第4話 宵狐
それから四人は、一階の客席に移動した。天原きっての大劇場というだけあり、一階席から三階席まで設けられている。臙脂色の座席が舞台に向かって整然と並べられており、どことなく厳かな雰囲気だ。
劇場内の壁は暗い木格子となっていて、その間から漏れる灯りが座席を照らしている。劇場はすでに九割ほど埋まっていた。あと十分もすれば月影の舞台が始まる。そんな中、久世は慌てる様子もなく皆を見渡した。
「じゃあ、今夜の護衛について話すね」
久世が立てた護衛作戦は、驚くほど簡潔なものだった。護衛対象である西道一之助は、一階中央の特等席に座るらしい。その両隣の席に源次と一郎が座る。そして特等席から数メートルほど後方にある通路に猿丸と久世が控える、というものだ。こうすれば、前方、左右からの襲撃には舎弟たちが、後方からの襲撃には猿丸と久世が対応できる。
「本当は両隣の席だけじゃなくて西道のすぐ後ろの席にも座らせてもらいたかったんだけど、なんせ特等席だからさ。席が取れなかったみたいで」
それでも、源次と一郎は目をきらきらと輝かせていた。
「いいんスか! 俺たちが特等席に座っても! 本当にいいんスか!?」
「うん。源次はこういうの好きでしょう。もちろん、ちゃんと護衛しなきゃだめだよ」
源次と一郎は手を取り合い抱き合った。どうやら二人とも、相当月影一座が好きらしい。男同士がキャッキャッとはしゃぐ様子に、猿丸は思わず苦笑いを浮かべる。
舎弟二人はしばらく喜びを分かち合っていたが、一郎が不意に表情を曇らせた。
「イチ、どうした?」
イチ──もとい一郎は、猿丸と久世をおずおずと見上げ躊躇いがちに言う。
「あの……西道に届いた脅迫状の送り主って、もしかして宵狐じゃないですか?」
──宵狐。
初耳だ、と猿丸は思った。久世をちらりと見ると、僅かに目を細めている。どうやら、聞き覚えがあるらしい。
久世は小さくため息をついて、答える。
「……名前は書いてなかったらしいんだ。だから、何者かはわからない」
「そうですか……」
「ちょっと待て、イチ。何者だ? その宵狐ってぇのは」
一郎はたどたどしく言う。
「賭場で聞いたんです。最近、高宮っていう政治家を暗殺したのがそいつだって。これは公にはなってないらしいですけど」
──高宮。
その名も、その事件も、猿丸は知っていた。高宮はとある政治団体の代表者で、先日自宅の屋敷に帰宅する途中、闇討ちに遭って斬り殺されていた。新聞でも数日間にわたって、事件は大々的に報じられていた。だが、その内容は犯人の正体は不明で未だ逃走中──という毎回似通ったもので、事件の進展については書かれていなかったはずだ。
「高宮にも脅迫状が届いてたらしいです。でも、奴はどういうわけか憲衛隊に護衛を依頼しなかった。西道と同じです」
久世は顔を伏せ、しばらく黙り込んだ。そうしてゆっくりと口を開く。
「イチ。その話、誰から聞いた?」
「高宮の記事を書いた新聞記者です。賭博が趣味な気の強い女で……この前賭場でベロベロに酔っ払って、聞いてもないことペラペラ話してました」
「記者が賭博か。なんていうか……眉唾ものだね。その話。記者もかなり胡散臭い」
久世の言葉に、猿丸は苦笑した。
確かに事件を取材していた記者なら裏情報も知り得る。だが、そもそも賭博は違法。猿丸のような裏稼業の人間ならいざ知らず、いっぱしの記者が入り浸っていること自体がおかしい。さらには酒に酔った勢いで重要な情報を洩らすなど、記者としてあまりにもお粗末すぎる。
話半分で訊く猿丸と久世をよそに、一郎は言葉を続ける。
「宵狐は相当すばしっこいらしいです。追手も数人いたのに逃げられたって」
久世は何かを思い出したように顎に右手を添えた。
「そういえば、他にも事件を起こしてたね。その宵狐」
「そうなのか?」
久世が頷く。
「得体の知れない暗殺者で、わかっていることは狐面を被っていることと、いつも闇討ちで敵を狙うことくらい。憲衛隊も血眼になって探してるらしい」
久世はそう言うと、全員の顔を改めて見渡した。
「大丈夫。宵狐の手口は闇討ち。こんな人目の多い場所には来ないよ。西道を狙っているのが宵狐かどうかはわからないけど、僕の予想では狙いは西道が劇場を出たあと……帰り道での奇襲だ。どちらかというと護衛はそこからが本番。いい?」
久世の言葉は静かではあるが、熱が込められていた。一郎と源次は、迷いを打ち消すかのように、力強く返事をした。




