でも異世界転生者に対応できることの証明でもあります」

「また、転生者結社『人の翼』も、最近では異世界転生者の構成員の数よりも、それ以外の、人間の構成員の数の方が多いそうです。もはや異世界転生者は、普通の人間の手を借りなければ、反抗すらできない状況にあるのです」

「もはや危険性がない存在を過剰に追い詰め、殺害し、それに伴う問題で、免罪符所有者のような何ら落ち度のない存在を傷つける。……これらを総括してしまえば、転生局の存在、そして異世界転生者の殺害は、『悪』と呼ぶことが出来ます」

　多くの人間が、聞くだけで顔を青くするような、過激な持論を唱えているつもりだった。

　だが、予想に反して、鏖殺人や白縫は表情を変えなかった。

　ユキとしては、これは好都合だ。この演説を止められたくはない。

　決して鏖殺人を妄信しているわけではなく、問題点も正確に把握しているのだ、ということをアピールするのは、ここしかない。

　ただそれだけの思いで自分を勇気づけ、ユキはさらに言葉を重ねる。

「ですが、同時に転生局はこの世界を何度も救ってきた存在でもあります。佐藤トシオの殺害だけではありません。戦後、人々の荒んだ心を、異世界転生者の排除という一つの方向に向けさせることで、王国の復興を早めたという側面は、決して無視できないでしょう」

　話しながら、ユキは一つの事実を思い出していた。

　ユキが鏖殺人に保護され、入院していた時──ユキを迫害していた者たちの裁判の様子について、鏖殺人から聞いた時の話だ。

　暴行や職務執行妨害で逮捕された彼らは、取り調べの中で様々な言い訳をした。

　異世界転生者の娘は排除すべきだ、転生局の肩代わりをしてやったんだ、という言い訳も、多くなされた。

　だが、驚くべきことに──特に異世界転生者を憎んでいない者も、逮捕者の中には多く存在した。

　それどころか、ユキが異世界転生者の娘であることを知らずに、迫害に参加していたものも大勢いた。

　ただただ彼らは、不作による生活の苦しさや、自分の感じた鬱憤を晴らすために、ユキを傷つけ続けたのだ。

　ユキは間違いなく、あの地域では、人の感情の「掃きだめ」だった。

　しかし──。

「苦しい時、辛い時、悲しい時──様々な場面で、人は『掃きだめ』を求めます」

　そのユキの言葉に、ようやく鏖殺人は反応した。

「異世界転生者は、この世界の不満を受け止める、『掃きだめ』として必要だと？」

「はい」

　迷うことなく、ユキは即答した。

「先ほど述べた転生者法の問題点と同様に、転生者法の利点もまた、歴史が証明しています。グリス王国が他の国よりも早く立ち直ったことも、治安が明らかに良好なのも、異世界転生者という敵を作り出したからこそ、です。言わば、異世界転生者は世界共通の敵として必要だったんです」

　白縫が、少しつまらなそうな表情になった。彼にとっては、気が進まない話だったのだろうか。

　だが、構わない。

　誰にどう言われようと、これこそがユキが十年かけて熟成させた信念なのだから。

「故に、その異世界転生者を排除する転生局もまた、例え『悪』であったとしても必要な存在です。転生局があるからこそ、ナイト連邦から流れてきた反政府組織も、国内ではおとなしくしています。転生局の功績があるために、各国との外交でも、わが国は優位に立てます。異世界転生者を殺害し続けるという姿勢が、確かに恩恵をもたらしているのです。……だからこそ、転生局は『必要悪』なのです」

　言い終えた、と同時に、体中から汗が噴き出てきた。

　無意識に、力が入りすぎていたらしい。

　気を取り直して前を見ると、対照的な二人の反応が見て取れた。

　白縫の方は、明らかに興味をなくしたのか、もはやユキを見ることすらなく、天井を見上げていた。面接官を続ける気力もないらしい。

　一方、鏖殺人は再び腕を組み、何かを考えている様子だった。仮面の上からでも、顔をしかめているのが分かる。

　それから、永遠にも感じるほどの長い沈黙が続いて。

　鏖殺人が、最後の一言を発した。

「君は、『悪』と自覚している、異世界転生者殺害の荷担という行為を────躊躇い無くできるかな？」

「できます！」

　ほとんど、叫ぶような音量。

　だが、ユキとしては、そこだけは疑われたくなかった。

「あなたが殺せと言うのであれば、誰であっても……」

　殺すことが出来ます、と続けようとした瞬間。

　言葉を封じるようにして、鏖殺人が口を開く。

「もういい……分かった。ようこそ、転生局へ」

　その後、ユキは少し待っていてほしい、と言われて、事務室の方へ向かった。

　そのために、ここから後の会話を、ユキは知らない。

　ユキが立ち去ってから、鏖殺人と白縫が交わした、とある会話を。

「途中までは面白かったですけど……結局は、転生局礼賛でした、ね」

　露骨に呆れたような口調で、白縫がぼやく。

「ああ、ここ二、三年で知識だけは身につけたらしい」

　かなり疲れた様子で、鏖殺人はイスに深く座り直した。

「それで、どうしま、す？」

「……さすがに、採用するしかないな。あの子は、他の場所に置くには、危険すぎる」

　最後の言葉に、鏖殺人らしからぬ、強い感情の発露が含まれていたことに気が付き、白縫は驚いて隣をに顔を向ける。

　そのことに気が付いているのかいないのか、鏖殺人は言葉を続けた。

「かつて自分は不幸だった、それを俺に助けられた、だから俺は正しいんだ……。引き取った頃から、考え方が全く変わっていない。転生者法の問題点をあれほど正しく認識しているというのに、な」

　今度の言葉は、苛立ちのような感情を表に出していた。

　転生局に勤め始めて以来の珍事に、白縫はさらに目を見開く。

「異世界転生者は『掃きだめ』。それを排除するのは、『必要悪』……。かつては自分が『掃きだめ』で、その苦しさをよく知っているはずだというのに、何故、ああも言い切れるんだろうか」

　そうまとめてから、最後に、鏖殺人は愚痴を吐いた。

「馬鹿な子だ、今も、昔も。そしてきっと、これからも」