四話
記録に従えば、ユキは、鏖殺人に引き取られるまでに二回、彼に対面している。
一回目はおそらく、ユキの父親が鏖殺人に殺されてすぐの頃だ。
ユキの父親は、理由は知らないが、自分が転生局に処分されることを、転生局のやって来る少し前に察知していたらしい。
それ故に、妻と娘を、自分が殺される前に逃がした。
自分が殺されるにしても、あるいは逃げきれるにしても、側に置いておくわけにはいかないと思ったのだろう。
しかし、彼の予測は甘すぎた。
異世界転生者の処分から一ヶ月もしないうちに、ユキとその母親は鏖殺人に捕まることになる。
そして、ユキたちには免罪符が手渡された。
そういう経緯の出来事が起こったはずなのだが、実のところ、これは大分成長してからユキが考えた推測であり、真実かどうかはわからない。
何故か、この辺りのことに関する記録は鏖殺人が直接保管しており、いまだにユキも見せてもらっていないのだ。
そもそも、免罪符がすんなり手渡されたというのが、どう考えてもおかしい。
ユキの母親は、記録から推察するに、まず間違いなく夫である異世界転生者の、転生局からの逃亡を手助けしている。
要するに、異世界転生者の支援という犯罪を行っているのだから、免罪符を渡されるだけで済んでいる、というのは異常だ。
また、異世界転生者に家族がいたという事実が、全く当時の記録で触れられていない、のも不思議である。
唯一、発行部数の少ない小さな雑誌社が取り上げたらしいが……。
ユキの身に起こったことについては、他にも疑問がある。
しかし、そのことについて、鏖殺人が答えてくれたことはない。
何はともあれ、この時点で一度、鏖殺人にはユキに免罪符を渡す、という形で対面したのだ。
ユキの方は、何故か全く覚えていないが。
しかし、鏖殺人と二回目に出会った日のことは、はっきりと覚えている。
確か、異常なほどに暑い夏の最中だった。
当時、ユキが家に帰ってまずやらなければならなかったことは、衣服の洗濯だった。
理由は単純で、毎日、濡れ鼠のようになって帰宅していたからである。
その日も、おそらく、誰かからいじめの一貫として水をかけられ、とぼとぼと帰宅していたはずだ。
最初の頃は、母が洗濯をしてくれていた。
しかし、十回、二十回と、同じように濡れて帰ってくる姿を見るたびに、彼女の方も鬱陶しくなってきたのか、次第にやってくれなくなった。
そのため、やがてユキにとって、洗濯は日常の一部と化す。
洗濯だけではない。
料理も。
掃除も。
買い物も。
次第に、母親はやってくれなくなっていた。
そんな時期のことだ。
教導院の制服を干していると、ふと玄関─というほど立派なものではなかったが─に人がいることに気がついた。
同時に、ユキは目を見張る。
その人物が、あまりにも特異な格好をして居たからである。
青い仮面。
黒いマスク。
専用の制服。
武骨な刀。
後に毎日見ることになる格好なのだが、初見のユキにとっては、幻覚を疑うほど奇妙な格好だった。
だから、と言うのもあるのだろう。
そのときのユキは、久しぶりに感じる好奇心に任せて、洗濯を中断した。
そのまま、走って彼の元に駆け寄る。
「暑くないの?」
最初にかけた言葉はそれだった。
結構、気になっていたのだ。
「……全然」
鏖殺人の方は、今も昔も変わらない。
どうでも良さそうな、しかし生真面目な対応をした。
その当時住んでいた家が、何回目の引っ越しの末に手に入れた家なのか、ユキは覚えていない。
ただ、少なくとも五回は越えていたと思う。
「当該人物は、異世界転生者の娘であるが、変わりなく、上記の内容を保証する」
全ては、この一文が、招いたことだった。
その事実に、ユキは当時から気がついていた。
免罪符を持っている者は、転生局に訴えれば、自由に引っ越しができる。
また、就職先もある程度は世話をしてもらえる。
しかし、当然ながら、その際には役所などに免罪符を提示する必要がある。
この提示、というのが曲者なのだ。
どうやったって、ユキの方の免罪符に書かれている一文が──ユキが異世界転生者の娘であるという一文が、役所の職員の目に入る。
加えて、田舎というのは噂が広がるのが早い。
一応、職員には守秘義務とか言うものがあるはずだが、誰も守っていなかった。
今度引っ越してくる人は、異世界転生者の妻と、その娘らしい──。
特に娯楽もない南部では、そう言った噂をすることが楽しかったのだろう。
ユキたちは、引っ越した当初から好奇の目線に晒され、一挙一動に注目され────とりわけ異世界転生者を嫌っている人間たちには、迫害を受ける。
元々、余所者に厳しい、閉鎖的な場所。
異世界転生者を嫌っている人間が多いという土地柄。
その母娘に対して、危害を与えるのを躊躇うような理由は、どこにもなかったらしい。
これまた記録に従えば、何度かユキの母親は転生局に対して被害を訴えて来ている。
明らかに、不当な差別を受けていると。
免罪符を持っているというのに、まともに機能していないと。
だが、転生局の対応は、地方警士に仕事を丸投げするだけだった。
転生局とて、時期によってはなかなかに忙しい。免罪符を持つ者全てに対して、十分に対応ができるわけではない。
免罪符所有者への対応を、警士たちに任せることは、今でもよくあることだ。
しかし、ユキの場合、場所が悪かった。
地方警士に対応が丸投げされた場合、当然ながら、働くのはその地域に駐在するものたちである。
特に、南部に駐在する地方警士というのは、地元出身者が多い。
ということは、いくら警士になったとはいえ、異世界転生者への考え方は子どもの頃から変わらないわけで────。
地方警士たちは、明らかに、転生局からの「免罪符所有者を保護せよ」という命令を無視していた。
当時から、転生局はかなり恐れられていた存在だったはずなのだが、その畏敬の念を凌駕するほどに、彼らの異世界転生者への憎悪は根深かったのだ。
「異世界転生者の家族が、贅沢を言うな」
この類いの言葉を、何度言われたことか。
ユキが、教導院で通う中で、教師に叩かれ、同級生に川に突き落とされ、持っていった物のほとんどを盗まれても、誰も助けようとはしなかった。
ユキの母親が、明らかに不当な賃金で働かされ、家に何度も空き巣が入ったと訴えても、動こうとするものはいなかった。
何度も強く訴えて、ようやく引っ越しの許可が下りたこともあった。
しかし、場所を変えても、起こることは一緒だった。
免罪符を使わず、偽名で引っ越したときもあった。
だが、ちょっとしたことで自分たちを疑うものが現れ、結局は免罪符を見せることになる。
その後は、引っ越す前と変わらない。
こんな扱いを受けていても、尚、ユキの母親はなぜか南部に住むことに拘っていた。
理由は、今でもよくわからない。
夫が亡くなった場所の側にいたかったのか。
単純に、土地勘がある場所にいたかったのか。
あるいは単純に、鏖殺人の目が届く範囲から、外れたかったのかもしれない。
だが、彼女のそう言った拘りは、彼女とユキの受ける被害をより大きくさせた。
南部のどこに言っても、自分達を人間として扱ってくれる者はいなかったのだから。
そんな生活を繰り返していれば、誰だって悪意に慣れる。
というより、何をされるかわかるようになる。
だからだろうか。
ユキの母親が、次第にユキを疎ましく思うようになったことに、ユキはかなり早く気がついた。
ユキの服を洗濯しなくなったときよりも、ずっと前に。
鏖殺人と二度目の対面をしたのは、ちょうどその頃だった。




