5ー5 英
「何ですか?」
「当時、岩垣の側近であった下槻という男が、行方不明になっている」
「何だって……!」
「記憶保全法の制定に、積極的に関わっていた政治家の一人だったようだ。当時のニュース映像を見てみたが、ナイトメアメモリー事件に関与していた犯罪組織による犯行なのではないかと、岩垣自身が記者に対してコメントしている」
「記憶保全法の制定に反発するために行われた犯行ってことですか?」
「岩垣の主張としてはそういうことになる。この下槻という男は、今も行方不明のままだ」
「怪しいな、その話」と朱音。
「もし岩垣がこのMRDを本当に欲しがっているなら、それらに関連する何かが、このMRDの中に隠されていると考えるべきだろう」
「実際、何か見つかったんですか?」俺の言葉に、秋月さんは首を横に振った。
「いや、それはまだだ。ここから先は、実際に音声や映像の内容を確認してみないことには――」
そのとき、メッセージの受信を伝える通知音が客間に響いた。
「今のは……」
「父さんのMRDだ……」朱音の言葉に、俺は息を呑んだ。見ると、秋月さんの顔にも緊張が走っている。
――持ち主の居ないMRDが、なんらかのデータを受信している。
全員が、英介さんのMRDの方を見た。MRDの上部には、確かに受信を知らせるARディスプレイが表示され、データ送信者を示すウィンドウには「九重朱音」の文字。腕の毛が逆立つのを感じた。
――ここには無い筈の、朱音のMRDからの着信。
朱音ではない、別の誰かがデータを送信しているのかは明らかだった。
「朱音、開くか?」
朱音は「ああ」とだけ答え、目を閉じた。俺は英介さんのMRDを手に持ち、朱音の方へと近づける。
ひとつのARディスプレイ。そこには、血に塗れた花飾りが映されていた。
これは――間違いない。エマが髪に付けていたものだ。そして、その画像の下には、短いメッセージテキストが書き添えられていた。
「〝そこで待て〟――我々に対する脅しか」秋月さんの神妙な声が、客間にやけに響くように感じた。
「俺たちの居場所も、分かっているということなんでしょうか」
「これだけじゃ何とも言えないが、そうとも読み取れるな」
狙いは、間違いなく英介さんのMRDだろう。
「上等じゃねえか」
ARディスプレイに投映された髪飾りを睨み続けていた朱音が、低い声で言った。
「来れるもんなら来てみろよ。全員返り討ちだ。エマの居場所も吐かせてやる」
血が出るのでは無いかと心配になるほど、朱音は両手を強く握りしめている。
「何とはともあれ、だ」秋月さんが立ち上がりながら言った。「諸君、食事の時間にしよう」
*
折りたたみ式のテーブルを客間の中央に置き、それを囲むようにして俺たち3人は座っていた。テーブルの上には小型の携帯ガスコンロに載せられた鍋が湯気を立てている。
「この辺りは地鶏が有名なんだ。薄い味付けの鍋にすると、これがまた旨くてね」
そう話しながら、秋月さんが鍋をお椀によそって手渡してくれる。
「すみません。色々とありがとうございます」
受け取ったお椀からは、かつお節の効いたいい匂いがした。
「気にするな。料理は人に振る舞ってこそだからな」
「……」秋月さんからお椀を両手で受け取った朱音は、それを暫く見つめてから小さく呟いた。
「エマのやつ、ちゃんとご飯、食べられてるかな」
先ほど送られてきた血塗れの花飾りの画像。エマの身に、何か良くないことか起こったのかもしれない――あれを見れば、そう感じざるを得ない。あの時は誰もそのことに言及しなかったが、朱音も同じことを思っているはずだ。
だが、今の朱音の言葉は、エマが無事であることを前提にした言葉だ。朱音はまだ信じているのだ、エマが無事でいることを。
「エマちゃんも今、同じことを考えているだろう。朱音はちゃんとご飯を食べているだろうか、とね」
秋月さんも、エマが無事でいることを前提にして朱音の不安に応えた。
「確かに。むしろエマの方が、もっと朱音のことを心配してそうですね」
俺も秋月さんに同意の意を示す。朱音は黙ったままだ。
「今は自分の心配をしなさい。他人の心配をするのはその後だ」
朱音は秋月さんの言葉に返事はしなかったものの、机に置かれた箸を手に取り、黙々と食べ始めた。
何度か見ていて気付いたことだが、朱音は秋月さんの言うことには素直に従う方針のようだ。それは朱音が、秋月さんの中に、父親の姿を見ているからなのかもしれない。もしくは秋月さんが、朱音の中に、英介さんの姿を見ているのかもしれない。
英介さんという一人の人間の遺志が、周囲の人間を繋いでいるのだ。そして俺も、その遺志に引き寄せられて、今ここに居るのかもしれない。そんなことを考えながら、俺もお椀の中の汁をすすった。
「これ、おいしいですね」
あまり主張しない薄口寄りの味ながら、飲み込むと同時に上品な薫りが鼻を通っていった。おそらく、体調の善し悪しに関わらず食べやすいようにとの、秋月さんの配慮なのだろう。
「秋月のおっさんが作る料理だけは、認めざるをえねーよな」
そう言って、朱音も小さく微笑んだ。
「料理人冥利に尽きるな」と秋月さんも笑った。
「はは、いつから料理人になったんだよ」
「料理は良いぞ。朱音は向こうでちゃんと自炊してるのか?」
「それは……別にいーじゃねーか」
「そうだな。どっちでもいいが、料理は心の安定にも繋がるからな。おすすめだぞ」
そう言って、秋月さんは自信ありげに頷いた。
「なんか、朱音の保護者みたいですね、秋月さん」
「というより、今まさに保護している状況だと思うが」
「はは、確かに」
「ふん……」
朱音がそっぽを向いたところで、秋月さんは一度咳払いをしてから「さて」と言った。
「ここで私の見解を述べよう。明日の朝になったら、君たちを駅まで送ろうと思う」
「は?」そっぽを向いていた朱音は秋月さんの方を振り返った。
「向こうに居場所が割れているとしたら、ここはもう安全じゃなくなる。どこか、身を隠せる場所へ移動すべきだ。本当は今日にでもと言いたい所だったんだが、今からじゃ終電には間に合わない」
「何言ってんだよ……秋月のおっさんはどうすんだよ」
「私はここに残る」秋月さんの声には迷いが無かった。「データの解析もここじゃないと難しいしな」
「俺たちだけ逃げろっていうんですか?」
「そうだ」
「そんなこと、出来ると思ってんのかよ」
「出来る出来ないという話じゃない、そうすべきだ」
秋月さんは両腕を組んで、俺と朱音を交互に見る。
「時間があれば、何か掴めるかもしれないという所まで来ている。だが、こうして脅迫メッセージが送られてきた今、時間の猶予はあまり無いと考えるべきだろう。私はギリギリまでデータの確認を進める。君たちは、それを受け取るために、どこか安全な場所に居て欲しいんだ」
秋月さんは、俺と朱音に背を向けた。
「ここで、全員がやられたら終わりだ。私は、英介の意志を絶やしたくない。朱音もそうだろう?」
「……その言い方は、ずるすぎるよ」朱音は両手を膝の上で握りしめていた。
「覚えておくといい。大人というのはずるい生き物だ」
秋月さんの言葉に、朱音は何か反論しそうな素振りを見せたが、結局は何も言わずに立ち上がり、俯いたまま客間を出て行った。それを秋月さんは静かに目で見送っている。
「楠原氏、朱音を頼むぞ」
「……分かりました。でも、本当に危なくなったら、秋月さんも逃げてください」
「安心しろ。もとよりそのつもりだ。〝英〟を、ここで放棄する訳には行かないしな。ただ、ああでも言わないと、朱音は頑なにここに残ろうとするだろうと思ってね……」
そう話す秋月さんの声は穏やかだったが、俺はどこかもの悲しさを感じた。
*
それから俺は、客間に敷かれた二枚目の布団の上に寝転がりながら考えていた。
岩垣という男は、それなりの地位に居る人間だ。そんなやつが、自ら俺たちの前にまで現れるほどのことなのだろうか?
もしそうだとするなら、英介さんのMRDには、よほど重要な秘密が隠されていることになる。それは、自分以外の――例えばセーフティストラテジーの部下にあたる人間にさえ、見られるとまずいものである可能性が高い。
だが、一人のジャーナリストの取材記録に、そこまでの価値があるとは思えない。恐らく、秋月さんも、あのMRDからは、そこまで重要な情報は出てこないと考えているのではないか。
「……」
俺は隣に敷かれているもう一枚の布団の方を見た。その布団に入っているはずの朱音の姿は無い。あの後、三人で交代して寝ずの番をしようという話になり、今は朱音が周囲を巡回している。
日付はそろそろ午前二時を過ぎようかという所だ。何度かまどろんだものの、俺はあまり寝付くことが出来なかった。
「ふう……」
俺は布団の中からゆっくりと抜け出した。交代の時間まであと一時間ほどあったが、このまま眠れる気配も無かった。客間のふすまにそっと手を掛け、横にスライドさせて開くと、そこには朱音が居た。夕方の時のように縁側に座り、月を見上げていた。
「なんだ、起きてたのか?」朱音は月を見上げたまま言った。「まだ交代の時間じゃないだろ」
「ああ、なんか、寝付けなくてな……隣、座って良いか?」
「だからなんで許可を取るんだよ。好きにしろって」
俺は再び、朱音の隣に座った。連日の暑さが、今夜はなんとなく落ち着いているような気がした。
「この前言ってた、朱音とエマが巻き込まれた事件のこと……色々あって聞きそびれてたけど、ずっと気になってたんだ」
「……」朱音はやはり月を見上げたままだ。俺も気にせず、言葉を続けた。
「朱音とエマのこと、俺にも教えてくれないか?」




