十五話(二章 完)
──相も変わらず、早馬の乗り心地は最悪に近いな。
そんなことを考えながらも、鏖殺人は器用に手綱を動かし、王都への帰路を歩む。
上半身はがくがく揺れ、一分に一度は枝が顔のすぐ隣を掠めるが、もう鏖殺人にとっては慣れた光景だ。
それどころか──彼には、暇に任せて、今までのことを振り返るほどの余裕があった。
──あの少年の手紙が引き金になったのは間違いないな。まあ、あと少ししたら、どの道向かう予定だったが。
かつて異世界転生者が住んでいた家は、定期的にチェックをしなくてはならない。
しかし、定期的とはいっても、そのチェックは頻繁に行ってはいない。数年ごとに行う、と言ったレベルだ。
理由は簡単。人員が足りない、ただそれだけ。
記録に残っているだけでも、異世界転生者が住んでいたことのある家、というのは結構な数がある。いちいちチェックして回っては、変に時間を食う。
そんな自分たちに対して、久しぶりにチェックを行おうと思わせたものが、あの通報者の手紙であったことは間違いない。
事前調査で、そこに住んでいる者が異世界転生者でないことはほぼ証明されたが、実際に会わなくては確証を得ることはできない、ということもある。
だが、この段階では鏖殺人が出張るほどのことではなかった。
必要なのは、カケルとか言う少年の家の調査を少し行い、その後彼に免罪符を渡すだけ。
万一本当に異世界転生者だったなら、引き返せばいい。
だからこそ、副局長の白縫を送った。
この時点では、鏖殺人の手を煩わせることではなかったのだ。
──だとしたら、なぜわざわざ学校に向かわせたんだ?
数日前のことを思い返しながら、鏖殺人はふと疑問を覚える。
基本的に、終わった事件のことはすぐに忘れてしまうので、簡単なことでも、後から説明を求められると詰まってしまう。
さすがに全て忘れてしまうとまずいため、今のように時々振り返るのだが。
彼の目的を果たすだけならば、直接家に行った方が早いはずだ。
実際のところ、その時家にはランという少女しかいなかったので、行っても免罪符を渡すことはできなかったと思うが(ランがそれを捨てる危険性がある)、だとしても、カケルの下校時刻まで待てばいいだけの話だ。
あんな風に学校に現れても、無駄に警戒させるだけで──。
──いや、むしろそっちが目的だったか?
不意に、当時の自分の思考回路が蘇ってくる。
通報者の手紙には、普段両親が出稼ぎで家にいないことも記してあった。
手紙をもらった当初の自分たちとしては、通報者の子ども(さすがに文字でそれは分かった)が、どれくらい頭がいいかは知る由もない。
子どもしかいない家に押し入って、彼らに免罪符を与えたとしても、その価値を知らずに捨ててしまったり、あるいはまだ子どもであることから、両親にそれを渡しても、子どもが作った偽物と思われてしまったりすることを、危惧したのではないか。
だからこそ、わざと通報者の通う学校にまで赴いて、白縫は自己紹介をした。
転生局の存在を感じ取れば、目当ての子供は親にその存在を知らせる。
そうすれば、親がエドルの村に戻ってくるので、転生局としても安全に免罪符を渡すことが出来る。
エドルの村にある基礎教導院は一つだけ。迷う必要もない。
加えて、あそこで紹介をしておくことで──。
──他に異世界転生者がいた場合の、備えもしたのかな。
異世界転生者がかつて住んでいた家は、他の異世界転生者の根城になることがある。
そして、潜伏している異世界転生者というのは、一人とは限らない。
異世界転生者がそういった場所を根城にするというのなら、彼らの住みたい場所が重なってしまうことだってあり得るはず。
その家に複数の異世界転生者が潜伏している可能性は、実のところかなり高い。
通報者の手紙には妹のことしか書かれていないが、他の異世界転生者の存在が否定されるわけではない。
だから、白縫は朝から村の各所に挨拶回りに出かけた。
おそらく、白縫は子どもたちに挨拶した直後、教室から去ったのだろう。
その足で他の場所にも自分の存在を伝えに行って、過剰な反応を起こすものがいないか確かめたのだ。
結果から言えば、異世界転生者たちが手を取り合い、村に潜伏している、というのはなかった。
過剰な反応を返して家に帰ったのは、通報者と思しき少年だけ。
かつ、その少年の妹は、まず間違いなく異世界転生者ではない。
だが──潜伏している異世界転生者自体は、実在した。
──おそらく、挨拶回りの後、白縫は基礎教導院で成績表を見せてもらったんだろうな。
だんだんと思い出してきた鏖殺人は、思考の流れを早める。
学生の成績表を見るという行動は、再誕型異世界転生者を見つけるための基本である。
──あの少年は、妹が天才すぎるから、ということで、彼女を異世界転生者だと思い込んだようだが……。
実際には、そういった風に天才性を示す異世界転生者は、あまりいない。
真似しようと思ってもなかなかそれができない赤ん坊の頃や、まだ転生者法の存在を知らない頃に、変に大人びた言動をとってしまう者はいる。
しかし、一度転生者法のことを知れば、大抵のものは自分の特徴を隠し、何とか普通の人間としての自分を演じるようになる。
見つかれば殺されるのだから。
この世界の制度に順応した者はもちろん、鏖殺人に反逆し、生き延びてやろうと考える者でも、普通は魔法を習得するまでは本性を隠す。
相手がよほどの間抜けでない限り、「天才児を見つけたら異世界転生者だった」という事例は成立しないのだ。
むしろ、多いのは度を過ぎて頭が悪い子どもを装う場合。
賢いのならともかく、馬鹿だというのなら、疑われることはないはずだ、と計算した末の行動なのだろう。
今朝殺した子どもも、そうだった。
彼の親は、この子どもは他の子よりも頭が悪いくらいだから、異世界転生者だというのはあり得ない、と主張した。
だが、白縫の調査によれば、その子どもは決して、あらゆることが出来ないわけではなかった。
ただ、他の子どもよりも遅いだけ。
幼少期からの成長記録──診療所に定期健診の記録が残っていた──によれば、同世代の子どもが出来るようになってから、それが出来るようになる。
おすわりも。
ハイハイも。
言葉を話すことも。
宿題の計算すら。
だが、その遅れ方はあまりにも規則正しすぎた。
普通、子どもというのは一直線に成長するものではない。
あることは他の子どもより早く出来ても、他のことは著しく劣っていたり。
一時期出来ていたことが、次の日には出来なくなっていたり。
ジグザグと、進歩と退行を繰り返して成長していくのだ。
だが、あの子どもの成長の仕方は、遅くはあっても退行することがなかった。
一度見につけたことは、以後は忘れることなく常にできるようになる。
他の子どもが、少し調子が悪くて、普段出来ることが出来なくなっても、その子は忘れることがない。
だが、出来ない子の方が多い授業の時は、思い出したように出来なくなる。
周囲を見て成績を決めているのでは、という疑問はすぐに生まれた。
これこそ、再誕型異世界転生者の特徴の一つである。
本来、この偽装を見抜くのはなかなか容易ではない。
本当に、何らかの理由で成長が遅い子どもの時だってある。
一般的な子どものデータと、疑わしい子どものデータ。
それらを時系列順に並べ、何時間もグラフと見つめ合って、ようやくわかってくるような代物なのだ。
だが、その手のことに関しては、白縫の能力は常人の比ではない。
恐らく、さして時間もかけずに、副村長の家が怪しい、と気が付いたのだろう。
そうなると、この案件は白縫の手には余ることになる。
基礎教導院に通うくらいの年齢に達している再誕型異世界転生者であれば、早い者は魔法を発現させている頃だ。
それが強力なものであれば、戦闘に向いていない白縫では、万が一、ということがある。
──だから、すぐに帰って俺を呼んだんだな。
もしかすると、早く両親を呼ばせるために、少しの間は通報者の家で鎌をかけはしたかもしれないが、そう長くはそこにいなかっただろう。
そしてここからは、鏖殺人としてもまだ覚えていることになる。
今朝早く、まだ日も登り切っていない頃に、鏖殺人はエドルの村についた。
正直なところ「転生憲章」の契約更新が迫る中、隠れる以外に能がない異世界転生者のことなど、数か月放っておいても大丈夫だと感じていたが、いると思分かった以上は向かわなくてはならない。
鏖殺人にとって幸運だったのは、対象となった異世界転生者が、頭脳明晰とは言い難い人物だったことだろう。
尤も、家の朝早くに押し入り、寝起きで受け答えさせるという状況を作ったのは鏖殺人の方だが。
──それにしても、あんなに簡単に行くのも珍しい……。
鏖殺人がしたことは極めて単純。
以前殺した移動型異世界転生者の所持品である、「スマートホン」とか言うものを見せただけ。
それだけで、異世界転生者は多大な反応を示した。
まず、「何でここにスマホが!?」と叫び。
次に、鏖殺人からそれをひったくって、しげしげと眺め。
最後に、「この世界にこれが……」と、懐かしそうに呟いた。
確定だった。
一応最終確認として二、三質問はしたが、その時にはもう刀を抜いていた。
普段ならこれで終わりとなるのだが、鏖殺人にはもう一仕事あった。
昨日白縫が渡せなかった免罪符を抱え、通報者の家に向かうこと。
あの少年の母親が既に帰ってきていたこともまた、鏖殺人にとっては幸運と言えるだろう。
結果から言えば、待ち望んだ免罪符を渡す瞬間を、あの母親は見逃すことになったが、「鏖殺人が訪れたにもかかわらず、娘が生きている」という状況から、息子の持ってきた免罪符のことは信じてくれるだろう。
ただ一つ、不運だったことは、あの少年に説明を求められたことだろうか。
あの時、鏖殺人の荷物袋の中には、朝殺した子どもの死体を入れてあった。
無理やり詰め込んだせいで、米俵ほどの大きさになっていたが。
ここのところ、朝でもかなり気温が高い。
できれば、それが腐りだす前に帰りたかった。
しかし、あの少年の疑問を何も解決しないまま帰るというのも問題だ。
あの少年が、この状況に相当に困惑していた場合、母親が起きたとしても、現状を的確に説明できないかもしれない。
その場合、せっかく渡した免罪符を「罠かもしれない」などと言い出して、捨ててしまいかねない。
そうなれば、転生局としてもまたあの家に赴く必要が出てくる。
余計な仕事を増やさないためにも。あの場で説明しておきたかった。
だから、あの少年の話を聞き、疑問に答えた。
先ほど殺した子どもの死体を、傍らに置いて。
──彼は今、どうしてるんだろうか?
予想よりは数段理解力があった、カケルとか言う少年のことを、ふと思い出す。
免罪符片手に、母親に説明をしているのだろうか。
あるいは、副村長の家に向かい、衝撃を受けているのだろうか。
どちらにせよ、自分には関係のないことだ。
そう思って、鏖殺人は思考を打ち切る。
人間であれば、どんな悪人でも守り。
異世界転生者であれば、どんな善人でも殺す。
それが、転生局の指針。
そして、使命とされているもの。
副村長の家の子どもは、異世界転生者だったから、何もしていなかったが、殺した。
カケルとか言う子どもは、人間だったから、基本的に優しく接したし、激励もした。
ただ、それだけのこと。
「…………タン、さーん!」
鏖殺人の耳が突然、聞きなれた声を捕まえる。
顔を上げてみれば、鏖殺人はもう王都の中に──国家理事会の敷地すぐそばに来ていた。
慣れた道のりだったので、無意識に馬を動かしてきたのだが、既に着いていたらしい。
正門の近くには、車椅子の影が見える。
鏖殺人はその姿を認めると、早馬を止め、背負った死体を一度地面に投げ捨てた。
それから、馬を落ち着かせた後、面倒くさそうに死体を拾い、つかつかと歩き始めた。




