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新月よ、朱く染まれ  作者: あさとゆう
第一章

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2/14

第2話 邂逅

「今夜の護衛対象は?」


 黒鉄組のだだっ広い廊下を久世と並んで歩きながら、猿丸は訊ねる。


「西道(さいどう)一之助(いちのすけ)。知ってるでしょ?」


 猿丸は頷いた。西道一之助は、昨年まで司法を束ねる「審問会(しんもんかい)」の最高位に座っていた男だ。


「京永(きょうえい)で隠居生活を送ってるんじゃねえのか。どうして天原(あまはら)に?」

「観劇が好きみたい。それで天原に来たんだって」


 なるほど、と猿丸は低く呟いた。


 島国である燈和の国。

 その中西部に、猿丸や久世たち「黒鉄組」が拠点を構える街・天原はある。


 首都・京永から鉄道に乗って五時間ほどの場所にあるこの天原は、別名「芸の街」とも呼ばれていた。町は五つの区にわかれていて、そのひとつである中央区は観劇を催す舞台が大小問わず多く設けられていた。


「散々人を死刑台に送り込んだ男が、呑気に観劇なんて笑っちゃうよね」


 久世は柔和(にゅうわ)な笑みを崩さず、淡々と言う。


「ま、大物な分、お金がたくさん貰えるから別にいいけど」


 久世の声が途端に細くなる。そう、黒鉄組はいま、猛烈に金に困っていた。だからこそ、たとえ護衛対象がいけ好かなかろうが依頼を引き受けるほかないのだ。


「あ、先生。こんにちは」


 久世は足を止めた。

 猿丸が彼の視線を追うと、そこにはひとりの男──池端(いけはた)が立っていた。鼠(ねずみ)色の着物を身に纏(まと)い、腰には使い込まれた前掛けを締めている。大きな風呂敷を背負う姿は、商人そのものだ。だが、実のところ彼は医者であり商人ではない。医者が頻繁に来ていることが周囲に知られると面倒なので、商人の成りで来てもらっているのだ。


「お世話さまです。すみません、いつも面倒をかけて」


 池端は両手をパタパタと顔の前に掲げる。


「とんでもございません。これからお出かけですか?」

「ええ。仕事なんです」


 池端は深々と頭を下げると、すぐ横の襖(ふすま)をそっと開けた。そこは、黒鉄組組長・黒鉄(くろがね)譲寿(じょうじ)の寝室だった。


 池端が室内に入ったあと、猿丸がぽつりと呟く。


「大丈夫か? 治療費は」


 久世は少しだけ黙ったあと、屈託のない笑みを向けた。


「心配いらない。僕に任せて」


 そう言うと、久世はスタスタと歩き出した。黒鉄組・若頭である久世は黒鉄組の金の管理も任されていた。だが、その内情を決して組の誰にも、盟友の猿丸にも明かさなかった。


 組長の治療費は日々の仕事で得た金から捻出している。もちろん、猿丸をはじめとした組員計三十名の生活費も念頭に置いて、だ。組全員の生活の命綱は久世が握っているといっても過言ではなく、それほどの金を管理するのは相当気を張るはず──。


 猿丸はそんな久世を気にかけていた。だが久世は、いつも決まって「心配いらない」と、同じ言葉を繰り返すだけだった。


「あ、仕事?」


 ふと、場違いな声が飛んだ。前方に目を向けると、廊下の先に若頭補佐の相馬(そうま)梗(きょう)がいた。年齢は猿丸たちよりも五つ下の二十代半ば。背が低く、髪は茶色がかっている。目鼻立ちが良く、色白で、男性ではあるがどことなく中性的な雰囲気を醸(かも)し出している。


「うん。護衛のね」

「了解。気をつけて」


 相馬はすれ違いざまにぽんっと猿丸の肩を叩いた。すかさず、猿丸は声を上げる。


「なあ、帯刀(たてわき)は?」


 帯刀というのは、黒鉄組きっての剣術の使い手だ。

 猿丸に久世、相馬、そして帯刀。


 そのうち役職があるのは久世と相馬の二人だが、実質的にはこの四人が黒鉄組を支える大きな「柱」だった。


「いつも通り、裏庭で汗かいてるよ」


 そう言い残し、相馬は去っていった。


 帯刀が裏庭で刀を振っているところを想像し、猿丸は思わず頬を緩める。


 猿丸は、かつて組長から「役職を与えたい」と言われたが、不相応だと断った。そして、帯刀も同じように断ったとあとで知った。きっと、彼も自分と同じで、柄じゃないと思ったのだろう。それ以来、猿丸は帯刀が自分とどこか似ていると感じていた。とはいえ、どういうわけか気が合うのは自分と似ても似つかない久世なのだが。


 二人は、屋敷を出る前に併設されている道場へ寄った。猿丸は舎弟の源次という若い男と、黒鉄組に入ったばかりの一郎を呼びつけた。二人とも十代。若く、伸び盛りの時期だ。


 猿丸を尊敬してやまない源次は藍色の薄手の着物に下駄を履いており、どことなく猿丸を真似た出で立ちにしている。違うところといえば坊主頭であるくらいか。一郎は、そんな源次を兄のように慕っていて、源次と同じような着物に身を包み、坊主頭にしていた。猿丸には、それがちょっぴり可笑しかった。


 二人は護衛の話を聞くなり目を輝かせた。仕事を多くこなせば金も貰える。そして、組の中でも存在感を示せる。二人にはそれが願ったり叶ったりなのだ。


 屋敷を出た四人は、中央区の劇場を目指す。道中、源次は興奮した様子でこう問いかけた。


「久世さん。今夜、その護衛対象は何の舞台を観るんスか?」


 久世は待ってましたと言わんばかりに、きらりと目を輝かせる。


「それがさ、あの月影なんだって。驚きでしょ」

「ほんとっスか? 冗談じゃないっスよね!?」


 久世は笑顔で何度も頷く。どうやら、相当有名な一座らしい。

 すると、一郎が目を大きく見開き、前方を指さした。


「ちょ、ちょっと、見てくださいよ! 噂をすれば……」


 見ると、商店や飲食店が立ち並ぶ大通に僅かな人だかりができていた。人だかりの奥では、六人ほどの一座の者がしゃなりしゃなりと歩いている。先陣を切っているのは座長とおぼしき男だった。長身で痩身。狐のような細く鋭い目をしている。肩甲骨ほどまで伸びた銀髪を揺らし、淡い鼠色の浴衣を緩く着こなしている。男ではあるがどこか妖艶(ようえん)な雰囲気だ。


 そして、そのすぐ後ろを歩く、ひときわ優雅な着物を着た女がいた。


 年齢は二十代前半ほどだろうか。朱色の着物を身に纏(まと)い、真っ直ぐ前を見て一歩一歩ゆっくりと歩いている。少し派手めな化粧と花柄の髪飾りが、その堂々たる出で立ちに相応しい。


 特に目を引いたのは女の髪色だった。しっかりと頭の上でまとめられた髪は、息を呑むほどに艶やかな白髪(はくはつ)だったのだ。顔が色白なこともあり、一層透明感がある。


 女の後には数人の女たちが続く形で歩いていたが、猿丸はこの白髪の女こそが一座の看板役者──花形だと直感した。そして、他の女たちも皆、どことなく肌が白くて透明感がある。そんな一座に、皆の目は釘付けのようだった。


 猿丸はぺしっと源次の頭を軽く叩くと、ぶっきらぼうに訊ねる。


「おい。そんなに人気なのか? あの満月とやらは」

「満月じゃなくて月影っス!かなり……かなり人気の一座っスよ! 全国を渡り歩いているみたいで、なかなかお目にかかれないっス。観劇の席もすぐ売り切れちゃうんっスよおお……」

「へええ」


 すると、唐突に花形の足元で何かが光った。花形から何かがこぼれるように落ちたのだ。


「おい、姉ちゃん! 何か落としたぞ」


 だが、猿丸の声は風に掻き消され、花形が気づく気配はない。後方を歩く女たちも同様だった。


 猿丸は小走りで駆け出した。そうして花形が落としたものをそっと手に取る。それは円形──満月を象った簪(かんざし)だった。


「ちょっと待て。姉ちゃん、落としもんだ」


 花形はようやく足を止め、ゆっくりと振り返った。しっかりとまとめられた髪は、すでに煌びやかな簪(かんざし)がついている。どうやらこの満月の簪は髪についていたものではなく、彼女の袖かどこかから滑り落ちたものらしい。


「恐れ入ります」


 彼女はそう言うと、両手を重ね、深々と頭を下げた。ただそれだけの動作で、猿丸は彼女が相当芸の経験を積んでいると感じた。芸を極めた者は、些細な動作の一つひとつに隙がない。頭の下げ方や指の揃え方、そしてそれらの仕草の間。どこからどう見ても、美しいと思える所作だったのだ。


 花形の女は簪(かんざし)を受け取ると、もう一度深くお辞儀をして前へ向き直った。月影たち一行が、猿丸を静かに通り過ぎてゆく。猿丸は、そんな彼女たちからしばらく目を離せなかった。言葉にならない不可解な予感が、波のように押し寄せていたのだ。

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