ある看護師の証言 その一
……ああ、荷物はここに置いていいんですよ。今日は休診日ですしね。誰も来やしませんよ。
ええと、お茶でも出しましょうか?え、いらない?そうですか、じゃあ、ええと、何をしましょう。
……ごめんなさいね、何しろ新聞社の取材なんて生まれて初めてで。
ええと、ええと、じゃあ、始めましょうか。
何から話せばいいんですかね?鏖殺人が来た時から?それとも、あの人が来た時から?
あ、自己紹介ですか。……そういえば、まだしていませんでしたね。
えー、私の名前は、鍵野ヨウコです。年齢は、三十二です。
職業は、えー、今更わざわざ口にするのも恥ずかしいんですが、看護師です。
見ての通り、この診療所で働いています。
え?看護師になった理由?何か関係あるんですか、それ?
まあ、隠すほどの理由でもないですし、知りたければ言いますけど。
最初はね、別にここで働こうだなんて思っていなかったんですよ。発展教導院にいる時にね、資格の一つくらいは取っておいた方がいいって担任に言われて、たまたま取れたのが看護師の資格だったってだけ。
まあ、結局就職に困って、看護師の資格に頼ることになっちゃったんだから、その先生には感謝しなきゃいけないんでしょうけど。
最初はね、もっとおっきい病院で働いていたんですよ。だけどね、ちょうど六年前になるんですかね、親の紹介で結婚することになったんです。
私としては結婚してからも働く気だったんですけど、旦那の職場が、当時働いていた病院から遠くてね。新居をどこに建てようかって時になってちょっと揉めたんですよ。
結局のところ、姑が辞めてくれっていうから、私の方が仕事辞めることになったんですけど。
今思い出しても、あの時の姑は憎たらしい顔をしてましたね。ええ、本当に。
そういえば、聞いてくださいよ、この前も姑が昼間っから訪ねてきて……。
(中略)
ええと、どこまで話しましたっけ?前の職場を辞めたあたり?合ってる?
えー、辞めた後はしばらくおとなしく主婦をしていたんですけどね。子供は少し大きくなると託児所に行っちゃうし、何より昼間に家にいると姑がやってくるでしょう?
何とかあれと顔を合わせないいい方法はないかなあって考えていたんですよ。
そんなときに耳に入ったのが、ここの話だったんです。
ここの院長、私の旦那の従兄弟でね。割と若くして独立したんだけど、診療所を建てるのに結構なお金を使っちゃったから、当時は人を雇う余裕がなかったんです。
だけど、さすがに医者一人で診療所を回すの難しい、と。それで、安くても働いてくれる人を探してたんです。
ええ、この時ほど看護師の資格に感謝したことはありませんね。私の資格について話したら、院長の方も是非にって言ってくれて。姑も親戚の悩みだから、断るわけにはいかない。
あの時の姑の顔!あなたにも見せたいくらい!
え?興味ない?
すいませんねえ、この手の話題は親戚の間では話せなくて、つい……。
まあ、そんなわけでここに働くようになって、今年で二年目ってところですかね。そこからは、お話しするほど大事なことはないと思いますけど。
え?ここの診療所は主に何をしているかって?
何ってあなた。診療所なんだから、病気を治しているんですよ。
病気の人が来て、うちの院長が診察して、向かいの薬局からお薬が出る。
院長の専門?さあ、あるんですかね?
この町、あんまり大きな町じゃあないでしょう?専門分野だけ診察するなんて言ってたら、すぐに患者がいなくなっちゃいますよ。
だから、正直何でも屋ですよ。風邪の人もいれば、骨折の人もいる。怪我人もいれば、人生相談がしたい人もいる。
まあ、重い病気になったら別の病院に紹介するんで、正直軽い病気しか診ないんですけどね。さっきの専門の話で言えば、軽症専門ってことになるのかしら。
そんなだから、あの人が来た時も、それ自体は大した驚きはなかったんですよ。珍しくはあったんですけど。
……ところで、この部分、本当必要ですかね?
え、ちょっとした思想チェック?何ですか、それ?
……まあ、いいですけど。続けますよ。
最初にその人が来たのはね、確か、今から三か月くらい前だったかなあ。平日の昼間に、ふらっとやってきたんです。
線の細そうな、若い男の人でね。正直、特徴はあまりなかったですね。
むしろ、特徴がないのが特徴というか。
医者を訪ねてきたっていうのに、痛そうな様子でもなく、辛そうな姿も見せず。
そのせいで、逆に印象に残りましたね。
そうそう、確かその時、私がちょうど受付をやっててね。「何か御用ですか」と聞いたんです。
あまり病気を持ってるようには見えなかったんですね。私、業者さんか何かだと思っちゃって。
ええ、確かその人は、少し困ってましたね。苦笑いを浮かべた後、本当に小さい声で言ってくれましたよ。
「違います、人生相談です」ってね。
これでも看護師ですからね。私もその時点でピン、と来ましたよ。
あ、これは病気の方だな。それも、心が病気になった人だなって。
最近多いでしょう?何でもないことで、ものすごく不安になってしまったり、いろんなことを悪いようにしか捉えられなくなっちゃう人。
病院に来る人で、「人生相談に来た」っていう人は、経験から言えば九割これですね。
心の病、とか言うんでしたっけ。
もう、人生相談っていう単語自体が、そういった病気であることを暗に示しているというか。
看護師の私でも分かったんですから、院長の方も分かったとは思いますよ。
最近の医者の間では常識らしいですし。
うちはそれの専門じゃないんですけど。さっき言ったように、軽症専門ですからね。
だけど、まあ、とりあえず見てみようって話になったんだと思います。その人が診察室に入っていくの、はっきり覚えてますから。
まさかね、人生相談に来たっていうその人が、心の病じゃなくて、残りの一割の方だなんて思ってなかったんですよ。
ええとね、次の話に移る前に、説明をしておきたいんですけど。えーと、記者さん、あちらを見てくれます?
あのテーブルがね、その時の私が座っていた受付。まあ、その時だけじゃなくてずっと座ってるんですけどね。小さな診療所の看護師なんて、それこそ何でも屋ですから。
それで、まあ、壁があるから見えないんですけど、あの受付の奥が、診察室になってるんです。
そうです、ええ、受付の隣にある扉から入って。
それでですね、あんまりいいことじゃないんでしょうけど、あの壁──診察室と受付を仕切る壁って、結構薄いんですよ。後で確認してもらったら分かると思うんですけど。
どのくらい薄いかって言うとね、本当に、声なんて素通りになっちゃうくらい。
それで困らないのかって?
まあ、本当は困るんでしょうけど……あんまり、自分の病気について大声で言う人っていませんからね。
声が通るといっても、さすがに待合室─いま私たちが座っているところですけど─までは届かないんですよ。
今のところ、苦情が来たこともありませんし。まあいいんじゃないかって、放置されてますね、はい。
……ええそうです。
つまりですね、私が言いたいのは、その患者さんとうちの院長の会話を、受付に座っていた私は聞くことができたってことなんです。
盗み聞きっていうと、語弊がありますかね。勝手に聞こえて来るんですから。
私の方も、だいたいの話は聞いてもすぐ忘れますし。
ただね、その人の話は、珍しく忘れなかったんですよ。
後で鏖殺人がうちに来た時、すぐに思い出せたくらいですから。
具体的にはどんな話だったかって聞かれると難しいんですけど……。えーと、大部分は、夢の話、でしたかね。
その患者さんが、ここ最近何度も同じ夢を見ていて、困ってる。なんかの病気なんじゃないかと自分で自分を疑って、ここに来た。
大筋は、こんな話でしたね、はい。
夢の内容?えーと、荒唐無稽な話だと聞きながら思ったくらいなんで、正直あまり覚えていないんですけど……。
確か、自分が見たこともない場所で働いている風景、でしったけ。
自分とは顔も年齢も違う、だけど確かに自分だと分かる人物が、ここよりももっと大きい場所で働いている。金属の塊みたいな建物の中にいて、見たこともない服を着込んでいる……。
夢って普通、自分が知っているものしか出てこないでしょう?
何で見たことがないものが夢の中に出てくるんだろうって、本人も不思議がっていましたよ。
それから、んー、何がありましたっけね?
「馬の居ない馬車」とか、「大きな金属の鳥」とか、とにかく変な話が多かったですよ。
聞いてる私も、途中から訳が分からなくなっちゃったのを、よく覚えてますよ。
話している本人も、何でそんな夢を見ているのか、訳が分からない様子でしたけど。
ただ、ね。
その人が言っていたのは、夢の内容が奇抜だっていうことよりも、その夢があまりにも生々しいってことだったんですよ。
記者さんも、不思議に思うでしょ?
そんな変な夢が、どうして生々しいんだって。
だけど、その人は何度も言ってたんです。
どうしても自分には、その夢が実際に体験したことのようにしか思えないって。
夢の中に出てくるものは、確かに存在していると、肌で感じられるって。
それから──ともすると、今いる現実こそが夢で、あの夢の世界こそが、自分が生きている、生きるべき本当の世界のように感じられるって。
こうやって話していても、変な話ですけど……。ええ、本人は、本当に真剣でしたよ。
それこそ、鬼気迫るっていうんですかね。
……だからかもしれないなって、私、思うんです。
後からね、鏖殺人が「あの患者は異世界転生者だった」って言ってきた時、院長も私も、たいして驚かなかったのは、それが理由なんじゃないかって。
何というか、ものすごい説得力があったんですよ。




