九話
そうして治療を続けて、辛うじて下半身の感覚を取り戻した頃。
ユキが入院して、三ヶ月が経過した頃の話だ。
何度目かの見舞いに来た鏖殺人は、何でもないことのようにその話を切り出した。
因みに、この日はユキの中では記念日として記憶されている。
仕方がないだろう。
開口一番、こう言われたのだから。
「君の同意があればだが……退院してからは、俺に君を引き取らせてはくれないだろうか?」
呆気に取られるユキの目を見据えて、鏖殺人は言葉を続ける。
「魔法大戦から百年以上が経ち、王都の気風は異世界転生者に対して同情的だ。君の素性が明らかになったところで、珍しくは思われても、迫害まではされないだろう」
「はあ……つまり、『おうと』なら私もくらせるってことですよね?」
「そうだ、現在の情勢ならな。しかし……人々の風潮なんて流動的なものだ。将来的に王都の雰囲気が変われば、再び君に危害を加える人間が出てくる可能性自体はある」
「そのことが、ティタンさんはいやなんですか?」
子どもらしい口調で、ユキはそう尋ねる。
何となくだが、答えが分かっていながら質問したような気もする。
「ああ、嫌だな。仮に君が周囲の迫害によって傷ついたなら、それは状況を予見しながら君を放置した俺の責任になる。その場合、俺は異世界転生者でもない人間を見殺しにしたことになり……転生者法の矜持に反する」
「きょーじ?」
「誇りや理念、信念のことだ……何にせよ、俺が君を引き取りたいというのは、そうした危険性を排除するためだ」
「ティタンさんと住めば、おうとのふんいきが変わっても、大丈夫なんですか?」
「恐らくそうだ。考えてもみろ。仮に俺が君を引き取れば、『転生局の局長がとある少女を殺さずに、ずっと近くに置いている』という状況になる……このことこそ、君がただの人間であり、異世界転生者ではないことの最大の証明になると思わないか?」
「異世界転生者なら、そんなことはされずにころされるはずだから……そうされていないのを見たら、みんなが安心する?」
「その通り。これは免罪符をも超える、絶対的な人間の証明になるんだ。だから……」
「くらします」
鏖殺人に続きは言わせなかった。
食い気味に、ユキはベッド上で宣言する。
「ティタンさんと、いっしょにくらしたい、です」
自分なりに、必死に訴えたつもりだ。
名前も知らない孤児院に行くよりも、ユキは自分をあの環境から救い出してくれた眼前の人物と一緒に居たかった。
もう二度と、大人に捨てられたくはなかった。
その時の鏖殺人からは、どう見えていたのかは分からない。
でも最後には────彼は頷いてくれた。
それから、王都での二人暮らしが始まった。
王都の一等職員が使う職員寮の一階を借りて、ユキたちは共に暮らすようになったのだ。
現在でもユキが自宅としているその部屋で、鏖殺人は随分と親身になってくれた。
ユキが動かない足のせいでトイレを汚してしまった時には、慰めながら掃除をしてくれた。
ユキが着替えに手こずっていると、いつも気が付いて手伝ってくれた。
ユキが鏖殺人の手配で基礎教導院に通うようになってからは、勉強も見てくれた。
勿論、忙しい鏖殺人は常に一緒に居た訳ではない。
寧ろ、仕事で何日も帰って来ることがなく、代わりの介護士が派遣された日の方が多かったはずだ。
一緒に暮らしていたというのに、素顔を見たことも、寝姿を見たこともない。
だけど、偶に会えるだけでもユキは満足だった。
十分過ぎる程に幸せだった。
一年にほんの僅かな期間だけ与えられる鏖殺人の休暇中などは、特に楽しみだった。
彼は車椅子を押して、ユキは様々なところに連れて行ってくれた。
初めて見る風景だけでなく、彼が時間を割いてくれたという事実こそ、ユキにとって一番の宝物だった、
そんな環境で成長したからだろう。
一年も経たない内に、ユキは「将来は転生局で働こう」と志すようになった。
ユキからすれば、それは当然の成り行きだった。
しかし、周囲の人間には不可解な判断に映ったらしい。
ユキが将来の夢を告げると、少なくない人に理由を聞かれた。
どうして、わざわざあんなところに?
君は寧ろ、転生者法のせいで苦しめられてきた側じゃないのか?
鏖殺人に恩があるといっても……自分のミスの尻ぬぐいで拾っただけなんだから、一種の自作自演じゃないか?
そもそも、南部の連中があそこまで差別的なのは、転生局が異世界転生者を殺して回るのに影響されているからじゃないか?
だとすれば、君の足を動かなくさせた原因の一つは、鏖殺人にあるんじゃないか?
そう考えれば、鏖殺人は君にとって恨みのある相手だろう……自分の父親を殺した人間の傍に、どうして行こうとするんだ?
ユキが幼い頃には、単純に善意から。
教導院で勉強の遅れを取り戻し、次第に良い成績を取るようになってからは、真剣に将来を心配して。
多くの人が、ユキの将来の夢を否定した。
これらの意見は、決して一理無いわけでもない。
北部の人間らしく異世界転生者に同情的で、鏖殺人を虐殺者として恐れる彼らとしては、当然の感想だったのだろう。
しかしこれらの意見がどれだけ集まっても────ユキの心を、鏖殺人のあの言葉以上に響かせることはなかった。
「転生局の局長として、或いは最近よく呼ばれる、鏖殺人とか言う名前にかけて保証しよう。君は人間だ。このような扱いは、間違っている」
何故生まれてきてしまったのかと、世界の全てを呪っていたユキを救ってくれた言葉。
周りの大人たちが当たり前のようにユキを害する中で、唯一それが間違っていると明言してくれた言葉。
あの日初めて、ユキは「汚らわしい異世界転生者の娘」ではなく、「普通の人間」になれた。
その契機を与えてくれたのは、鏖殺人で間違いない。
だからこそ……ユキは、彼に恋をする。
きっとあの言葉を掛けられた瞬間から、ユキはどうしようもないくらいに、鏖殺人への恋愛感情で頭をやられてしまったのだ。
彼への想いの激しさに比べれば、他の全てがどうでも良かった。
足が動かないことも、父親が異世界転生者だということも。
鏖殺人がその父を殺し、間接的にユキの一家を極貧の暮らしに送ったことも、一切気にならないことだった。
何ならこの時期には、ユキは自分の過去すらも好都合だと考えるようになっていた。
確かに、ユキの足は動かない。
だが、こう考えることもできる。
現状「足が動かない」からこそ、鏖殺人はユキに構ってくれるのだと。
もしもユキが五体満足で健康な存在であったならば、鏖殺人はユキを引き取らなかったかもしれない。
彼がユキを引き取ったのは、「自分がユキを保護することで殺すべき異世界転生者ではないことの証明とする」という目的のためだが、恐らくはユキの足のこともその判断材料に含まれているだろう。
今でこそトイレや入浴も一人で器用にこなせるが、当時は介助者がいなければ満足にやれなかった。
そして、足が不自由な子どもの介助まで完璧にこなす孤児院というのは、悲しいことだが王都にもなかなか無い。
だからこそ、鏖殺人が引き取り手になってくれたのだ……足が不自由だからこそ、ユキは自分の恩人と同居出来た。
そう思うと……不謹慎を承知で言えば、ユキは自分の足が動かないことが嬉しくなったぐらいだ。
病院に行くたび、「絶対に治りませんように!」と願掛けしたことだってある。
足が治ってしまえば、鏖殺人との同居が解消される恐れがあるから。
こうなると、ユキの足を動かなくした元凶の老人にも怒りは湧いてこない。
彼のおかげで、ユキは鏖殺人と暮らせるのだ。
一周回って、感謝したいくらいである。
恨んでいた父親にも、母親にも、感謝の念は尽きない。
よくぞ、異世界転生者でありながら、考えなしに子どもを作ってくれた。
よくぞ、自分一人だけ逃げて、ユキのことを捨ててくれた。
彼らの行動の結果として、ユキは鏖殺人と出会えた。
それ一つで、全てチャラなのである。
……このような自分の考えが常識的な物ではないことぐらいは、ユキも知っている。
例えば鐘原に対して初めてこの思考を口にした時は、かなり驚いていた。
恐らく自分の同僚たちは、ユキのことを内心「狂っている」「歪んでいる」と考えているのだろう。
当然のことだ。
この王都で普通に暮らしている人たちは、一般人なのだから。
これこそ、模範的な「一般的な考え」だ。
しかしこの「一般的な考え」が、かつて一度でもユキを救ったことがあっただろうか?
ユキが転生局に勤めたいと述べた時、困惑したように止める自称常識人たちは、かつてのユキを救ってくれるだけの力があるのか?
いいや、あるはずがない。
ユキを救い、恩恵を与えたのは、この世で鏖殺人だけだ。
鏖殺人が自分を救ってくれた時点で、私の命は鏖殺人の物。
ユキは、本気でそう考えている。
命だけではない。
名誉も、尊厳も、肉体も。
全ては鏖殺人の物。
そして、この体に宿る魂は────これだけは、私の物。
私だけの物。
そんな私の魂は、今、鏖殺人と共に在りたいと叫んでいる。
だから、私は鏖殺人の進む道に付き添う。
何としてでも、付き添いたい。
後に鏖殺人に志望動機を聞かれた時には、他に色々と説明を付けたけれど。
実際には、この思いが根源なのだろう。
かつて、鏖殺人はユキに対して、自分のことを「神ではない」と評した。
やれる分だけの仕事をしているのであって、全てを救ってなどいないと。
しかし鏖殺人には悪いが、ユキはその認識には反対だ。
禁忌として封じられた地球の宗教書によれば、地球人たちは人間を救う上位存在のことを「神」と呼ぶらしい。
だったら、ユキにはその該当者に心当たりがある。
人に恵みをもたらす存在を、「神」と呼ぶのであれば。
人を救う存在を、「神」と呼ぶのであれば。
ユキにとっては、鏖殺人こそが「神」なのだ。




