その3
目が覚めた。壁の小さな窓から朝日の光が射し込んでいる。
頭だけ動かしてマリアン達の方を見る。マリアンは体を起こして手元を見つめていた。リリはまだ寝ているようだ。
マリアンは寝る直前に髪をほどいていたが、今は昨日と同じく二つに結わえている。手元で見ているのは首からさげたロケットペンダントのようだ。
こうやって黙っているのは悪い気がしてきた。
『おはよう』
「おはよう」
マリアンはにこりと笑って日本語で返してきた。
「ヤマル。おぬしは、子供の頃の記憶は残っているかの」
「残っている。そこまで歳は取っていない」
「そういう意味じゃなくての」
咳払い一つ、マリアンは毛布から出ると、こちらに体を向けて正座した。
「技術再現本部で見た、円筒の中にあったわしらの体のことを覚えておるか?
わしの下顎、おぬしの頭部、いずれも原形を留めないほど潰れていたはずじゃ」
よくもまあそんな残酷シーンを淡々と語ってくれるな。
「当然、脳も損傷を受けていると考えるのが自然じゃ。たとえ、不思議な力で脳が治癒したとしても、完全に元通りとはならんじゃろ」
「例えば記憶に障害が出ているはず。そういう意味か」
「その通りじゃ。そこで、昔のことを思い出しておったのじゃが、問題はなさそうじゃ」
俺は体を起こした。マリアンはロケットペンダントを首から外すと、俺に差し出してきた。中に家族四人の写真が入っている。
今のマリアンの目鼻立ちは歳の割に大人びているが、写真の中の彼女は、それよりはちょっと目元に幼さを残している。服装は今と同じようなゴシック風だ。
横には同じぐらいの歳の少女が、同じような格好で寄り添うように立っている。後ろには穏やかな笑みを浮かべた白髪交じりの中年の男女が、少女二人の肩を抱いていた。
「君の家族か」
「両親と姉じゃ。血は繋がっておらぬがの」
「関係ない。幸せそうだ」
素直にそう言い切れる写真だ。
「なぜ、死亡確率10%以上の赤紙任務を受けた? 家族は反対しなかったのか」
「いいや、わしにはもう、家族はおらぬ」
「どういう意味だ」
聞くと、マリアンは生まれてすぐ、孤児院の前に捨てられていたという。マリアンの育ての親はかなり裕福であったが、その母親が難産の末、次の子供を産めない体になってしまったので、代わりにまだ赤ん坊だった彼女を孤児院から引き取ったということだ。
マリアンとその姉は、両親から特に区別されることなく育てられた。もっとも、性格はずいぶんと違っていたらしい。
マリアンは(本人曰く)どちらかといえば内向的で、家に一人で過ごすことが多かったという。たまたま父が旧地球の小説や漫画のコレクターだったので、マリアンは日がな一日そのコレクションを読んで過ごしたらしい。日本語も漫画などで覚えたということだ。
「研究した結果、わしのような容貌に最も好相性とされる日本語が、このしゃべり方なのじゃ」
「もしかして、服装や髪型も、その相性を考えた上でのことか」
「服装はそうじゃ。髪型はわしの好きな漫画の人物に倣ったのじゃ。空気抵抗が少なくて速そうな感じじゃろ」
なぜ髪型で空気抵抗を追求するのか、そこは俺には分からない。その空気抵抗の少ない少女なりマリアンなら分かるんだろうけど。
「それで、仲間の中で豊富な知識を披露する漫画内の人物にあこがれてのう。
友達の誰よりも知識豊富になろうと本を読んで勉強し、わしが尊敬する人物達と同じように振るまってみたのじゃ」
それが過ぎて学校では浮いた存在だったらしい。ただ、頭は飛び抜けて良かったので、早期英才教育を施す特別学校に編入になった。以前よりは友達も増えたが、知識力に関する負けず嫌いと解説癖は相変わらずで、しばしば疎まれたり、喧嘩になったそうだ。
一方、姉は社交的で、近所に友人がたくさんいるような少女だった。姉はマリアンの独りよがりなおしゃべりに付き合ってくれたり、喧嘩になった友達のところに一緒に謝りについていってくれたりした。マリアンにとっては頼れる姉で、自分には無いものを持っている姉だった。
「なにより、優しい姉じゃった」
「何が起きたんだ」
「13歳の誕生日、技士の称号を授与された日。わしは、祝いの席で、両親から自分の生い立ちを知らされたのじゃ。もちろん、その場には姉も一緒じゃった」
その日から姉の態度が一変した。
話しかけても無視、もしくは生返事。マリアンのお願いは断る。おそろいにしていた服も変えた。
耐えきれなかったマリアンは、姉と二人きりになったとき、その理由を聞いた。
「姉は、本当はわしのことを疎ましく思っていたらしい」
「どうして……」
「特別学校に通わせること、わしの普段の非常識な行動が、姉と両親の負担になっておったのじゃ。血が繋がっていないのも納得だ、という意味のことも言っておった」
「ぐ……」
具体的に何を言われたんだ、と聞きかけて止めた。思い出したくもない言葉のはずだ。
「技士の称号を得たからには、これ以上、姉に、両親に負担はかけられぬと思うての。家を出て、別の都市に移り住んで技士としての活動を始めたのじゃ」
「え、一人で?」
「そう、ヤマルの思うとる通りじゃ。わしのやったことは『子どもの家出』じゃ」
マリアンは微かに笑った。
「信頼できる仲間、頼りになる師匠がおらんかったら、良い研究などできるはずもなし、日々の糧を得るための仕事だって振っては来ぬ」
「それで赤紙任務か」
「図解系技士の機関誌に、赤紙任務の告知があったから応募したのじゃ。赤紙任務中は、都市連邦がありとあらゆる生活費を出してくれる。任務完了の暁にはかなりの報酬が出る上、大きな実績になる。次の仕事も紹介してくれよう。
一人で生きていく基盤ができるというわけじゃ」
マリアンの話はそこで終わった……。
なんというか、形容しがたい気持ちで一杯で、慰める言葉も励ます言葉も出てこない。
いや……ただ一つだけ言っておきたいことがある。
「君がその非常識な行動を後悔していて、悔い改めたいと思っているのであれば、その必要はないと思う」
「なぜじゃ。人に不快な思いをさせてまで自分の技術と知識向上を優先する。それは人として、技術者として罪深いことじゃなかろうか」
俺は大げさに首を横に振ってみせた。
「違う。不快な思いをさせたと言うが、学校を替えたら友人が増えたのだろう?
だったらそれはコミュニケーションの問題だ。競争することで技術向上を追い求める姿勢が周りと合わなかっただけの話だ。
技術を持つ者の罪というのは、そういうことではない。
同じような仲間と協力して成果を出せば、君の家族も理解してくれるはずだ」
マリアンは視線を落として俺の言葉を反芻しているようだったが、やがて顔を上げた。
「ヤマル、おぬしはどうだったんじゃ。家族はご存命か?」
「多分。両親と妹がいるが、ここ数年、連絡していない。12歳で測量計の技手になり、別の都市の技術再現本部に住み込みで働き始めて以来、実家に帰ってもいない」
「働き始めるとき、ご両親は何も言わんかったのか」
「ああ。よほど優れた能力がなければ、魔粒子過敏症の自分はまともに生きることすら難しい、と幼い頃から両親に言われていた。そう言うだけではなく、技術の速習を専門にする学校に通うお金を工面してくれたし、早々に働き口が見つかったときは喜んでくれた。
そういう意味では君より恵まれた境遇だ」
「そうじゃったか」
「でも、君の早く独り立ちしたいと思う気持ちは分かるつもりだ」
マリアンにロケットペンダントを返した。それを手に持ったまま、彼女は黙っていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「ヤマル、そのおぬしの身の上について、わしの考えを聞いてもらってよいかの」
俺としては、無言でうなずくしかない。いずれ話すことだったのかもしれない。
「おぬしは軍人経験者じゃな。少なくとも、プロの兵士として訓練を受け、実際に戦闘に参加したことがあるじゃろ」
これも、ため息をつくしかない。
「古傷を見られたのが決定的だったようだな」
「体の傷だけじゃったら、格闘技の経験者、という可能性もあったかのう。シジャン博士の極光甲冑に掴みかかられたとき『素人が!』と叫んでおったし」
マリアンは自分の顎をつまむように撫でた。ちょっと得意そうに見える。これもなにかの漫画の人物に倣っているのだろうか。
「じゃが、おぬしの身の上に疑問を感じたのは本当に最初の最初。おぬしが目を覚まし、リリが斃したキブノ兵の死体を見ても、大して動じていなかった時からじゃ」
「え、そんなことで?」
「リリがキブノ兵を斃したとき、わしも気絶しかけたんじゃぞ。いくらおぬしが男とは言っても、起きたてに死体を見たにしては平然に過ぎる。そう思うておったのじゃ」
「まさか、キブノ兵を斃したクロスボウの仕掛けをどこで覚えたのか聞いたのは……」
「その通り、おぬしの身の上を確認しようと思うてのう。まあ、言っておったことは嘘ではなさそうじゃが」
「もちろんだ」
あれは軍部に技術士官として転属した直後の仕事だ。まあ、言葉のニュアンスはどうあれ、軍部の依頼で仕事したことに変わりはない。
「キブノ兵がリリとわしの写真を持っていて、おぬしの写真を持っていなかったことも疑問の一つじゃった」
「二人の分は、シジャン博士が都市入場管理局から入手したんだろうな。でも、いくら相手がシジャン博士とはいえ、軍人の写真は連邦職員もさすがに渡さなかったんだろう」
それに、俺、一応は特殊部隊員扱いだしな。
「そして、決定的じゃったのは、おぬしが、AK47の安全装置をかけてキブノ兵を無力化する『体の動かし方』をすぐに頭に思い浮かべておったことじゃ。
AK47の機構に詳しいだけでは、無力化する体の動きまでは思いつけないからのう。実際に、AK47の持ち主と戦う方法を学んだ人間だけがすぐに思い起こせることじゃ。
AK47の持ち主たるキブノ兵と戦う訓練をするのは、都市連邦の軍人、それも最前線で戦っている者以外あるまいて」
……参ったな。そういえば、極光甲冑で目覚めたとき――
「自分にはマリアンの声がすぐにそれとは分からなかったのに、君は『ヤマル』とすぐにこちらの名前を呼びかけていたな。あれも、軍人のような行動を取るとしたら、状況的にヤマル以外ありえない、と考えていたからだな」
マリアンはうなずいた。やれやれ。
極光甲冑を動かす最初の役を、リリではなく俺を指名したのも、それが理由か。
何にせよ、お互いの心の内が思いがけず伝わる体の中にいたら、マリアン相手にごまかし続けるのは無理だっただろうな。
「12歳で技手。そのわずか4年後、16歳にしてより正確なメートル原器を再現。若き天才、ヤマル・エギン技士が突然軍人になった理由。個人的には興味があるのじゃが」
俺は無言を返した。
「……そうじゃろうな。では、シジャン博士の赤紙任務について、軍人であるおぬしだけに知らされていることははあるかの」
「ないはずだ。だが、分かることもある。シジャン博士は、ヤマル・エギンが技士でありながら軍部に転属したことを知った上で、赤紙任務を依頼したはずだ」
「なぜそうなるのじゃ」
「応募した君と違って、自分は軍部経由で、シジャン博士から名指しで指名されている」
「なるほど。それは重要な事実じゃな」
そう言うと、マリアンは見上げて天井を睨んだ。
「他にも召還しやすい、経験豊富な距離計の技手や技士はたくさんいる。にもかかわらず、軍部と政治的な取引してまで自分を指名したのだから、軍人の手がいる程度の荒事があるだろうと予想していた。赤紙任務だとしても破れない軍規がなければ、クロスボウ以外の武器も持ち出すつもりだった。
荒事といえば――リリ、君はシジャン博士と一番親しく、君自身も戦いに秀でている。何か思い当たる節はあるか」
マリアンの向こう、奥で寝ていたリリが、ゆっくりと体を起こした。
「あたしの目が覚めていたの、気づいていたのか」
「自分は気づかなかった。ただ、マリアンが気を遣って日本語で話そうとしていたから、起きているのだろうと思っていた」
「そっか、やっぱり盗み聞きなんてするもんじゃないね」
リリは頭を掻いた。
「あたしもマリアンと同じ、赤紙任務に立候補して、何人かの候補から選ばれた口だ。確かに二人よりはシジャン博士に近しいし、何回もお世話になったことがある。それどころか、命を救われたこともあるんだ。
とはいえ、彼女はお偉いさんだからね、色んな人を世話してるし、助けている。あたしが一方的によく知っているだけで、シジャン博士はたまたま顔を覚えていてくれた、以上のことはないと思うよ。
正直、あたしを指名する理由に、思い当たる節なんてない」
命を救われたこともある、か。そりゃリリにしてみれば、シジャン博士の裏切りなんて今でも信じられないだろうな。リリにとっては、それこそ他の『お偉いさん』とは違う、特別な人なんだろう。
「その先の議論を進める前にさ、二人とも、腹は空かないか」
唐突だな。確かに、昨日の晩と違って、体がエネルギー源を欲している感じがする。寝て体力が回復したおかげか。
「確かに。先に飯にするべきかのう。昨日もほとんど食事しておらん」
「それじゃ、下の食料庫に保存食を取りに行こう。火の元になる木炭ガスボンベもね」
「了解だ」
マリアン、リリ自身も分かっていると思うんだが、技士として冷静に分析を進める前に、俺たちにはまだ感情の整理が必要そうだ。
何しろ、分析を進めたらどんな受け入れがたい事実でも認めざるを得ないんだからな。




