5ー2 英
「え? じゃあ、あのMRD通信で話をしていた女の子は……」
「楠原氏、君は〝ペルソナリグ〟というものを知っているか?」
ペルソナリグという言葉に聞き覚えは無かった。「いえ……」という俺の返事を聞くと、秋月さんは再びMRDを操作し始めた。すると、秋月さんのMRDの上に女の子の姿をした立体ホログラムが表示された。
「あ! この子は……」
そのホログラムは間違いなく、朱音のMRDで通信した時に見た、秋月さんの姿だった。
「これはユーザーの顔の動きや声を認識して、立体ホログラムとリンクさせることが出来るんだ」
秋月さんがくるりと身体を回すと、立体ホログラムも同じように身体を回し、全く同じ台詞を話した。
「これを使えば、MRDなんかのネットワークを介した通話では、ペルソナキャラクターを使って会話することができるんだぴょん!」
できるんだぴょん。
「……なる、ほど」
ネット上で振る舞う性別をネットジェンダーと呼ぶということは、俺も大学の講義で習ったことがあった。そして、生物学的には男性だが、ネット上では女性として振る舞う人もいる――秋月さんも、その一人ということなのだろう。朱音が「秋月のおっさん」と呼んでたのは、こういうことか。
「このご時世、自分の顔を表に晒して通信するのはリスクが高いからな。特に、このような活動をしているなら尚更だ」
秋月さんの言葉を受けて、朱音が申し訳なさそうな表情をした。
「すまねぇな、秋月のおっさん。本当はここに来るのは反則だったんだけどさ……」
「いや、むしろ来てくれて助かった。君ともエマとも連絡がつかないから、もしやと思って、昨日の夜からここで待機していて正解だった」
「……ということは」俺は言葉を挟んだ。「エマとも連絡がついていないんですか?」
「ああ」秋月さんは俺と朱音を交互に見た。「どうやら君たちも、エマと一緒では無いようだが……」
そこまで秋月さんが話した時、突然、朱音が膝から崩れ落ちた。
「朱音……!」慌てて朱音の身体を支える。
「あぁ……ごめん……今、ちょっとめまいが……」
そう言いながら、俺の手をよけて立ち上がろうとするが、押し返す力は弱く、とても一人で立てるようには見えなかった。
「朱音、無理するなよ。俺に掴まれ」
「ほら、こっちにも掴まりなさい」
秋月さんも素早く、朱音の反対側の肩を掴んで支えてくれた。
「ふう……」朱音は観念して俺と秋月さんに身を預けると、深く息を吐いた。かなりぐったりしている。
「熱中症かもしれんな……」秋月さんは緑色のワゴンの方へ顎を向けた。「続きは車の中で聞くから、朱音を中に入れてやってくれ」
「はい……!」
*
秋月さんのワゴン――側面には秋月製作所と書かれていた――の中で、運転する秋月さんの隣に座りながら、俺は昨夜のことを秋月さんに話していた。
「なるほど」そう静かに呟きながら、秋月さんがちらりと背後の座席を確認したので、俺も同じように後ろを見た。朱音は後ろの座席で横になりながら、静かに寝息を立てている。クーラーが効いているおかげか、表情も少し穏やかになったように見えた。
俺と秋月さんは再び前方に向き直した。眼前には長い道路が続き、その周囲には清々しい緑と山々が広がっている。
「秋月さんは、朱音やエマと、どういう経緯で知り合ったんですか?」
朱音と秋月さんのこれまでのやりとりを見ると、それなりに親しい間柄のように見える。だが、朱音やエマのような存在と知り合う機会なんてあるのだろうか。年齢も離れているし、秋月さんは東京からは結構離れた場所に住んでいる。
秋月さんがペルソナキャラクターを使いこなしていることを考えると、テミスネット経由だろうか?
「……」秋月さんは、俺の質問にしばらく答えず黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「俺と英介は、古い友人なだよ」
「英介って、まさか……?」
「ああ、聞いてないのか。英介と俺は、小学校からの幼馴染だったんだ」
「それじゃあ、朱音の父さん……英介さんも、このあたりに住んでいたんですか?」
「ああ、昔な。結婚して婿養子になった時に家は売り払って、今そこは畑になってるけどね」
「そう、だったんですか……」
朱音の父親――英介さんとの古い友人。もし本当にJCOが英介さんを陥れ、亡き者にしたのだとしたら、JCOは朱音にとっては父の仇であり、秋月さんにとっては友人の仇になる。それは、朱音の境遇を抜きにしても、手を貸すのには充分な理由になるだろう。
「英介は学生の頃に両親を亡くしててな。引き継いだ畑を一人で切り盛りしながら学費を稼いでいたんだ」
そう話し始める秋月さんの表情は、どこか柔らかくなったように見えた。
「何かに熱中すると誰の言うことも聞かなくなるやつで、よく喧嘩したよ。あるとき一緒に旅行した先で見つけた美崎さんに一目惚れして、畑も家も全部放り投げて九州まで飛んでいった時は、驚いたもんだ……朱音を見ていると、なんとなく若い頃の英介を思い出すよ。ふ……顔は母親似だけどな」
「なんとなく、分かる気がします」
「しかも英介のやつ、気付いたらフリーの記者になってるんだから、本当に飽きないやつだったよ」
そう言ってから、秋月さんは少し声のトーンを落とした。
「……自分の子供まで放り投げて、さっさと死ぬことは無かったのに」
秋月さんは少し悔しそうな口調でそう言ってから、自嘲した。
「だが、そういう俺も、あいつと同罪のようなものだ。あの子たちが、こんなになるまで戦ってるのに、大人であるはずの俺は、のうのうと引きこもってるだけなんだから……」
「いえ、そんな……俺も最初は、朱音たちの言うことをあまり信じていなかったですし……」
朱音やエマは、誰にも知られることなく、たった二人でJCOと戦おうとし続けてきた。あの二人と符中で出会ったときは、俺だって信じていなかった。
「まあ、あの姿で〝敵と戦ってる〟と言われて、真に受けるような人間は、あまり居ないだろうな」
「正直なところは、そうです。けど、話を聞いてるうちに、朱音にも朱音なりの考えがある、そう思ったんです」
「朱音は君に会えて、幸運だったな」
「いえ……それは……」俺は何と言っていいか分からず、言葉に詰まった。
――結局のところ、俺は朱音を助けられなかったのだ。
そのことを考えると、頭の中が罪悪感で一杯になってしまいそうだった。俺はその罪悪感から逃れるように、言葉をなんとかひねり出そうとした。
「秋月さんも、こうやって朱音やエマを助けてきたんですよね。それは、大人にだって、簡単には出来ることじゃないと、俺は思います」
「どうかな」秋月さんはため息をついた。「助けになっているかどうかさえ、私にはもう分からなくなってきたが、俺には俺の出来ることをするしかない」
「そう、ですね……」秋月さんの言葉に、俺も頷いた。
――俺も、自分に出来ることをするしかないのだ。
それからは、俺も秋月さんも何も言わず、エンジン音と穏やかな揺れが続いた。やがて、ワゴンは一軒の家の前で停まった。ここが秋月さんの住んでいる家ということらしい。
「俺は客間に布団を用意するから、楠原氏はあの子を運んできてくれ」
「分かりました」
俺はワゴン後部のドアを開けて、中へと足を踏み入れる。
「んぅ……」朱音は穏やかな顔つきで眠っている。そっと額に手を触れると、汗ばんではいるものの、異常な熱を持っているという訳でもなさそうだった。
「朱音、動かすぞ……」
出来るだけ朱音を起こさないようにしつつ、俺はゆっくりと朱音の身体を持ち上げていく。ワゴンとは言え、あまり高くは無い天井に朱音をぶつけないようにしつつ、俺は朱音を背中に抱えた。その華奢な見た目通り、朱音の身体はすごく軽い。この軽い身体で、朱音は様々な重圧に耐えようとしてきたのだ。
「すぅ……」
朱音の重みと吐息を肩先に感じながら、俺は秋月さんの家へと向かった。
*
「ふぅ……」
秋月さんが用意してくれた客間で、俺は一息ついていた。朱音は客間に敷かれた布団――秋月さんが用意してくれたものだ――の中で、静かに寝息を立てている。
客間のふすまは開け放たれており、そこから見える風景はとても美しい。遠くからセミの音が鳴り響いているが、ここがとても静かな場所に思えるのは、昨日までの出来事とのギャップによるものだろうか。こうして外を眺めていると、昨日までのことは夢だったのではないかとさえ思えてくる。
「ほら、楠原氏も飲みたまえ」
そう言って、秋月さんは麦茶の入ったコップを手渡してくれた。
「ありがとうございます」
ひんやりとした感覚が手に伝わり、一気に喉の渇きを覚えた俺はコップに口をつけた。心地よい感覚が喉を通っていく。そのあまりの美味しさに、思わずため息が漏れる。こうして、ちゃんと冷やされた飲み物を飲んだのは、とても久しぶりのような気がした。
「ふ、爆睡してるな、朱音のやつ」
そう言って、朱音の方を見る秋月さんの優しいまなざしは、まるで父親のそれであるようにも見えた。
「ええ、ぐっすり寝てます」
「倒れた時は驚いたが、まあなんとも無さそうでよかった」
朱音を布団で寝かせる際に、左太ももの傷の包帯も交換しておいた。少し肉を抉っているほどの切り傷ではあったが、こちらも大事には至らないだろう。
「エマとは、まだ連絡がつかない」秋月さんはそう言いながら、麦茶に口をつけた。
「そうですか……」思わずグラスを持つ手に力が入る。
秋月さんは縁側の向こうに広がる風景を暫く見つめて居たが、やがてこちらを振り返った。
「楠原氏、折角だから、うちの製作所を見ていかないか?」
「製作所……秋月さんの仕事場ですか?」
「ああ、それに……」秋月さんはグラスを置いて立ち上がった。「少し見せておきたいものもある」
そう言って客間を去る秋月さんの後を、俺も無言で着いていった。
秋月さんの製作所は、母屋から少し歩いたところにある建物の中にあった。あまり広くは無い敷地の中に、大きな機械がいくつも並んでいる。
「この製作所は俺の祖父の代からのものでな。昔は刀鍛冶のようなことをしていたんだが、今は精密機械用の金属部品を主に作っている」
そう話しながら、秋月さんは機械の側壁を手のひらで撫でた。
「〝アークシータ〟は、もう見ただろう?」




