5ー3 英
「アークシータ?」
「朱音が使っている槍のことだ」
あの槍には、そんな名前があったのか。
「ああ、だったら、戦ってるところを何度か見ました」
「あれは、俺が作ったんだ。もちろん特注だ」
「えっ!」
見た目の派手さと朱音の服装から、あの槍は最初、レプリカか何かだと思っていた。だが、その見た目とは裏腹に、実際の戦いでの使用に耐えうる本物の刃物であることは、朱音のこれまでの戦いから十二分に思い知らされた。
あんなもの、その辺で簡単に買えるようなものではないとは思っていたが、そういうことだったのか。
「全天球カメラと連携した環境測定システムも自分で組んだ。あれ、いいだろ?」
環境測定システム――それは恐らく、あの燃えるアパートの中で、朱音が使用していたやつのことだろう。
「ええ、あれには、俺も朱音も助けられました」
「なんとなく引き継いだこの製作所だったが、あれは一番手応えのあった品だよ」
そう話す秋月さんの表情は、どこか得意げなようにも見える。それだけ、あの槍の出来映えに自信と誇りを持っているのだろう。
「じゃあ、あの衣装も秋月さんが?」
「いや、あの衣装は朱音が自分で作ったやつだよ」
「えっ」あまりにも意外な答えに、思わず声をあげてしまった。「朱音が作ったんですか? あれ」朱音が裁縫をする姿は、あまりにも想像しにくい。
「昔は裁縫が趣味だったんだよ。あの子は」
「そうだったんですか……ちょっと意外でした」
本当はちょっとどころでは無かったが、それを言うと、朱音に怒られるような気がして、表現を抑えた。
「これまた意外なことに、まだ英介が生きてた頃の朱音は、人見知りで、あまり喋らない大人しい子だったんだよ」
(人見知りで、あまり喋らない、大人しい朱音……)
次々と俺の知らない朱音の過去が現れ、現在の朱音のイメージとの相違に驚きを隠せなかった。
「……〝あの事件〟が、あの子の何かを変えてしまったんだろう。次に会った時には、もう今のような性格になっていたから」
あの事件――それは、朱音がたびたび話す、自分が巻き込まれたという連続殺人事件のことを指しているのだろう。
そして恐らく、その事件は朱音の父親、英介さんの死とも関係している。秋月さんも、その事件について深く話すつもりはないようで、小さく咳払いをしてから話を続けた。
「さて、ここに来てもらったのは、君と話をするためだ。あの子の居る前では話しにくいことだったからな」
秋月さんは一瞬だけ、逡巡したような沈黙の後「率直に言おう」と続けた。
「もしかすると、エマちゃんとはもう、連絡がつくことは無いかもしれない」
秋月さんから言い渡されたその予感は、あの夜、エマを乗せたまま、アジトのトラックが目の前から消えた時からずっと、覚悟していたことではあった。むしろ、通常の人間があの衝突に巻き込まれれば、無事で済む確率の方が低いだろう。エマの持つ、通常の人とはかけ離れた印象が、辛うじて生き残っている可能性を匂わせているだけなのだ。
「勿論あの子だって、その可能性については考えているだろう……だが、それを本人に言うのは、あまりにも酷だ」
秋月さんは姿勢を正し、改めて真剣な眼差しを俺に向けた。
「ここからは俺からの頼みだが……楠原氏、君があの子を助けてやって欲しい」
「えっ」
「俺は、はっきり言ってあの子の足手まといにしかならない。もう歳だし、運動神経もよくない。戦いに巻き込まれたら、あの子の足を引っ張るのは目に見えている。だが君なら、あの子を助けてやれる。あの子の事情も知っているし、それを知った上で、ここまで連れてきてくれた君なら、あの子だって助けを受け入れてくれるはずだ」
それから、秋月さんは地面に膝と両手をつき、「頼む、この通りだ」と言って、深々と頭を下げた。
「秋月さん……!」俺は慌ててしゃがみ込んだ。「やめてください、秋月さん。頭を上げてください」
秋月さんの土下座をなんとかやめさせようと、俺は秋月さんの両肩をつかんだ。
「それは、承諾したと受け取っていいんだな?」
秋月さんは頭を上げ、こちらを真っ直ぐ見据えた。その目の奥に宿る鋭い光に捕らえられたかのように、俺は目を逸らすことが出来なくなった。ここで目を逸らすことは、秋月さんの決意や意志を否定することになりそうな気がしたからだ。
「……もとから、俺に出来ることはするつもりでしたから」
「その言葉、信じるぞ」
そう言って、秋月さんは微笑んだ。
「大人のやりくちですね」
秋月さんの目を見たまま、思わずそう呟いた。こんな願いの仕方をされたら、断ることなんて出来るわけが無い。
「大人が出来ることなんて、頭を下げることくらいだ」
そう言いながら、秋月さんは立ち上がり、両手で膝を払った。
「代わりと言ってはなんだが、良いものを見せてあげよう」
「なんですか。もう変なお願いの仕方はやめてくださいよ」
「安心しろ。これは単純に、誰かに見せておきたいものなんだ。こっちへ来てくれ」
秋月さんが案内してくれた場所には、先ほどの製作所とは全く別の空間が広がっていた。
ひときわ目を引くのは、巨大な立方体の集合だ。その高さは俺よりもさらに少し高いくらいで、前面は赤く塗られており、それらが墓標のように、均一な並びで部屋のほぼ半分の敷地を埋め尽くしている。立方体同士は、赤いケーブルでつながっており、それぞれからかすかに重低音が発せられている。
「これは昔で言うところの、スーパーコンピューターのようなものだ。俺は〝英〟と名付けている」
その名称は、おそらく英介さんの名前に由来するのだろう。友の仇のために、秋月さんが密かに準備してきたものということか。
「壮観ですね」
「……今から話すことは、独り言だ」
そう言って、秋月さんは声のトーンを落とす。
「俺は、人の記憶を再現するための、独自環境を作ろうと考えているんだ。基本的には、東耶眞教授を始めとする、記憶の電子化に関する研究者が遺した論文を元に、独自に考えた計算アルゴリズムを使って、計算量を実現可能なものにしようと考えている」
――東耶眞。
「朱音やエマは、このことを知っているんですか?」
「勿論だ。朱音やエマには、記憶データの提供にも協力してもらっている」
「それじゃあ、記憶を電子化することは、もう出来るんですか?」
「ああ。それについては、公開されている論文や資料を読めば、誰にでも出来ることだからな。記憶保全法が出来る前から、このあたりは趣味でいろいろかじったことがあるんだ。まあ、今となっては、もちろん違法行為だが……ふ、君は今から、俺の共犯者ということになるな。裏切らないでくれよ」
秋月さんはどこまで本気で言っているのか、不敵な笑みを俺に向けてから、再び真剣な表情で話し始めた。
「問題なのは再現方法なんだ。これがとんでもない計算量になる……楠原氏はコネクトセンターに行ったことはあるか? 死者の記憶と会話をしたことは?」
「ええ、一度だけ……」
「そうか。あれは〝一人の個人として自然な振る舞いの再現〟を目指しているものだが、正直言って驚異的な技術だ。どうやっているのか見当も付かない。〝英〟を使えば、かなり大規模な計算も現実的な時間で処理することが可能だが、それでもコネクトセンターがやっているような技術の再現は難しい」
コネクトセンターには、レイナのような、いわゆる天才と呼ばれる研究者が集結しているのだろう。天才たちの集合知によってもたらされた技術は、一人の人間が簡単に真似出来るものでは無い。
「だから、俺は違うアプローチでの再現方法を考えている」
秋月さんはそう言って、自分の近くにある〝英〟の表面をやさしく手の平でさすった。
「複数の記憶データを入力とすることで、相互に補完しあう、仮想的な世界の模倣空間――俺は〝記憶場〟と呼んでいるんだが、それを再現することが目的だ」
「〝記憶場〟……」
「簡単に言えば、十年前くらいに流行った、VRによるMMORPGみたいなものだな」
俺には秋月さんの言う簡単な表現にはピンとこなかったが、つまりは、データ上に本物の世界に似た場所を作るということだろう。
「その〝記憶場〟の中での出来事に対する記憶データの振る舞いを見ることで、現実的な処理時間の範囲で、膨大な記憶の中から、特定の記憶にアクセス出来るんじゃないかと考えている」
「なるほど……」
「ただ、私の見立てでは、これを実用可能なところまで持って行くのに、あと三年くらいはかかるだろうと考えている。そもそも英介の記憶データも手元に無いから、今回は何の役にも立ちそうにないが」
秋月さんは真剣な眼差しを〝英〟に向け、呟いた。「それでも、朱音たちが戦ってる姿を見て、何もせずには居られないんだ」
「……秋月さんはさっき、自分は足手まといになるなんて言ってましたけど、アークシータを作ったり、〝英〟を作ったり、こんなことが出来る人、秋月さんしか居ないですよ」
何より、朱音たちが戦ってる姿を見て、自分に出来ることをしようと行動している秋月さんは、充分に立派な大人であるように、俺には見えた。
「ふ……もしかすると、俺自身、その言葉を言って欲しくて、君にここを見せたのかもな」
そう言って、秋月さんは物憂げな視線を〝英〟に向けた。
「誰にも知られずに一人で戦うのは、孤独すぎる。自首をする犯罪者の心境も、もしかすると、そんなものなのかもしれないな」
秋月さんは、その先に何か言葉を続けようとしたが、それを飲み込み、一瞬だけ苦々しい表情をした後、「そろそろ戻ろう」とだけ呟いた。
俺はその言葉に静かに頷いて、〝英〟の眠るこの場所を後にした。




