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内務省所属平和庁直属特務機関「転生局」  作者: 塚山 凍
四章 鏖殺人と「人間」の少女
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十話

 それから、ずいぶんと時間が経って。

 ユキが、転生局に配属された日のことだ。

 その最初の日、鏖殺人が仕掛けてきた面接の内容を、ユキは今でも昨日のことのように思い出せる。




「失礼します」


 声をかけると同時に、ユキは器用に局長室の扉を開ける。

 相手が開けるのを待つこともできるのだが、「神」にそんな雑事をさせたくはない。


 いい加減古くなっていたせいか、ユキが中に入ろうと車輪を回すたびに、車椅子がきゅらきゅらと音を立てる

 だが、たいして気にもせずユキは鏖殺人の座る椅子にまで進んでいく。

 鏖殺人が嫌がるのであればすぐにでも買い替えるが、今のところそんなことは言われていない。


「いらっしゃい」


 ぼそり、と呟くような声で、重厚感のある椅子に腰を掛けた鏖殺人が返答をする。


「どう、も」


 続いて放たれた特徴的な話し方の声は、白縫のものだ。

 ふと顔を上げれば、鏖殺人の隣で、手持ち無沙汰に立っている。

 どういう理由かは知らないが、ユキと同様、ここに来るように言われたらしい。


 ──この人たちに会うのも久しぶりだな……。


 ある種の感慨を込めた声が、ユキの脳裏を占める。


 まず、白縫の方とは、ユキにとっては二年ぶりの再会となる。

 最初に出会ったのは、もうユキの足がこれ以上良くなりそうにない、と判明した時。


 当時から白縫は転生局に所属しており、今と変わらず、禁忌技術の研究に精を出していた。

 鏖殺人が転生者法施行細則の実施許可─異世界由来の技術の独占使用を、屁理屈染みた言い訳で取得してきた際、一番異世界の医療技術に詳しい、とのことで連れてきたのだ。


 結局のところ、異世界由来の医療知識でも治せない、との結論がすぐに出たため、ユキと彼が面会したのはせいぜい三回程度に終わった。

 だが、その浮世離れした性格から、二年経っても覚えていたのだ。


 尤も、この場のユキにとっては、白縫などどうでもいい。

 ユキにとっては、鏖殺人と久しぶりに出会えたことが、何よりも嬉しかった。


 この時点よりも一年ほど前──ユキが大体の日常生活を自分の手で行えるようになった頃、鏖殺人はユキに一人暮らしするように告げ、家を出ていた。










「俺は、君と永遠に一緒に生きてやれるわけじゃない。同時に、酷なようだけど、君もいつかは一人で社会に出なくてはならなくなる。足のハンデや、免罪符のハンデを抱えても、だ」


「君がこれからの人生で苦しい目に遭った時、それが免罪符関連であった時はともかく、他の場面では俺は君を助けてやれない」


「人は基本的に、一人で生きていかなくちゃならないんだ。これまでの生活を見てきた限りでは、君にはもうそれをできるだけの力がある。……通いの介護士は送ろう。だが、それ以外の場面では、俺はもう君とは会わない」


 鏖殺人の言い分は、要約すればこの三点だった。

 もちろん、ユキは動揺した。


 鏖殺人との生活の中で、ユキが涙を流したのは、あの時が最初で最後だ。

 子ども帰りしたかのように暴れ、わめき、何度も鏖殺人に縋りついて────。

 それでも、鏖殺人が態度を変えることはなかった。


 最終的に、何とかユキが鏖殺人が去ることを受け入れたのは、それまでの生活の中で薄々わかっていたからだと思う。

 鏖殺人が、あくまで仕事の一環でユキを引き取ったのだ、ということを。

「神」と心の中で呼ぶほどにまで慕っているのはユキの方だけで、鏖殺人の方は、ユキに対して人間的な興味を抱いていないようだ、ということを。







 一般的に、人間は建前を重視するものだ。

 例えば、あくまでお金が欲しいから医師になったような人物も、口では命を守るために医師になった、とのたまう。

 名誉欲から政治を志した人物も、人に志望動機を問われた際には、国民のためだと言って譲らない。


 だが、鏖殺人にそれはない。

 鏖殺人は基本的に、自分の気持ちを誤魔化すだとか、それゆえに態度がぶれるだとか言うことはない。

 彼が話す言葉は、全て本心で────そして本心であるが故に、口に出された言葉は、それ以上の意味を持たない。


 これを理解したのは、何時のことだったか。

 だが、ある種象徴的な逸話がある。


 ユキが、発展教導院にいた時のことだ。

 飛び級してきたユキが物珍しかったのか、同級生─といっても、ユキより三つほど年上だが─のうち何人かは、ユキの家について聞いてきた。


 さすがに全部は話さなかったが、その場でユキは、ある程度の内容を正直に答えたことがある。

 異世界転生者だと疑われて迫害を受けたために、鏖殺人に引き取られたのだと。


 自分たちの想像を凌駕するユキの境遇に、何も言えなくなったのか、その場で同級生たちは帰っていった。

 だが、その三日後、ユキは彼らが噂話をしている現場に、たまたま遭遇する。

 ユキに聞かれているとも知らず、彼らはこんなことを口にしていた。


「あの子ってかなり可愛い顔してるし、鏖殺人って実はそれ目当てで引き取ったんじゃない?大きくなったら取って食おうとしてさあ」

「うわ、気持ち悪いなそれ……」


 この会話を聞いた時、ユキは怒るよりも先に笑ってしまった。

 あまりにも、彼らが鏖殺人の思考を理解していなさ過ぎて。


 もし、鏖殺人がユキをそう言った目的で手元に置いたのであれば。

 どんなにか、ユキは嬉しいだろう、と思って。


 仮に、他の男性がユキを引き取ろう、などと言い出したのであれば、嫌な話だが、その可能性は存在したことだろう。

 孤児を救いたい、というのが建前で、本音は自身の欲望、ということになる。

 あるいは、そこまで悪辣な人物でなくても、他人に善行を施そうとする人物たちには、別の思惑があるものだ。


 例えば、どうしても子どもが出来なかった夫婦が、孤児を引き取り、里親となったとしよう。

 この時、その夫婦には当然、その子どもに家庭を与え、幸せにしてやりたい、という思いがあるのだろう。


 だが、それと同じくらいに、彼らの中にはこんな希望もあるはずだ。

 自分たちにも、血がつながってなくてもいいから、子どもが欲しい、と。

 子どもがいる空間で家庭を営んでみたい、と。


 ユキはその立場になったことがないため、推測にしかならないが、自分自身を満足させたい、という気持ちが全くない、などということはあり得ないだろうと思っている。


 別に、それが悪いことだと言っているのではない。

 ユキが、人間とはそういう生き物だと考えている、という話だ。

 人間、よほど小さな事ならともかく、大きな善行の中では、他人に恩恵を与えながらも、自分の利益─金銭しかり、満足感しかり─を考えて行動するものだ。


 だが、鏖殺人には、その手の思考が一切無いように思われた。

 本当に、彼が言った通り、「免罪符のせいでユキが死ぬのを防ぐため」、ただそれだけのためにユキを育てているようだった。


 だから、というべきか。

 鏖殺人は、ユキの足の治療や、生活の便宜については良く取り計らってくれたが、それ以外のことについては、強い興味を持っていない様子だった。


 恐らく、彼の思考はシンプルだ。

 まず、鏖殺人は、転生者法に従って、異世界転生者はすべて殺すが、人間は誰一人殺さない。


 だが、自分や転生者法が遠因となって、ユキが死にそうな目に遭った。

 だから、転生者法を守るため、ユキを救う。

 本当に、これ以外の思考回路は一切ないようだった。


 ユキのことを守りたいと思ったから、転生者法を建前に使ったのではない。

 転生者法を守りたい、と思ったから、彼はユキを助けたのだ。

 ユキが死ねば、転生者法の基本理念が成り立たなくなってしまうから。


「君の足が治らなかったとしても、俺が君の車椅子を押すだけだ」


 かつて、鏖殺人はユキにそう告げた。

 だが、この場合の「君」とは、鏖殺人が救わなければならない対象としての、「君」だ。


 ユキが、もう一人でやっていけるようになったのであれば。

 鏖殺人にとっては、ユキは自分が関わらなくてはならない対象ではなくなる。

 彼が車椅子を押すことも、無くなる。


 そのことを、ユキは悲しいとは思わない。

 苦しいとも思わない。


 ただ、自分が崇めた人物がそういう考え方をしていた、と言うだけの話だ。

 そもそも、ユキは「神」に見返りなど求めない。


 彼は、何の躊躇いもなく、ユキから離れる。

 一緒にいるうちに情が湧くだとか、ユキに対して男性として興味を持つなどというのは、あり得ないのだから。









 ユキは、長い回想を打ち切り、入室以来押し黙ったままの鏖殺人を、改めて見据える。

 一年前と相変わらず、顔を隠す仮面を身に着けたまま、彼は腕を組んだまま椅子に座っている。


 ──何を考えているのかな……。


 今は上司となった鏖殺人を見ながら、ユキの頭には愚かな疑問が降りてくる。

 当然、解答はすぐに思いついた。


 ──異世界転生者のことだよね、やっぱり……。


 彼は多分、そのこと以外については思考しない。


 それでいい。

 それでもいい。


 相手がユキに全く興味を抱いてなくても、そばに行くことが出来れば。

 そのために、必死に勉強してここまで来たのだから。


「それでは、局長と副局長によって、簡単にだが面接をさせてもらう」


 不意に鏖殺人が口を開き、部屋の空気は一気に引き締まった。

 尤も、一人で鏖殺人の声に聞き惚れていたユキは別だったが。

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