五話
玄関で鏖殺人に出会った場面に戻ろう。
鏖殺人に言われるがまま、ユキは母親を呼んできた。
「この度先代ティタンは勇退され、副局長だった私が局長に就任しました」
母親と相対してから、鏖殺人頭を下げた。
大して嬉しそうでもない言葉と共に、似合わない挨拶をする。
「それに合わせて、今年度から免罪符の形状が少し変わりました。それで、新型式の免罪符を旧版の免罪符と交換しているところです……特に貴女方二人の免罪符は、少々取り扱いが特殊ですから」
この言葉を受けたときの母親の表情は、よく覚えていない。
恐らく、良い顔はしていなかったと思うが。
しかしその次に母親が聞いたことに関しては、それなりに覚えている
「……二年前」
新しくなった免罪符を受けとりながら、ユキの母親はこう告げた。
「どうして、この子を…………なかったのですか?」
聞き取りにくい、濁った声だった。
とりあえず、自分のことを話しているらしいのは間違いなかったけれど。
当時のユキには、重要な部分が上手く聞き取れなかった。
だが彼女の言葉を境に、鏖殺人の雰囲気はほんの少し変わった。
碌に顔の見えない格好をしているのに────ユキには、彼が眉を顰めたように見えた。
「……どうやら、我々の職務について誤解があるようですね。二年前にも説明しているはずです。我々は異世界転生者を全て殺す。しかし、人間は一人も殺さない。誰でも殺すような殺人集団だと思われるのは、甚だ心外です」
鏖殺人は、そこで一度口を閉じた。
だがすぐに、諭すような口調で続きを述べる。
「異世界転生者とは文字通り、『異世界から転生してきた者』のことです。そして貴女や貴女の娘さんは、アレルで生まれ、アレルで生きてきた存在。我々がどうこうする理由はどこにもない」
「例え、異世界転生者の血を引いている者であっても?」
「そうです。貴女の娘さんは異世界転生者の娘であり、血族です。しかし、普通の子どもです。移動型異世界転生者でも、再誕型異世界転生者でもない。仮に妊婦が胎児を擁したままこの世界に来て、<門>を潜った後に出産したのなら、また話は変わるんですが……そうでない以上、宮野ユキはこの世界出身の一般人なのです。魔法や魔力はほぼ遺伝しませんから、危険性もないのでね」
「……そうですか」
ユキの母親はきっと、鏖殺人からある言葉を引き出したかったのだろう。
今なら、その意図が分かる。
だが当時のユキは、大人たちの言い争いに目を白黒させるだけだった。
「話が逸れました。新しい型式になった免罪符ですが、貴女の希望通りに文言を多少調整しています……では、さようなら」
最後にそんなことを言うと、鏖殺人は足早に立ち去っていった。
ここから先の記憶はない。
鏖殺人と話した晩のユキの母親の様子や、表情も覚えてはいない。
ただ、恐らくは────醜く歪んでいたのだろう。
後から聞いた話だ。
ユキ母親……宮野リンの免罪符には、末尾に注釈が付け加えられていたらしい。
ユキと同じく、鏖殺人の殴り書きがあったのだ。
「当該人物は一時期異世界転生者と婚姻関係にあったが、現在は解消されており、他の者と変わらず上記の内容を保証する」
この一文が、事実確認のために書かれていた。
しかしユキと同じく、この文言は長らく彼女を苦しめてきた。
免罪符を提示する度に、「この人は異世界転生者と結婚していたのか!」と驚かれるのだから。
しかしこの日、鏖殺人が届けに来た新しい型式の免罪符では、この記述は削除されていた。
彼女の訴えが認められて、型式の変化と同時に改訂してくれたのである。
そもそも、このような変化があったからこそ、わざわざ鏖殺人がユキたちの元に免罪符を届けに来たのだろう。
ただし、削除されたのはユキの母親の物だけ。
ユキの免罪符には、以前と変わらず「当該人物は異世界転生者の娘であるが~」という一文が書かれていた。
ユキの母親は、「どうせ自分たちは二人暮らしなのだから、引っ越しの際に提出する免罪符は保護者である自分の分だけだ。だから、自分の免罪符のみ改訂してくれたら良い」と転生局の事務員に主張しており、そのためにユキの免罪符は内容が変わらなかったのである。
だが言うまでもなく、これはおかしな対応だ。
引っ越しの際はそうだとしても、今後の生活を思えば、ユキの免罪符についても改訂を迫るべきだろうに。
そうすればユキの出生の秘密は隠し通され、何かと楽になるのに、母親は何故かそうしなかった。
鏖殺人にこの疑問をぶつけた時には、「彼女も生活苦で混乱していたのだろう」と語尾を濁した。
だが、いくら生活に苦しんでいたとしても……。
自分たちが迫害を受けている原因を削除してもらう時、自分の娘の分を忘れるものだろうか?
ただ一言、言えばいいだけではないか。
訪ねてきた鏖殺人に対して、「娘の方の注釈も消してくれ」と。
そう告げるだけで、ユキの方の免罪符からもその一文は消えたはずだ。
だが、彼女はそうしなかった。
自分の免罪符だけは文章を消して、他の免罪符と同じ仕様にしつつ、ユキの免罪符は放置した。
ユキはこの事実が意味することに、やがて気が付くことになる。
ああ、そうか。
母は、この時点でもう。
……自分を捨てる気でいたのだ。
あの時の会話についても、同時に意味が分かった。
鏖殺人とユキの母親の会話で、はっきりと聞き取れなかった部分。
真実を理解した瞬間から、ユキはその言葉が聞き取れるようになった。
「どうして、この子を…………なかったのですか?」
「どうして、この子を…………さなかったのですか?」
「どうして、この子を……ろさなかったのですか?」
「どうして、この子をころさなかったのですか?」
「どうして、この子を殺さなかったのですか?」
母親はもう、ユキのことを捨てたがっていたどころか────鏖殺人に殺して欲しいと思っていたのだろう。
何かと理由をつけて死なせてしまえば、自分の背負う苦労は軽くなる。
そう考えたのだ。
だからその後の彼女の行動は、「魔が差した」や、「不幸に耐えかねて」と表現すべき行動ではない。
じっくりと計画を練り、考え込んだ末での行動だったのだろう。
この日の晩……ユキの母親は、ユキが寝ている隙をついて家を出た。
そして、二度と帰ってこなかった。
俗に言うところの、「蒸発」。
自分の免罪符だけを抱えて、彼女は新天地へ向かった。
ユキには、この時から家族がいない。
必要だとも思わない。




