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内務省所属平和庁直属特務機関「転生局」  作者: 塚山 凍
四章 鏖殺人と「人間」の少女
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三話

 転生局の事務に限らず、役人という職業では、入局してから何枚も何枚も書類を作成させられる。

 その中には、書類作成者の氏名や、詳しい個人情報を書く必要があるものも存在する。


 ユキは入局以来、その手の情報を書かなくてはいけない場合、転生局所属を示す判子でお茶を濁してきた。

 これは、ユキの作成する書類が転生局のものだからではない。

 いくら転生局が色々とイレギュラーな組織とはいえ、事務作業が他の部署と大きく異なるわけではない。


 お茶を濁す必要が出てくるのは、ただ単に──ユキのプロフィールというものを、そもそもユキが知らないからだ。


 まず、ユキは父親の名前というものを正確には知らない。

 鏖殺人によれば、播磨大吉という人物らしいが、これはユキの年齢、並びにユキの母の話から逆算して割り出した、おそらく父親と思われる異世界転生者の名前に過ぎない。

 正しいかどうかは不明である。


 さらに言えば、ユキは自分の母親の名前が、何であったのか知らない。

 母親はこの世界に生まれた普通の人間であったため、普通に親に貰った名前を持っていたはずだ。


 しかし、ユキが物心ついた頃には、彼女は複数の偽名を使い分けるようになっていたため、どれが本当の名前なのかは─そもそも、その中に本名があるのか─わからない。

 一応、免罪符では宮野リン、ということになっているが、これはユキが知っている限り、彼女が最後に使っていた偽名を、仮の名前としただけだ。


 最後に、ユキは、自分がどんな名前なのかも知らない。

 鏖殺人に拾われてからの名前は、間違いなく「宮野ユキ」である、と断言できる。


 しかし、それ以前は彼女も母親と同様、複数の名前を使い分けてきた。

 もしかしたら、その中に一般的な意味での名前──生まれてすぐに名付けられた名前があったのかもしれないが、母親のそれと同様、確定していない。


 名前だけではない。


 自分の誕生日も。

 自分の正しい年齢も。

 祖父や祖母も。


 ユキは何も知らない。

 もっとも、ユキはそれら全てをどうでも良いとしか思っていないが。














 ユキが覚えている最初の記憶は、どこかの木の下で、何が悲しいのか大泣きしている記憶だ。

 日差しが子どもの身では非常にきつく、明らかに南洋系と思われる木の根元で座ってた。


 幸い、求めていたのであろう母親はすぐに来た。

 だが、彼女が自分を泣き止まそうとしてくれた記憶はない。

 おそらくだが、人目につきさえしなければ、どうでもよかったのだろう。


 それ以外の記憶は、時系列もバラバラで、大して覚えていない。


 ボロボロの家の中で、荷物を紐解く記憶。

 やけに冷たい料理を口に含む記憶。

 どこかに引っ越したとき、前よりも古い、と感じた記憶。


 そして、まだ、足が動いていた頃の記憶。

 もっとも、足が動かなくなってからよりも、ろくでもない記憶の方が多かった気もする。




 後から鏖殺人に聞いた話だと、この時期、母親は職を転々としていたようだ。

 ユキのこの時期の記憶は、それに合わせて引っ越しを繰り返していたが故のものだろう。


 宮野リン。

 一般人である彼女が、いかようにして移動型異世界転生者の男性と出会い、かつ、転生局の目を盗んで子どもまで作ったのかは、今でもよくわかっていない。


 鏖殺人の調べによれば、どうやらアカーシャ国の出身らしい、とだけわかっている。

 手段や経歴がわかっていない以上、目的についてはもっとわかっていない。


 確かに、異世界転生者に対して同情的な態度をとる一般人は、無視できないほど存在する。

 しかし、現代よりもさらに、異世界転生者に対する風当たりが厳しかった二十年ほど前に、なぜそのような行動をとったのか。

 真相はわからない。


 確かに、アカーシャ国ではグリス王国と違い、異世界転生者排除の方法が殺害ではなく、投獄だ。

 このためか、アカーシャの国民は、異世界転生者を見てもあまり悪感情は抱かないらしい。

 ただ、隔離施設に連れていこうとするだけだ。


 扱いとしては、熊などの野性動物への対応が一番近いだろうか。

 放っておくと危険だが、人間に大きな被害を与えない限り、積極的に殺すほどでもない。


 出来るだけ関わらず、檻の中に入れておくのが一番。

 いくら熊が被害を出しても、この世から熊を絶滅させよう、と考える人間が現れないのと同じで、異世界転生者を全て殺そうとまではしていない。


 この辺りは、かつての魔法大戦で、アカーシャ辺りの地域は大きな被害を受けなかったこと。

 そして、門の発生頻度が、グリス王国よりもさらに低いことが関係しているのだろう。


 隔離施設に連れていくだけで、十分に対処できる、ということだ。

 尤も、アカーシャ国内でも、「税金から隔離施設内での異世界転生者の食事代を捻出するくらいなら、彼らを殺して別のことに費用を回した方が良いんじゃないか」という意見もあるらしいが。


 しかしいくらアカーシャ国出身でも、さすがに異世界転生者と家庭を営もうとする、となると、異例中の異例である。

 自分も、その子どもも、苦労することはわかりきっている。


 この辺り、人間の心というのは摩可不思議だ。

 今でも、ユキはそう思う。




 そして案の定、宮野リンは生活に窮していたようだ。

 彼女の第一の誤算は、伴侶となった異世界転生者が、比較的早期に亡くなってしまったことだろう。

 先述した播磨大吉が本当に彼女の伴侶であるならば、記録上、ユキが六歳くらいの頃に彼を失っている。


 もちろん、転生局の手によって、だ。

 時期的には、鏖殺人の父親、先代ティタンが局長となっていた頃。

 直接手を下したのは、当時の副局長────今の鏖殺人だ。


 そして第二の誤算は、彼女たちが潜伏先に選んでいた地域が、グリス王国の中でもさらに閉鎖的で、異世界転生者を嫌悪している人物が多い場所だったことだろう。

 ユキの拙い記憶と、宮野リンの僅かに残っている記録を繋ぎ合わせると、彼女はグリス王国でも、南部の方を転々としていたと見られている。


 一般人にグリス王国では、王都が国土の北の方にあることも相まって、北部は発展的で、南部は閉鎖的だ、と言われる。

 閉鎖的であるために、南部では旧来の風習や過去の因縁が、現代でもそのまま持ち込まれる。

 彼らは今だに、異世界転生者たちにされたことを忘れてはいない。


 この事実は、決して南部の住人が執念深い、と言っているわけでない。

 歴史上、南部の方が異世界転生者による被害を大きく受けてきた、ということを指している。


 佐藤トシオ亡き後も、その軍勢の残党が南部に潜んでいたことがあった。

 転生者結社の幾つかは、南部で大きなテロを起こしてきた。


 ナイト連邦から流れてきた異世界転生者が、南部で事件を起こしたこともある。

 鏖殺人たちによる監視の厳しい王都を避けるためか、この手の事件は概ね南部で起こってきたのだ。


 人間、自分に関係ないことには悪感情を抱きにくい。

 仮に、異世界転生者が引き起こした被害というものが、佐藤トシオの起こした戦争だけであったなら、時代の流れに合わせて、南部でも異世界転生者への悪感情は消えていったことだろう。

 だが、自分に被害が出たときは、いつまでも────。




 一方、北部では、急速な発展により、その辺りの考え方は徐々に忘れ去られていった感がある。

 というより、王都に物理的に近いことから、転生局や中央警士局の目が行き届きやすい場所である、というのが大きいのだろう。


 かなり初期から、しっかりとした監視網が形成されていたため、異世界転生者は被害を出す前に排除されてきた。

 このため現代では、北部の住人の中で、異世界転生者から直接被害を受けたことがある者はほぼいない。

 出会ったら危険だから不運、というだけだ。


 自分に直接的な被害を与えていない者を、長い間憎むことは難しい。

 時代が進むにつれ、グリス王国国内でも北部を中心に、転生者法の見直しを求めるような意見が出てきたのは、アカーシャ国という成功例があることだけでなく、この心理が関係しているのだろう。

 そして、南部の住人たちが皆、転生者法の見直しに反対していることも。









 こう言い替えても良い。

 グリス王国にやって来た異世界転生者は、二通りの死に方をする。

 北部に行けば、鏖殺人か警士に捕まって。

 南部に行けば、住民に捕まって。


 その南部に、異世界転生者と子どもを作ったという女性が現れたら、どういったことになるか?

 答えは、推して知るべし、だろう。

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