十三話(四章 完)
……以上のように長い回想が終わり、ユキはようやく仕事に戻ることにする。
思い出に浸り過ぎて、自分が知らないはずの情報まで思い返した気がした。
何にせよ、仕事はさっさとしなくてはいけない。
かくして、三時間後。
「これと、これと……えーと、これで最後、かな?」
鏖殺人から頼まれていた書類を整理し、ユキは一息つく。
追憶を終えてから取り掛かった仕事だけれど、割合に簡単に終わらせることが出来た。
余裕過ぎて、鼻歌交じりになったくらいだ。
「残った仕事は……ハウたちに餌をやって、白縫さんを倉庫から追い出して、戸締りして……」
家に帰るまでにやらなければならないことを、声に出しながら指折り数える。
ここに勤め始めて、もう三年目だ。
仕事の手順は十分に体に染みついている。
「……熱心だな」
そこで急に背後から声が響いて、ユキは反射的に振り返った。
誰よりも愛しい声が聞こえたので、彼の存在を察知して本能で動いたのだ。
実際にその予測は外れておらず、後ろには鏖殺人が佇んでいた……いつの間にか、事務室にまで足を運んでいたらしい。
「お疲れ様です……相変わらず足音がしませんね、ティタンさん」
半分くらいは呆れの感情も込めて、ユキは挨拶と共にどうでもいいことを口にする。
一度見たら忘れない程の存在感を放っている彼だが、実は気配を消すのが得意だ。
こんなに古い転生局の建物の中でも、彼が歩く時に限っては足音がほとんどしない。
だから鏖殺人と話す時は、今のようにいきなり声をかけられることが多い。
鏖殺人を慕うユキですら、事前に存在に気が付けないのだ。
ユキとしては、もっと「神」の姿に気が付けるだけの注意力が欲しいのだけれど、中々難しかった。
「そろそろ書類も出来たと思ったから……見させてもらう」
一言断ってから、鏖殺人はユキが作った書類をぱらぱらとめくり始める。
仮面越しにザッと確認した後、すぐにそれらを束ねて自身の脇に抱えた。
「よし、大丈夫だ。ミスはない」
「ありがとうございます……お役に立てて光栄です。私はもう、研修生時代からずっと転生局で働いていますからね。こういうのは流石に慣れてきました」
自分だって役に立てるという意味も込め、ユキは少し言葉を付け足す。
本来なら一等職員の研修生は、四宮ライトがそうだったように、三ヶ月置きに研修先を変える。
しかし「転生局を志望する一等職員は希少だ」と主張した鏖殺人の配慮で、ユキは一年目から他での研修をすっ飛ばして転生局に配属されていた……お陰で、仕事には随分と慣れているのである。
「そうか、もうそんなになるのか……」
ユキの言葉を受けて、鏖殺人がぼそりと呟く。
彼の反応は、ユキのそれとは大きく異なっていた。
ユキの言葉が懐古と自信から来ているのに対し、鏖殺人の言葉はもう少し悲しげな言い方である。
違和感を抱いたユキは、怪訝な顔でそんな言い方をした理由を聞こうとする。
だが鏖殺人はまるでそれを読んでいたかのように、先手を打って声をかけた。
「いつも通り、建物の鍵は俺が閉めておく。残りの仕事が終わったら、すぐに官舎に帰るように。大分遅くなっているからな」
事務的に告げると、彼はくるりとユキに背中を向ける。
そしてユキの車椅子が通りやすいように、事務室の扉を大きく開けてくれた。
────そうして、ユキが事務室から出て行った後。
鏖殺人は特に理由もなく、事務室に留まっていた。
鍵をかけて戸締りをするまでの、僅かな時間のことだ。
普段なら、この事務室は意外と騒がしい。
ユキや他部署の連絡員、更に飼っている動物たちの声が響くためだ。
しかし動物たちも寝静まった現在では、ただ薄暗いだけの場所となっていた。
鏖殺人は暗い部屋の様子を眺めると、ふと思いついた様子で壁の方に向かっていった。
カツカツと、珍しく足音まで鳴らして。
彼の目の前にそびえる壁には、複数の紙が加工されて並べられている。
左から順に、平和庁長官の訓示、グリス王国建国者たちの肖像画、佐藤トシオの顔写真、宮野ユキの免罪符だ。
かつて自分の手で掲示した物でありながら、じっくり見るのは鏖殺人としても久しぶりだった。
鏖殺人は、上からの認可書の類を無表情に眺める。
最初の方の紙を見ている内は、彼の無表情は崩れない。
しかし、最後の一枚────宮野ユキの免罪符を見て、わかりやすく顔をしかめた。
鏖殺人は、今日の彼女の様子を思い出す。
彼女が入局して以来、彼は彼女の仕事ぶりを観察していた。
往々にして、今日のように気配を消したままで。
そして分かったのは、入職直後から、彼女の様子が全く変わっていないことだった。
今日だって、鼻歌交じりに鏖殺人が渡した書類を作っていた。
ユキが判子を押すたびに、異世界転生者の「何か」が次々と失われていることを知っていて尚、鼻歌は止まなかった。
転生局の秘書官として考えると、彼女は特異な人間だった。
と言うのも、今まで転生局で雇ってきた事務の人間は、他の部署で問題を起こした人間が多かった。
百五十年前ならともかく、現代の王都では異世界転生者への同情が強く、転生局に入りたがる人材が少ないためにそうならざるを得なかったのだ────言ってみれば、この事務室は役所内の島流し席だったのである。
しかし、そうして島流しされた職員たちでも、転生局の業務はやはり気分が良くなかったらしい。
横領や職権乱用を繰り返した彼らですら、鏖殺人が血塗れになって戦い、書類の作成を頼む度に、怯えたような顔をしていた。
だから全員、一年もしないうちに辞めていった。
結局転生局に残ったのは、白縫のような壊れた人間ばかりだ。
そんな場所で、ユキはもう三年も働いている。
実に楽しそうに。
「実際、楽しいんだろう……」
意味もなく呟きながら、彼は顔を上げる。
すると、ユキの免罪符に書き加えられたままの一文が目に入った。
かつてユキの母親の行動から削除するのを忘れてしまい、保護した後に今度こそ削除しようとしたものの、ユキ本人が「ティタン局長が私のために書いてくださった文字を、訂正なんてしないでください」と言い出したために、そのまま残っているのである。
「当該人物は異世界転生者の娘であるが、変わりなく上記の内容を保証する」
十年前、確かに鏖殺人が書いた文章だ。
今でも、彼はこの内容は間違っていなかったと断言できる。
だが────────。
「あの子を人間だと証明したのは、間違いなく俺だが……」
我知らず、鏖殺人は口に出していた。
三年前の面接で、転生局を「必要悪」と言い切ったユキの表情が脳裏によぎる。
鏖殺人に命じられれば何だってすると答えようとした、彼女の気迫。
「肉体的には人間でも……あの子の思考回路は、人間のそれを越えているな」
子育てなんてするもんじゃないな。
最後にそう小さくぼやくと、鏖殺人は部屋を出た。




