壱-2 命を綴る
うう、だか、ああ、だかよく分からない音を発し、崇は冷や汗を流しながら口を開く。
「だ、だって……。何かやばいって思ったんだぜ」
「やばいって……何がです」
「鞄胸に抱えて顎鞄に埋めて、上目使いって……やばいって思ったんだぜ」
そういえばそんな紗雪はそんな格好をしていたか。
だがいったい何が『やばい』というのか。
「うあ、だ、だって。私これから告白します! って格好の定番じゃないスか!」
「…………は?」
「だからオレ、兄貴盗られる! って思って……」
「……馬鹿ですね」
半眼で見やりつつ、紫呉は手から首飾りを離す。
崇はたたらを踏んでよろめいた。
「何と言うか……馬鹿ですね」
「一回目と変わってないんだぜ!」
ぎゃんぎゃん喚く崇を無視し、紫呉は大きくため息をつく。
全く、くだらない。そんな事あるわけない。
紗雪の好みの男性象は本人の口から聞いている。それも何度も。
自分はそれに一つも合致しない。よって、告白なんて有り得ない。
「馬鹿ですね、ほんと」
「三回も言った!」
むきーとか叫びながら崇は両手を振り回す。
呆れた顔で紫呉はその手から逃れた。
ふいに崇は手を止め、じっとりと湿った視線でこちらを窺ってくる。
「……でも兄貴。兄貴はあの子にホの字なんだぜ?」
「…………………………………………は?」
「は、じゃなくて、ほ、なんだぜ」
「いえそれは分かってますが」
「あの子の事好きだから、今回こんなに厳重な体勢でしたんだぜ?」
「好きって……そりゃ好きですけど」
「やっぱり!」
「だって大事な友人ですよ」
「……友人」
「はい」
そうだ。大事な友人だ。
気立ても良いし頭も良い。話していて楽しい。
須桜も懐いているし、影虎だって彼女の事を気に入っている。
それに何より、自分達を否定しないでいてくれた。
力を振るう事、それに関しては嫌悪を感じているようだが、それでも受け入れようとしてくれた。これからもよろしく、と言ってくれた。
大事な友人だ。
失いたくない。
「……なら、別に、良いんスけどー……」
「その目がうざい」
「いだだだだだだ瞼千切れる!」
瞼を摘む手を思い切り引っ張られ、紫呉は仕方なく手を離した。力だけを比べると崇には負ける。
「ううう……。まさか瞼を攻撃されるとは……」
「まあそういう事も有ります」
「そうそう無いんだぜー……」
目元をさすりながら涙声で呟く崇だ。
「ほらもう、さっさと帰ったらどうです。店忙しいんでしょう? 僕ももう聞きたい事は聞きましたし」
「兄貴がひどいんだぜー……」
用済みだとばかりに手をひらひらと振ってやれば、崇は大げさに肩をすぼめた。
「紫呉ー。影虎がそろそろご飯できるってー……って、崇いつの間に」
「須桜の姉貴! 聞いてください兄貴がひどいんスよー!」
「うわ、こっち来た」
「姉貴もひどい!」
ぎゃわぎゃわと騒ぐ二人を半眼で眺めながら紫呉は苦笑する。
微笑ましいといえば微笑ましい。犬がじゃれあう光景を思い起こさせた。
「あーもーお前ら邪魔。崇、メシ食ってくんなら一応量は有るから向こうで待っとけ。須桜、用意しといてくんねぇ?」
「ん。了解」
「了解っス影虎の旦那!」
「はいはい良い子良い子ー」
適当にあしらいながら、影虎は伝鳥を腕に乗せこちらにやってくる。
「……その格好……」
「やっぱあんまし実用的じゃねえなあ」
ひらひらとしたそれを引っ張り、影虎は苦笑する。
嫌な思い出が蘇った。
風呂上り着替えを奪われ、それが用意されていた。逃げる須桜を追いかけ捕獲し、勢いあまって押し倒し、死因は腹上死とか頬を染めて言われ、軽く殺意が沸いたのはまだ記憶に新しい。
ばさりと羽ばたく伝鳥を腕に移す。
「誰ですか?」
「由月。じゃ、俺用意してくるから。話終わったら来いよ」
「はい。ありがとうございます」
伝鳥から、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
「影虎はいったいどんな格好をしているんだい?」
「…………全裸です」
「全裸はある意味実用的だと思うがね」
「……由月兄様……」
呆れた声で呟けば、由月は楽しげに笑った。
「嘘です。須桜が買ってきた、やたらに華美な前掛けをしてたんですよ」
「それはさぞ滑稽だろうね」
「……まあ、似合っては、いません」
滑稽とはひどい言い様だ。
「まあ影虎の事はどうだって良いんだ。傷の具合はどうだい?」
「……普通、ですね。治りきってはいませんが支障は有りません」
「そうか。なら話は早い」
兄の柔和な声に冷徹さが交じる。
「きな臭い話を耳にしてね。壱班に行方不明者として届けを出されていた少女の目撃証言があった。その子は保護されたんだが、様子が尋常じゃない。……薬のせいでね。同じような話が何件かあるんだ。見かけた位置や少女達の様子、そんな類が似通っている」
「……少女の保護が目的ではないのでしょう?」
「もちろんだ。お前達に頼みたいのは、組織の壊滅」
「分かりました。早急に調査致します」
「ああ。頼りにしているよ」
笑み声の圧力に、知らず唾を嚥下する。
位置や人数の詳細を聞きながら、紫呉は胸糞の悪くなるその内容に眉を寄せた。
「……それじゃあ頼んだよ。お前に月の加護があらん事を」
ふ、と伝鳥の瞳が輝きを失う。兄が伝鳥を置いたのだ。
通信の報酬をねだる伝鳥を宥め、紫呉は部屋へと向かう。
兄の話曰く、少女達が行方不明者として届けが出されていたのは、数年も前。
その時と今ではずいぶん面変わりしており、当人だと照合するのに時間を要したという。
それに少女は哀れなほどに痩せ、薬の所為でまともな様相をしていなかったらしい。時間がかかったのも無理はない。
保護した少女の怯え方から察するに、相当にひどい目に遭わされていたのだろう、との事だ。
命じられたのは組織の壊滅だが、少女達の保護も怠ってはならない。
おそらくは、少女達をかどわかしたのは同一犯だろう。別の組織と考えるには、類似点が多すぎる。
「兄様から指令です。崇もついでだから聞いていて下さい」
伝鳥に瑠璃の粒を与え、兄から聞いた話を伝える。
須桜と崇は嫌悪をむき出しにしていた。薄く笑う影虎からは、彼の心中は窺い知れない。
了解、と三人は敬礼の姿勢を取る。
(何故、と言いましたね)
何でこんな事をしているのか、と紗雪に困惑に満ちた声で聞かれた。
何故なのかは、うまく説明できない。
別に正義の味方を目指しているわけでもない。
そもそも、力を欲したのは憎しみに端を発している。
殺したい奴がいる。
存在そのものを消してしまいたいほどに、憎い男が。
紫呉は瞑目し、心を落ち着けた。
大きく息を吐くのと同時に、脳裏に浮かんだ姿を追いやった。
「では、作戦を固めるとしましょうか」
三人に向きなおり、紫呉は紙と墨を用意した。
(理由か)
明言する事はできないが、まあ良い。
失いたくない。
護りたいものが有る。
護られたくないと思う。
変わらぬ想いはいつもそこに有る。
だから戦う。
刃を筆に、己の血を墨にして、この瑠璃の里に命を綴る。