第8話 花火の下で、刃は踊る
朔夜は大きく息を吸い、刀の男めがけて突進した。
男が振りかぶったそのとき、朔夜は小太刀の握りを逆手から順手に切り替えた。男は目をはっと見開き、僅かに腰を引く。だが、朔夜は隙を与えまいと一直線に小太刀を突き出していった。
「うおっ!」
寸前でかわされる。だが、まだ終わらない。男はかわした拍子にぐらりと体勢を崩した。やはり、足場は相当悪い。
朔夜は息を吐くのと同時に、何度も小太刀を突き出していく。
前へ。前へ。また前へ。
そのとき、凛名館の後方から大きな音とともに花火が打ち上がった。夏の天原は、とにかく祭りが多い。今夜もその日だったのだろう。ありとあらゆる色合いの大輪が空に咲くたび、男の顔が虹色に照らされていく。
朔夜は狐面の奥ではっとした。男は相変わらず笑みを携えていた。命懸けのこの戦いを心から愉しんでいるのだ。
パンッと、ひときわ大きな花火が空に咲いた次の瞬間、男は素早く振りかぶり、大きく咆哮した。朔夜は一瞬後退してそれを小太刀で受け流すと、そのまま刃を突き出していく。
男が下がる。刀を振りかぶり、薙ぎ払う。
朔夜は瞬時にしゃがみ込んでかわし、一歩踏み込み、斬りかかる。
男はそれを、素早く刀で受け流していく──。
一進一退、どちらも引かず、花火の音に呼応するように二人は刃を交える。耳を打つ金属音。男の吐息が聴こえるほど近い距離で、朔夜はさらに踏み込んだ。隙を捉えたはずなのに、刃は空を切る。花火の光が煌めき、視界を呑み込んだ瞬間、男の熱が再び波のように押し寄せてくる。朔夜はそれを振り払うように、ひらすら刃を突き出していった。
ひとしきり攻撃を繰り出したあと、朔夜は大きく距離をとった。手ごたえがあった。狐面の奥から目を細め、男の頬を注視する。すると、その頬には血の線がくっきりと浮かんでいた。
「猿くん!」
銃の男の声を受け、刀の男はそっと右手で頬をなぞる。男は指先についた血を確認すると、僅かに眉をひそめた。
傷は浅い。だが、刃には神経毒が塗ってある。体内に入れば、鼓動とともに全身を駆け巡る。呪印持ちだろうとそれは変わらないはず。勝負ありだ。
朔夜はそっと小太刀を下ろした。そしてふと、凛名館の入口近くを見下ろす。そこには厳かな黒い制服に身を包んだ大勢の憲衛隊がいた。時間をかけすぎた。銃の男を始末して、早くこの場を離れなければ。
そう思った矢先、禍々しい殺気が再び襲い掛かってきた。視線を刀の男に戻すと、右手の甲に再びあの不吉な呪印が浮かび上がっていた。
「悪ィ、啓思。これ出さねえと、毒が回っちまう」
男はそう言うと、ゆっくり顔を上げた。そうして朔夜を真っ直ぐに見据える。男の白目には赤い血管が異様なほど浮き上がっていた。そして、頬の傷がみるみるうちに消えていく。いや──焼いているのだ。傷口から滲んだ血が、沸騰するように細かく泡立っていた。男の顔からは蒸気のようなものが立ち上がっている。
毒を熱で殺している。
朔夜は直感した。そして、十分に距離をとってから小太刀を構える。
「なかなか肝が据わってるじゃねえの。これを見ても逃げねえなんてな」
朔夜自身も不思議でならなかった。呪印持ちの殺気は尋常ではない。この気配を前にすれば、どんなに腕に覚えがある者でも尻込みをしてしまうだろう。
それでも、恐怖以上に好奇心が勝った。
三年前から追い求めていた呪印。それがいま、目の前にある。確かめる機会は二度とないかもしれない。逃げるのは、少しでも呪印の秘密を掴んでから──。
次の瞬間、男は駆け出し、素早く抜刀した。それと同時に、炎の刃が風のようにうねりをあげながら朔夜へと迫る。
朔夜は歯を食いしばり、慌てて後退する。だが──。
「おらあ!」
男の刀の軌道は完全に避けた。だが、そこから生じる炎までは避けきれなかった。炎は蛇のように朔夜の右腕へ絡みつくと、手首から肘にかけて容赦なく焼いていく。あまりの熱さに朔夜はその場にうずくまった。
ふいに、カランと音がした。小太刀だ。
朔夜は焼け爛れた右腕をぶらんと垂らしながら、どうにか左手で小太刀を握る。だが、右腕も、両足も震えていた。熱さと痛みで視界が霞む。立っているのもやっとの状態だった。ここにはじきに、憲衛隊も駆けつけるだろう。もう撤退するしか──。
顔を上げると、刀の男が唐突に、呟くように声を漏らした。
「お前……女か」
朔夜の背中を冷たいものが走った。腕を焼かれたとき、つい声が出てしまったのだろう。
「おい! 屋上! 誰かいるのか!」
ふと、下から怒号に近い声が響いた。憲衛隊に気づかれた。
朔夜は慌てて懐から筒を取り出し、刀の男たちに放つ。筒から噴出した煙幕は、瞬く間に周囲数メートルを煙で覆い、視界を奪った。
「うわっぷ!」
刀を交えていたときとは打って変わり、素っ頓狂な声が飛んだ。
朔夜は力を振り絞って駆け出し、屋上の高さまで伸びていた大木に飛び込んだ。左手で枝を掴み、器用に地面へと降り立つと、そのまま一目散に駆け出していった。
呪印の秘密は掴めなかった。
いったい、あの男は何者なのだ。
朔夜は火傷でひどく痛む右腕をぎゅっと掴みながら、ひたすら走り続けた。
…………。
………………。
風が煙をさらってゆく。
顔を上げると、空には花火が打ち上がっていた。どうやら、まだ祭りは終わらないようだ。
猿丸が花火の輪郭をはっきり目で確認したとき、目の前が遮られた。久世だ。
「大丈夫? 猿くん」
「おう。悪ィな。逃げられた」
久世は顔をしかめ、首を横に振った。
「それより毒は?」
「大丈夫、大丈夫。ほれ」
猿丸は手をぶんぶんと振ってみせる。そうして久世はようやく、柔らかく笑った。
二人は煙幕が晴れた先を見る。当然のように宵狐の姿はなかった。久世は屋上の奥に立っていた大木を指さして、言う。
「あそこから下りたんだね。あの大火傷で、大したものだ」
久世は下を見て、小さく声を上げる。猿丸がその視線を追うと、憲衛隊が続々と凛名館へ入ってくるところだった。
「猿くん、僕たちも行こう。源次たちと合流しなきゃ」
「ちょっとくらい休ませろ」
「だめだめ、行くよ。ほら」
久世は無理矢理、猿丸の腕を掴む。
再び空に大輪の花が咲いた。その瞬間、屋上の地面が淡く照らされる。前方を見て、猿丸は目を細めた。少し離れた場所に、きらりと光る丸いものが落ちていたのだ。
猿丸は久世の手を軽く払い、手を伸ばす。
猿丸が手にした小さなもの──それは、見覚えのある満月の簪だった。
突然、背後から猿丸の首にそっと腕が回された。同時に、のそっとした重さが背中にのしかかる。
「おいこら、何してやがる」
「気にしない、気にしない。さ、早くあの木を伝って下りよう」
高所恐怖症の久世ははにかみながらそう言った。すっかり背負われる気満々な久世に猿丸は苦笑しつつも、彼をしっかりと背負い直し、のそのそと歩く。
「そういや啓思。お前、あの一座に詳しかったよな」
「え?」
「あの満月だよ」
「ああ、月影ね。それが?」
「花形の名前、わかるか」
「花形?」
しばしの間のあと、啓思はゆっくりと口を開いた。
「たしか……朔夜、だったかな」
猿丸は足を止めた。先ほどの宵狐の太刀筋と、舞台上で見た花形の演舞が重なるように蘇る。猿丸は小さく息を吐いて笑った。
「それがどうかした?」
猿丸は応えず、久世を背負ったまま大木に向かって意気揚々と歩を進める。その口元には、好奇な笑みが浮かんでいた。
「面白くなってきやがった」
【登場人物紹介】新月よ、朱く染まれ
[主要人物]
朔夜:月影の花形。本名は不明
猿丸赤也:黒鉄組を支える剣豪。呪印持ち
久世啓思:黒鉄組の若頭。猿丸の相棒
[月影]
石岡東風:月影の座長
環:朔夜の従妹
響子:楽師
礼:楽師
沙世:踊り子
雪菜:踊り子
[黒鉄組]
相馬梗:若頭補佐
帯刀慎之介:黒鉄組随一の剣豪
黒鉄譲寿:組長
黒鉄秋穂:譲寿の妻
源次:猿丸の舎弟
一郎:猿丸の舎弟
[その他]
徳川衛士:憲衛隊員
猫田寧々:新聞記者
西道一之助:元・最高審問官




