その1
最後に訪れた街、スーフーガイを慌ただしく出発してから、10日が過ぎた。
あの後、キブノとの国境近くまで進んだ俺たちは、そこで船を乗り捨てた。極光甲冑に乗り込み、機材は完全密閉したコンテナに入れ、引きずりながら川底を進んだ。
どんなに水が澄んでいようが、夜の川底までは見通すことはできないことは知っている。夜間にキブノの河川警備隊の警戒網をくぐり抜け、水中柵を避け、無事ここまで辿りつくことができた。
ここは帰還ロケットが沈んでいるビセン湖を望む山々の一つの麓、そこからさらに3キロメートル離れた森の中にある、小さな湖のほとりだ。ここにテントを張って過ごしている。
国境近くのこんな鬱蒼とした山奥の森の中に、わざわざ入ってくる者はいないだろう。とはいえ、警邏するキブノ兵を警戒して、たき火やランプなどの明かりは厳禁としている。
そんなわけで、冷たいシチューの缶詰とブルーベリージャムを塗った乾パンだけがここでの食事だ。そりゃまあ、ライム果汁入りの薄い塩水と砂糖で固めたビスケット一欠片で1週間ほど戦場に出させられる体験よりはマシなものの、この辛い状況に素人の二人――特にマリアンはよく頑張っている。最初こそ乾パンのあまりの固さに眉をひそめていたが、今は、ハムスターのように黙々と前歯でそれをかじっている。
「食事は終わったか。口をゆすいだら行こう」
「はいよ」
「了解じゃ」
俺が言うと、短い返事とともにマリアンとリリは登山の準備を始めた。山頂で発射台の偵察をするためだ。
脳のナノマシンの都合で離れるわけにはいかないので、三人一緒に毎日山登りだ。夜になれば見張りが要るので、交代で二人起きて一人寝る。時には、一晩寝ず過ごした後、標高1000メートルの山を3時間で登ることになる。
見張りやすい山頂にテントを張らず、わざわざ毎日登山するのは、シジャン博士の極光甲冑を警戒してのことだ。極光甲冑の目は望遠鏡のような機能を持っている。
そうでなくても、キブノ湖から見て視界に入る山は、キブノ兵が偵察してくる可能性がある。山から少し離れた場所にテントを張るのが安全というわけだ。
マリアンから提案された作戦に、こういった体力的にきつくなる修正を加えたのは俺だが、二人とも文句も言わずに従ってくれている。
今、リリは藪の中に隠れ、双眼鏡をのぞき込んで発射台の様子を窺っている。マリアンはリリの報告を元に、発射台の地図を書き起こし、修正している。
「うん、やっぱり今日の夕方には出発しそうだ。昨日、足場と入れ替わりに大量の梯子を運び入れていたろ。それを今日にはもう運び出しちゃってる。まだ覆いがあるけど、これ、発射直前まで取らないんじゃないかな」
「リリの見立て通り5日で完成か。さすがはリリだな」
「ここまでピタリと当たったのは、たまたま、だよ」
「ちょっと自分にも様子を見させてくれ」
戻ってきたリリから森林迷彩柄のコートと双眼鏡を受け取り、同じように藪の中に隠れて発射台の様子をうかがう。
風でめくれる布の覆いの隙間から、ぬめるように光る外装が見える。極光甲冑と同じだ。外形は先が細い円筒状のように見える。そこは、子どもの頃、絵本で見た20世紀級のロケットと変わりない。大きく違うところは、ジェット噴射器のあるはずの根元が湖に沈んでいることだ。もちろん、水に浸かっているのはエネルギー充填のためだろう。
そのロケットの沈む湖を取り囲むように、灰色のコンクリートの城壁が立っている。厚みは5メートルほど。中は中空で、廊下があるようだ。証拠に中から銃を撃つための小窓、銃眼らしきものが壁に転々と空いている。
見た目こそ立派なコンクリート製だが、リリに言わせれば急ごしらえで見かけ倒しの建物らしい。鉄筋ではなく、木材が芯になっている上、コンクリートの流し込み方が雑なんだそうだ。いざというときには、リリの土木技術に頼って、一気に破壊する手も使うかもしれない。
「とにかく、発射台完成までに準備と移動が間に合って良かったのう」
「そうだな。あとは、ロケット発射は夜になるという目論見が当たればいいんだが」
このキブノ湖から流れる河の下流、そう遠くは離れてはいないところにキブノ配下の大きな街がある。目立ったことをして、このロケットの存在をキブノは知られたくないはずだ。俺だったら夜を選ぶが、キブノもそう考えてくれるかどうか。
「当たろうが当たるまいが、発射がもうすぐということなら、下山して極光甲冑に乗り込まねば作戦のスタートラインにも立てぬ。出発を急ぐべきじゃ」
マリアンの言葉にリリと俺はうなずき、いつもより早く下山を始めた。
ここ1週間、二人と交わしたのはこういった事務的な会話だけだった。最後の街で俺が話そうとした嘘物のメートル原器のことは訊いてこなかった。二人とも、俺が言い出すのを待っていたのかもしれないが、ついに、作戦開始の時を迎えてしまった。
◇ ◇ ◇
日が落ちる前に、俺たちは元のテントに戻ってきた。襲撃の準備が終わった後、湖に沈めておいた極光甲冑を皆で引き上げた。
湖畔にうつぶせになった極光甲冑の前に三人、横に並んで立つ。
左右を見やる。お互いの顔を見られるのも、これが最後になるかもしれない。
「リリ、行こう。入って横になってくれ」
「ああ」
リリが治療器を開け、治療器の中に入った。次は、マリアンが足が邪魔にならないよう、リリにまたがるようにして入る番だ。
だが、マリアンがその場に立ったまま動こうとしない。首をかしげようとしたとき、突然、マリアンがジャンプして俺に抱きついてきた。
「絶対、わしら三人とも生き残るぞ。
特にヤマルは、嘘物のメートル原器の話をするまで死ぬな」
死ぬな、か。本当に死ななかったら――そのときこそ、話すべきだな。
俺はマリアンの体を強く抱きしめた。しばらくそうしていたが、向こうから離してくれなさそうだったので、少々強引に引きはがして告げる。
「君たちの体を元通りにするまでは、生き残るさ」
マリアンは少しだけ泣きそうな表情になったが、すぐにくるりと回れ右をして、無言で治療器に入り、寝転んだリリの胸元にしがみついた。
その格好を見て、乳離れできない子どもみたいだと口を滑らせ、リリとマリアンの両方に蹴飛ばされた記憶が、妙に懐かしい。
マリアンの背中を押しながら、覆い被さるように治療器に入る。
例のワイングラスを弾くような音とともに、扉が閉まった。
首の後ろを、暖かいものが覆った。感覚と大きさからしてリリの手のひらだろう。
いつもは手をだらりと下げていたはずなのに。
中は微かな明かりもなく、目も慣れないはずなのに、リリが俺の顔をじっと見つめていて、その瞳が潤んでいると分かった。見えるはずのない瞳を、こちらもじっと見返す。
胸元でマリアンが息を吸い込んだ。
『起動! 自動装填開始!』
『自動操縦、最も近い水場に移動、保護水自動作成』
今は意味も分かり聞き慣れてきた、女性の冷えた声とともに、治療器の内壁がふくれあがり、極光甲冑が起き上がった。いったん湖の中に潜り、エネルギー充填を充分してから、再び山を登ることになる。




