その3
夜の水中は、本当の暗闇だ。そんな中、船底を抱きかかえた格好の極光甲冑を、自ら縛り付け、固定する作業をリリが完了した。
「リリ、お疲れさまじゃ」
「水中で極光甲冑から出るのはまだ三回目だよな? マリアン、気をつけろよ」
「入るときよりは簡単じゃ」
「慣れたと思ったときが一番怖い。手順を確認してから出てくれ」
リリが、事務的な注意とともに、外に出るときの体の動かし方を思い浮かべてみせた。
「了解じゃ。では、出るぞ。カウントダウン開始」
「10」「9」「8」……
リリ、マリアン、俺の順に数字を言っていく。
……「1」「ゼロ! 治療器、外壁・強制解除。内壁・強制解除!」
女性の冷えた声と共に視界がぼやけ、続けて冷たい水の感覚が体中を覆った。
ゆっくりと目を開くと、目の前にリリの顔があった。彼女の肩をそっと押して治療器の外に出て、そのまま浮上する。
今夜出ている月は一つだ。それなりに明るい。船の脇に降りている梯子もよく見える。その梯子で船の上にあがり、同じように梯子を登ってきたマリアンの手を引いてやる。
「すまぬな」
「リリはどうした?」
そう言った矢先、水音とともにリリの銀髪が浮かび上がった。そのまま、ぷかぷかと水の上に浮かんでいる。
「どうかしたか?」
そう声をかけたが、リリは返事もせずゆっくりとした動きで泳ぎ、梯子をつかんだ。
礼を重んじ、機敏な所作を以て良しとする型の技士らしからぬ様子だ。
「リリッ!」
そのリリの体がつるりと梯子から滑り落ちた。慌てて救命うきわを投げる。
いや、ちょっと滑っただけだと思うから大げさだとは思うが……。
果たして、リリはすぐに水上で顔を上げると、うきわを肩に通し、梯子を上ってきた。
が、梯子を登り切るなり、甲板に寝転がった。
「マリアン、手を貸せ!」
マリアンがリリの体を起こし、肩を貸したが、リリはすぐに自分で立ち上がった。
「大丈夫だ……ちょっとふらついただけ。でも、悪いけど、出発する前にちょっと休ませてくれ」
そう言って救命うきわを置くと、ふらふらとキャビンの方へと歩いて行ってしまった。
「マリアン、リリの体を拭いてやれ。扉の鍵は閉めろよ」
「了解じゃ!」
バタンとキャビンの扉が閉まったのを見て、俺も体を拭くことにした。
まだ河の下流にいるはずだが、水はそれほど濁ってはいないし、臭いもない。
俺たちはマリオペラを出たあと、次の街へ同じように極光甲冑で泳いで移動し、そこで小さな木炭蒸気船を調達することができた。小さな、と言っても、四、五人は寝泊まりできるぐらいの施設を備えた全長12M、全幅4メートル半ほどの立派なクルーザーだ。
こんな立派な船を借りられたのも、申請書を書いたマリアンの綺麗な図版と筋だった論理のおかげにちがいない。
俺が出した報告書の方にも、返事が来ていた。まあ、『極光甲冑を見た』という意味のことを報告して、軍部がほうっておくはずがないし、マリアンが手伝って描いてくれた図も軍の危機感を煽るのに効果的だったと思う。
おかげさまで、30日の期限付きだが、シジャン博士とキブノの襲撃に関する調査および追跡に従事していいことになった。
もっとも『リリとマリアンの両技士を監視し、動きを報告しろ』と面倒な任務が追加されていたし、装備の供給は最低限しか許可されなかったので、差し引きマイナスの気分だ。
なんにせよ、必要な部材と公的な活動許可を得た俺たちは作戦通り川上りを開始した。ただ、水の流れに逆らって進むのは時間がかかるものだし、おまけに船底に極光甲冑がはりついているから、余計に遅くなってしまう。借りた船も長期の水上実験用の船で、スピード重視の船じゃない。夜間にも船を進ませないと作戦時間に間に合わない可能性がある。
人目のない夜間に、水中で極光甲冑を使ってボンベに分離した酸素と水素を溜め、ある程度作業したら船を進ませるつもりだった。
だが、この様子だとリリはしばらくは動けない。船の操舵方法を知っているのはリリだけだ。夜に船を進めて時間を稼ぐのは無理そうだ。
どうしようかと思いを巡らせていたら、リリとマリアンがキャビンから出てきた。
「ごめんな、心配をかけた」
「やはり、魔術を長時間使って疲れておるようじゃ。リリは、今日はすぐに寝た方がよかろう」
「悪いけど……お言葉に甘えさせてもらうよ」
「これだけ頑張っていて甘えるもない。ゆっくり寝てくれ」
リリは黙って手を振ると、そのままキャビンの中へと戻っていった。
扉が閉まるのを確認してから、俺とマリアンはキャビンの上に登り、備え付けのテーブルに向かい合って座った。
リリを起こさないよう、お互い顔を少し寄せ、小さな声で話す。
「極光甲冑の中にいても、魔術による分解作業には相応に精神力を使うようじゃな」
「元より、昼の運行は自分らがリリに教えてもらう予定だったがな。問題は夜間だ」
「夜に水素を溜める作業と船を運転する作業をリリにまとめて頼む、というのは無理じゃろうな」
「となると話は単純。方法は二つだ」
「多少到着日が遅れても仕方ないと諦めるか、リリ抜きでも――」
「遅れるのを諦めるという選択肢はない。先に帰還ロケットを出発されて後悔したいのか?
リリ抜きで夜間に船を進ませる方法を考える」
目を見開いたマリアンに続ける。
「方法は二つ。自分とマリアンが船を運転するか、他の誰かに運転させるか、だ」
「まあ、そうじゃが……技術再現本部と軍部、いずれに頼んでも、派遣されてきた人物は信用できんじゃろ」
「そうだ。消去法で、自分とマリアンが、船の操舵方法を覚えるしかない」
ううー、とマリアンがうなる。
「わし、船自体、ほとんど乗ったことなかったんじゃぞ。今も酔い止め抜きじゃ乗ってられんほどじゃ」
「自分だって酔い止め薬は飲んでる」
「それにしても船がどう動くかなんぞ、理論上のことしか知らんぞ」
「理論知っているのか。すごいな」
「いや、わしのおさげはそっちキャラじゃない」
「そっちキャラ?」
すまん。意味が分からん。
「とにかく、技士が情けないぞ、マリアン。学習し続けることが、この惑星で生き残る唯一にして最良の手段だ。それを体現したのが技士だ」
「それにしても数日以内に、夜間の航行を覚えるというのは……」
「できなくてもいい。船を壊さない程度にやってみるしかない。分かってくれるか?」
マリアンは、じとりと俺の顔を見ていたが、やがてため息をついた。
「わし、ヤマルのことは、こうして会うまでは大人しくて控えめな人物じゃと思うておったんじゃがなあ」
「実際、自分でもそういうタイプの人間だと思っているが……
会う前、自分のことをどこで知ったんだ?」
「新聞のインタビュー記事じゃ。半年間も査読・追加検証していたメートル原器に関する論文が、無事通過し、ヤマル・エギン技手が即日技士に昇格されたと」
あの記事か……あの時の事は、つい数日前のことのように思い出せる。
「正直、半年もあれば、誰かに間違いを指摘されると思っていた。間違いはどこかにあるはずなんだからな」
「それを言うたら『本物』のメートル原器じゃない以上、なにかは違うじゃろう。
じゃが、あれだけ大勢の、立場が違う博士と技士たちが批判的に検証したものじゃ。間違いがあったとしても、人智を尽くした結果じゃろう」
「そうだな。それはその通りだ」
そう言った後、ふと気になって聞いてみる。
「実際に会う前は、大人しいと思っていたなら。今はどう思っているんだ?」
「え? あ、そうじゃな、うん……」
「ふん。言いにくそうだな」
「あ、悪くは思っておらんぞ!」
「静かに。リリが起きてしまう」
すまぬ、と言って、マリアンは腕を枕にして顔をテーブルに伏せた。
「なんといったらいいかのう……やるべきこと、正しいことに迷わず、ずばりとそれを言うところ、とか」
「ああ、ついさっき、それに近いことは自分でも思った。多分、この物言いは軍人生活で染みついたのだと思う。気に触るようなら、すまなかった」
「別に気に触ることなぞ無いぞ。あとは……」
「あとは?」
声が一層小さくなったので、顔を寄せた。
「その、優しいことに迷わないというか……」
「え。特別優しいなんてことはないし、優しくすることに迷うことなんて無いだろう」
「そんなことはなかろう。少なくともわしは、そういう優しさが羨ましい」
褒められているんだろうか。それにしても――
「今、そう思うってことは、会う前は優しさに迷うような人間に見えてたってことか?」
「あ、今のはそういう意味じゃなくて」
「意味ではなくて、なんだ?」
うーん、うなって、マリアンはさらに顔を伏せた。
「どうした?」
「すまぬ、急に我慢できん睡魔が……先に寝かせてくれ!」
「え? おい、マリアン」
返事なしだ。嘘か本当か知らないが、テーブルに突っ伏して寝てしまっている。
落ち着いたらキャビンに運び込むか……と思ったけど、そっちはリリが寝ている。
仕方ない。下から乾いたタオルを持ってきて、毛布代わりにかけてやるとするか。
◇ ◇ ◇
結局、偉そうに言ったものの、リリは夜の操舵はさすがに任してくれなかった。その代わり、夜はリリが監督するものの、俺が船の舵を握ることになった。昼はリリに寝てもらい、俺の監督の下でマリアンが運転を担当する。もちろん、途中でロケットエンジンなどの工作もするから、ずっと運転しっぱなしということにはならないが、その作業時間による遅れは織り込み済みだ。
このサイクルで過ごした5日目の夕方――マリアンは船の操舵、俺は定期的に水路図を確認しながらパラシュートを束ねる金具を作っていた。
いよいよ河の上流になってきたせいか、それまで平野・畑の中を真っ直ぐ通るような川筋が、崖や山肌が見える丘の間を、折り返して抜けていくような川筋になった。
「マリアン、あそこの右曲がりになったところで一旦止まってくれ」
「どうしたのじゃ? まだ交代の時間には余裕があるはずじゃが」
「いや、その先はいくつか水深の浅い場所がある。途中まではいけるだろうが、陽が落ちたら、身動きがとれなくなる。夜間に細かい操舵はリリでも無理だろうからな」
「そういうことか、了解じゃ。その辺に泊めるぞ」
気安く応えるマリアンだが、かと言って自分の操舵技術を過信してはいないようだ。水路図上は安全とはいえ、岸にぴったりつけて停める真似はしなかった。流れが遅くなっている水域が川の曲がり角、内側にあることを俺に確認すると、そこへ船を動かした。
マリアンの合図で、俺は水深が浅くなっている方へ錨を降ろして、船が流れないようにした。
「うまく泊まれたみたいだ。お疲れさま」
「そちらこそ、ご苦労様じゃ。じゃが、時間は有意義に使わなくてはのう」
「そうだな。ただ、この時間だったら工作より――」
そう言いかけたとき、キャビンの扉がバタンと開いた。
「おはよう」
「おはよう。寝られたか、リリ」
「ああ。座礁もスクリューの故障もないようでなによりだ。筋がいい」
「そのことなんだが、この先は水深が浅いから、朝になってからゆっくり通過すべきだと考えている。ちょっと水路図を見てくれるか」
「それには及ばないよ。あんたの計測技術はここ数日見て分かってる。判断は任せるよ」
水路図は専門外だからあんまり信用されても困るんだがな。
「それにしても、食事の時間だよな。支度するよ」
「今日はわしが当番じゃぞ。それに、リリはなるべく疲れを取るべきじゃ」
「寝させてもらったんだから、こんくらいやらせてよ。それに、今日はあたしの好きなもん食べたいし」
どうも俺の「材料を切って煮ただけの料理」やマリアンの「材料を切って焼いただけの料理」にはご不満だったみたいだ。
川上りの間ずっと保存食だけで賄うのは無理だというのが俺たちの結論だった。そこで、干し肉や缶詰などの保存食だけではなく、ニンジンやジャガイモなどの野菜類も持ち込んで、一通りの料理ができるようにした。
夜間作業で疲れてるリリに任せるなのはいかがなものかと、食事は俺とマリアンの二人当番制を主張したんだが、余計なお世話だったのかもしれん。
夕日を頼りにマリアンと設計図を確認していたら、鍋を抱えたリリがエプロン姿で出てきた。香辛料の臭いがこちらまで漂ってきていたから、今晩のメニューの予想はつく。
「カレーシチューだ。煮物が続いて悪いけどね」
「いやいや、ヤマルの豆を煮ただけ料理とは格が違うからのう」
「あれは『干し肉とトマトのレンズ豆煮込み』って名前がちゃんとついてるぞ」
リリと料理の技術を競うつもりはないけどさ。
「自分、付け合わせのパンぐらいは切ろう」
「もうやってあるよ、大丈夫、座ってて」
リリはキャビンからシチュー皿を人数分運んできた。皿には棒状に切り分けた黒パンがのっている。
この地域一帯は米とパスタが安いのだが、茹でる水の調達が面倒ということで、少々値は張るがパンを積み込んで主食にしている。
「パンの上からシチューを盛っちゃうね。どうせ浸けて食べるだろ」
「無論じゃ。あ、フォークが足りぬのう。わしが持ってくる」
「いや、スプーンだけで大丈夫なように、具は細かく切っておいた。洗い物が増えるのが嫌でね――男のヤマルは、具はもっとごろごろしていた方がよかったかい?」
「いや、そんなことはない。さすがの気遣いだ」
そっか、と言ってにこりと笑うと、リリはシチュー皿を並べ、俺の正面に座った。
「いただきます」
食べながら、リリのエプロン姿を観察する。美人で気立てがよくて、料理が上手。食わせてもらえるぐらい手に職もある。男にとって妻にしたい女性の理想像だな。
ただ、肝心のリリの方は、身持ちが堅いというか、男である俺とは一定の距離を置くような所作をすることが多い気がする。嫌われているんじゃないかと思ってマリアンにそれとなく相談してみたら、型の技士には職人肌の者が多く、付き合いには順序、格式、礼儀を重んじる者が多い。だから、あんまりちょっかいを出すなということらしいのだが。
「ヤマル。どこを見ているのか知らぬがのう、冷めるぞ。食わんのか」
「普通に食っている。自分の分はやらん。リリの食事だからと食い意地を張るのはよせ」
「むうー」
マリアンは喉の奥から唸るような声をあげたが、顔を背けてパンをシチューにつけて口に運ぶ作業に戻った。何なんだ、一体。
「あ、そういえば。リリ、マリアン、今晩の夜勤はなしだ。寝て起きたばかりのリリには厳しいが、明日は全員、朝に起きて活動する」
「分かってる。明日の昼、街に寄って全員で買い出しするからだね」
「その通り」
三人の距離が離れると脳の機能が失われる。一人が留守番して二人が買い出し、というわけにはいかない。
「ただ、用事はそれだけではないつもりだ」
「はて、わしの書いた計画表には、買い出し以外の予定はないはずじゃが」
「明日話す」
リリとマリアンが顔を見合わせたが、俺は気にせず食事を続けた。




