二話
朝の冷え込んだ空気を突っ切り、エリカは局長室の扉を開く。
勿論、傍にはイムが控えていた。
入室してすぐにすうっと息を吸い込み、挨拶を口にする。
「おはようございます、剣崎局長」
「ああ、おはようございます、エリカ姫」
流れるように放たれた揶揄い言葉に、出勤早々エリカは口を尖らせた。
「姫はやめてください。確かに昔はそんな呼ばれ方をしていましたが、今の私は天司顧問……貴方の上司なんですから」
「もちろん、承知していますよ。ただ、顧問の子ども時代を知っている身としては、どうしても顧問が小さなお姫様に見えまして……」
この十年でずいぶんと薄くなった頭に手を添えながら、剣崎はカラカラと笑う。
罪悪感を全く感じさせない彼の様子を見つめて、エリカは一人息を吐いた。
この人物の名前は、剣崎カイゾウ。
現在の転生局局長であり、昔からエリカも世話になっている人物だ。
例年の転生憲章に関する会議では、鏖殺人と丁々発止のやり取りを繰り広げるなど、優秀な人物である。
しかし一つだけ……何時まで経ってもエリカを子ども扱いするという欠点があった。
正直エリカもうんざりしているのだが、恩ある人物でもあるため無碍にはできない。
結局、キリの良いところで仕事の催促に話題を移した。
「……呼び方はともかく、仕事をください。例の殺人事件について……」
「いえ、そちらはもう大丈夫ですよ。例の犯人、黙秘を止めて色々と話し始めたようです。もう貴女の手を煩わせることはないかと」
思いがけない報告を受け、一瞬エリカは動きを止める。
ここ最近のエリカは、殺人犯・桧山ゲンゾウが黙秘を続けていたせいで、釈明会見や事実確認などの仕事で忙殺されていた。
犯人本人が何も言わないものだから、かつての雇い主である天司家の意見を聞こうとする記者が多かったのである。
しかし剣崎の言うことが正しいなら、エリカはもうそんなことはしなくてもよくなったことになる。
犯人が自供してくれれば、世間の注目はそちらに向くだろう。
「それ、本当の話ですか?本当なら、喜ばしいことですけれど」
「向こうの中央警士局局長から直々に言ってきたことですから、間違いではないでしょう。ただ……」
剣崎はそこで語尾を濁し、柄でもなく深刻そうな表情をした。
何だろうと思っていると、やがて彼は傍の机から一枚の手紙を取り出す。
「その通知と同じくして、向こうの転生局から伝書カラスが来ました……内容は、自らお読みになった方がいいかと」
彼にしては珍しい、はっきりと結論を述べない話し方だった。
怪訝に思いながらも、エリカはその手紙に目を通す。
内容は、このような物だった。
「拝啓
アカーシャ国中枢統御会議所属特別機構『転生局』顧問 天司エリカ殿
樹木の枝を眩い青で彩っていた若葉もいつしか紅に染まり、朝夕は冷たい北風が吹き抜けるようになった今日この頃、天司顧問はいかがお過ごしでしょうか。
グリス王国内では、国民を恐怖させた連続殺人事件もようやく解決。
しばし騒然としていた国家理事会も、何とか落ち着きを取り戻しているところです。
私個人といたしましても、未だ至らぬ身ではありますが、事件解決に置いて幾らかの助力は出来たのではないかと思っております。
何にせよ、グリス王国内の動乱は終わり、お互いに余裕が出てきた頃なのではないでしょうか。
そこで、提案があるのですが……。
以前、私の急病により途中閉会をしてしまった転生憲章の改定会議。
司会役として、あの会議の再開を企画したいと思います。
当初は、来年度における再開催を目標としておりましたが……私の体調が十分に回復したことから、今年度中に再開催をしたいのです。
ただし、前回のようにマーズ大書院を借り切る必要はありません。
残された議論自体はごく少ないのですから、転生局局長同士で面談を行い、残された課題を決着させることにしましょう。
この冬には元々、グリス王国転生局によるアカーシャ国の視察が予定されておりました。
それと合わせて会議を再開させることで、より建設的かつ効率的な議論が行えるだろうと愚考しております。
先日の天司顧問のグリス王国訪問が、殺人事件の影響で中止になったことも、この機会にお詫びしたいと思いますから。
この案に賛同いただけるのであれば、手紙を運んだ伝書カラスにその旨をお書きください。
賛同いただけない場合は、恐れながら代案をご連絡いただきたいと思います。
双方の明るい未来のために、素早い判断を期待いたします。
敬具
グリス王国内務省所属平和庁直属特務機関『転生局』局長 ティタン」
「えーと、これはつまり……」
「会議の再開を名目として、鏖殺人がこちらに殴り込みに来るということです、お嬢様」
剣崎よりも早く、エリカの傍に控えていたイムが状況を整理した。
なまじ分かりやすい言葉で語られた分、すぐに理解できてしまい、エリカは一気にげんなりとする。
「丁寧なことに、連続殺人を解決しただの、以前のお詫びとしてこちらを訪ねるだのと、色々理由を付けていますね……」
手紙の中では丁寧な表現に置き換えているが、要はそれぞれ「天司家が生んだ殺人犯を捕まえてやったんだから、こっちの要求ぐらい呑め」「あくまで謝罪の意を示すだけだから、まさか断りはしないよな?」という意味を持つ。
鏖殺人の真意を知れば知るほど、文章の丁寧さが不気味になってくる手紙だった。
「どうしましょうか、天司顧問。個人的には、受けても受けなくても面倒くさい話になると思いますが……」
剣崎が顔をしかめ、首を振りながら問いかけてくる。
彼が鏖殺人の来訪を渋っているのには、それなりの理由があった。
今まで、何度か歴代ティタンによるアカーシャ国への視察が行われたことはあるのだが、その全てが無事には終わっていないのだ。
ある時は、ティタンに恐怖する異世界転生者が彼に襲い掛かって騒動になり……。
ある時は、「人の翼」がティタンを殺害するチャンスだと判断したのか、いきなり保護施設を襲撃して……。
またある時は、ティタンの発言に激怒したアカーシャ国の職員とグリス王国の職員が乱闘になり……。
異世界転生者に対する扱いが天と地ほどに違う両国の幹部が会見するのだから、無事に終わらせることが難しいとは言え、それにしても酷かった。
とにかく、何かと問題がある行事なのである。
特に今回はただの視察ではなく、転生憲章に関する会議までセットになっている。
第六十六条の議論を再開するとなれば、向こう側からの執拗な攻撃はより密度を増すだろう。
アカーシャ国転生局としては、頭が痛い話だった。
かといって、断ってしまえばそれはそれで鏖殺人の機嫌を損ねる。
結局、エリカはうんざりした顔のまま結論を出した。
「向こうがこう言ってきている以上、仕方ないですね。粗相がないよう、迎え入れる準備をしましょう」
「承知しました」
剣崎としても結論は見えていたのか、取り乱すこともなくエリカの返答を受け入れる。
そのまま彼は、局長室を離れて部下たちの執務室へと向かった。
鏖殺人の襲来……ではなく、鏖殺人の視察に備えて、準備に入ったのだろう。
「仕事が一つ消えても、また一つ仕事が出てくる……キリがないわね、イム」
「そうですね。ですが、それが私たちの使命でもあります」
局長室の椅子に勝手に座り込み、エリカは現状を嘆く。
エリカがこの立場になったのは三年前だが、就任以来心休まる状況になったことがない。
流石に鏖殺人のように、異世界転生者と命のやり取りをする訳ではないが……ここの仕事も、十分に殺伐としている。
そうやって通常業務もせずにぶつぶつと愚痴を言ったところで、エリカはとあることを思いついた。
「……そうだ、イム。朝から暗い気分でいるのもアレだから……気分を明るくさせるために、ちょっと会いに行ってもいい?私の……『家族』に」
「……またですか」
口にした瞬間、隣でイムが露骨に嫌そうな顔をする。
「確か、一ヶ月前にも会っていませんでしたか?」
「一ヶ月待ったのならいいじゃない!普通の家族なら、毎日会うものでしょう?」
「確かにそうですが、彼らは普通の家族という訳では……」
「お願い!」
エリカが子どものように両掌を合わせて拝むと、イムはしばらくそれを無言で見つめた。
しかしやがて、はあっと大きく息を吐く。
「いいでしょう。行っても良いですよ」
「やった!ありがとう、イム!」
途端にエリカが顔をパアッと輝かせたのを確認して、イムはもう一度渋面を作った。
彼女は無駄だとは理解しつつ、一応忠告もする。
「……彼らはお嬢様の本当の家族ではないのですから、気を許しすぎないようにしてください。彼らは、あくまで…………この施設で保護された異世界転生者たちに過ぎないのですから」
「分かってるって……」
絶対に分かっていない口調で了承してから、エリカは駆けだしていった。
転生局本部の隣────異世界転生者保護施設へ。




