5ー1 英
俺と朱音は人目に付かないよう、昨夜の場所から1キロ程離れた高架下に身を潜めていた。
英介のMRDは死守したものの、代わりに朱音のMRDが失われたことは、大きな痛手となった。朱音のMRDが無ければ、秋月さんともエマとも連絡が取れないのだ。秋月さんに依頼していた調査の結果を知ることも、エマの無事を確かめることも、事実上不可能になった。
朱音の傷は確かに深くは無かったが、簡易的な治療だけはなんとかしなければと思い、さきほど薬局で包帯や消毒液などを購入してきたのだった。
「少し沁みるぞ……」
俺は朱音の背中をさすりながら、消毒液を染み込ませたガーゼを、左足の傷口にそっと当てた。
「つぅっ……!」やはり傷口が痛むのだろう、朱音は小さくうめいた。
俺は出来るだけ聞こえない振りをしながら、何度か傷口を消毒し、包帯を左足に巻いていく。
「ふぅ〜……」
ある程度の応急処置を終えた時、朱音が大きく息を吐いた。
「痛む、よな……すまん、こういうのあまりやったことなくて」
「……気にすんなよ」朱音はそう言うと、少しだけ顔を伏せた。「その……ありがとな」
「それこそ気にするなよ。朱音が居なかったら、あの場も切り抜けられなかったんだから」
「いや……アタシはまた、何も出来なかった」
そう言って、朱音は右手を強く握った。俺をアジトに匿ってくれたときも、朱音は同じことを言っていたのを思い出す。
「いつもそうだ。エマの事も……また、助けてやれなかった……」
また、という言い方には少し引っかかるものがあった。
「前も、似たようなことがあったのか?」
「……」俺の質問に朱音は答えなかった。それ以上は踏み込まないで欲しいということなのかもしれない。俺はそれ以上聞く事はせずに、朱音の隣に座り込んだ。
「朱音は、自分に厳しすぎるよ」
「え?」
誰よりも前に出て戦うことを恐れず、怪我まで負って、それでもなお自分は何も出来なかったと責め立てる。その異常なまでの自分への厳しさは、いつか自分自身を蝕んでいってしまうのではないか。
「二日前に刃の男が現れた時も、朱音は誰よりも前に出て戦ってたじゃないか。あの時、俺は何も出来なかったよ……本当の意味でさ。ただ立っていることしか出来なかった。だから、その……もっと自信を持っても、良いんじゃないかな」
朱音は今までに見せたことのない、純粋な驚きの表情を浮かべていた。
「……ごめん、そういう事、あまり言われたこと無いから……その、なんて言ったらいいか……」
「何も言わなくていい。ただ、そんなに自分を責めてたら、もっと辛くなるんじゃないかって思ってさ……エマのことも、まだ分からない訳だし、あまり自分を責め過ぎるなよ」
「……楠原って、意外とやさしーんだな」
「意外で悪かったな」
そうして、俺と朱音はお互いに微笑んだ。これで少しでも、朱音の心の負担が減ったならそれでいい。
「……それで、どうする?」
この場所へ来てから、もうすぐ一時間は経とうとしていた。空は徐々に明るくなり始め、ほどなく朝になろうとしている。朱音は暫く俯いて黙っていたが、やがてこちらを向き直した。
「……秋月のおっさんの所に行こう」
「秋月さんの所か……」
確かに、秋月さんの調査結果を聞くためには、直接向かう以外に方法は無いだろう。
「どこに住んでるんだ?」出来るだけ遠くない所であれば良いのだが。
「行けば分かるよ」そう言いながら、朱音は小さく微笑んだ。
*
平日の早朝、新幹線の車内は閑散としていた。東京の外へ向かう、いわゆる下りの新幹線。その一席に俺と朱音は座っていた。
朱音は頬杖をつきながら、車窓から見える風景を眺め続けている。さきほど車内で購入した弁当を食べてから、朱音はずっとそんな調子だ。朱音の肘の近くには、英介のMRDが窓からの光を反射している。
「……なんつーか、こんな悠長にしてていいのかっていう気持ちになるな」
視線は窓の外に向けたまま、朱音はぼんやりとそんなことを言った。朱音の表情には何の感情も読み取れなかったが、やはりエマのことを気にしているのだろうか。
「仕方ないさ。これしか方法が無いんだから」
俺にはそれくらいしか言えることは無かった。
「……」朱音は再び沈黙し、ゆっくりと目を閉じた。身体を揺らす心地よい振動と、継続する走行音。やがて、朱音が静かに寝息を立てるのが聞こえてきた。見ると、その寝顔はとても安らかで、思わずこちらが微笑んでしまうほどだった。
(まあ、疲れて当然だろうな)
――刃の男が二度現れ、今度はアジトが襲撃され、エマの安否も分からない。
そうした緊張の中に朱音はずっとさらされ続けていたのだ。心身ともに相当疲弊しているはずだ。拠点としていたトラックもなくなった今、下手に歩き回って消耗するより、こうして安らかに眠れている方がずっといい。
俺は車窓から見える風景へと目を移しながら、昨夜襲撃してきたあの白髪の男のことを思い返していた。
黒服姿の男達への態度からして、明らかにリーダー格なのは間違いないだろう。そして朱音との戦いで見せた、あの身のこなし。どう考えても素人ではない。英介のMRDを狙っていたということは、あのMRDに遺されたデータの中に、あの男に繋がる何かがあると考えるのが自然だろう。そうなると、やはり秋月さんの調査結果が気になるところだ。
――そのとき朱音は何を考えるだろうか?
重要なのはそこだ。〝この問題〟を解決するための鍵はやはり、朱音が握っている。
「んぁ……」車内が少し揺れて、朱音が目を覚ました。「あぁ……寝ちまってた、わりぃな」
「謝ることじゃないさ。むしろ、寝れる時に寝ておいた方が良い」
「はは……エマにも言われたっけな、それ」
朱音はそう言って、どこか懐かしそうに微笑んだ。
「エマと電車に乗ったことがあるのか?」
「そりゃあるよ。父さんのトラックもまだ無かったし」
朱音とエマにも、そういう時期があったらしい。二人はずっと前から一緒だったというイメージだったので、少し意外だった。
「……あの頃は、まだエマと何を話したらいいのかも、よく分からなくてさ。なんか凄い重たい雰囲気だったな……」朱音は一瞬、視線を遠くに向けた後、再び俺を見て言った。「っていうか、今もそんな感じか、はは」
そう朱音が笑った直後、車内に到着のアナウンスが流れた。次の駅が俺たちの目的地だ。朱音の顔に緊張が戻る。
「秋月のおっさんに会えれば、エマの安否も分かる……」
自分に言い聞かせるように呟いた朱音の言葉に、俺も「ああ」と答えた。
*
そうして俺たちは新幹線を降りて、駅を出たところまで歩いてきた。
――長野県某所。ここが、秋月さんの住んでいる場所。
長野県に来るのは初めてだったが、目の前に広がる風景は、自分の中にある田舎のイメージそのものといった感じだ。東京よりも日差しは強く感じるが、東京のような蒸し暑さはなく、なんとなく空気も澄んでいるような気がする。自然が多いからだろう、セミの鳴き声も一際大きく聞こえてくる。ここ数日過ごした緊張感とは無縁の、なんとも平穏な雰囲気が流れているような気がした。
「このあたりまで来るの、久しぶりだな〜」
朱音は駅の周辺をぐるりと見渡しながら、少し楽しげな様子でそう言った。
「ここから秋月さんの住んでいる場所までは、どれくらい掛かるんだ?」
「そうだな……車で3時間くらい、かな」
「さ、3時間か……」
ここまで来ると、やはり一般的な都市とは時間感覚がかなり違うようだ。
「秋月のおっさん、奥地の方に住んでるからなあ」
朱音は両手を後頭部に回しながら、空を仰いだ。
「さて、どうやって行くかな……って、あ!」
朱音は大きな声を出したかと思うと、突然どこかへ走りだした。
「えっ、朱音! どこ行くんだよ?」
俺は朱音を見失わないよう、背中を視線で追いかけた。朱音はいくつかの車が停車している駐車場の方へ向かっているようだった。
そこには――見知らぬ中年男性が、緑色のワゴンに立っているのが見えるだけで、他には特に注目すべきものは無かった。
朱音はその中年男性へと近づいていくと、その男性へと声を掛け始めた。朱音の言葉に対し、男性が小さく頷いているのが見える。
(誰だ……?)
もしかすると、目的地まで乗せてもらうよう、交渉しているのだろうか? そうこうしているうちに、朱音はその男性を引き連れ、こちらに戻ってきた。
「あ、あの……」なんと声を掛けて良いか分からず、それより先の言葉が続かなかった。
「君が、楠原裕樹くんか?」すると、中年男性の方が話し始めた。
「あ、ええ、そうですが……」
「そうか。君がね……ふむ」
男性は視線を上下させて、俺の身体全体をまじまじと値踏みするように見続けた。
「あの……失礼ですが、あなたは……?」
「ああ、そうか。そうだな」
そう言うと、男性はMRDを操作して、俺の目の前にARディスプレイを表示した。そこには「秋月製作所」と書かれたロゴマークが表示されていた。
「申し遅れてすまない。私の名前は秋月誠司だ」




