3ー2 凶炎
直後、背後からドアの開閉音のようなものが聞こえ始めた。そして、何者かがうごめく足音。
前方からのエンジン音は、勢いを増して近づいてきている。俺はある想像に行きつき、血の気が引いた。車による挟撃――現実的にはあまり考えられる事ではない。それを実行すれば、前方から来ている車の搭乗者も、背後の車の搭乗者もタダでは済まないのだ。
だが、ここ数日で受けた仕打ちの異常さを考えると、完全に否定することは出来ない。それに、たった今聞こえた足音は、背後のワゴンから何者かが退避する時のものではないか。
「バックで後ろの車両を無理やりどかしますか?」エマが後方へ視線を向けながら言った。
「間に合うかよ! 前のドアから出るぞ!」朱音は今にも車両前方へと走り出す勢いで叫んだ。
こんな時に限って、ふたりの意見は食い違った。俺は一瞬、どちらの意見に賛同すべきか迷ったが、朱音が既に前方へと走り出していたので、そちらに従うことにした。
「前のドアから出よう!」俺はエマに声を掛け、前方の扉に手を掛けようとしている朱音の元へ走った。だが――
「くそ、なんだよこれ! 何であかねーんだよ!」
そう言って、朱音はドアを蹴飛ばし、それから力一杯扉を押した。しかし、朱音がいくらドアを押しても、扉はすぐに〝押し戻されてしまう〟のだ。
「……!」俺はマジックミラーから見えた光景に、息を呑んだ。黒い服装に身を包んだ何者かが、複数名でドアの周辺に大挙していた。それは黒くうごめく巨大な生物のように、トラックにへばりついている。
「うわ!」視界が揺れた。先程よりも大きな衝撃が車内全体を襲った。トラック内部が、大きく揺らされているような感覚。左へ揺れ、右へ揺れ、その波が徐々に大きくなっていく。外に居る者たちは、ドアを遮るだけでなく、このトラックを押しているのだ。
「ぐっ、くそ……!」朱音がバランスを崩し倒れそうになるのを、俺は咄嗟に支えた。
「ハッ!」
その時、駆け寄ってきたエマが突然、扉に向かって右手を突き出した。直後、扉の向こうから悲鳴のような声。エマは突き出した右手を勢い良く引いた。
エマの右手――いや、〝刃〟が、赤く染まっていた。
刃は月の光を反射して銀色に輝き、そして、血に染まっていた。それは、〝あの男〟を彷彿とさせた。レイナを追い、俺の腹部を貫き、記念館で刑事たちを抹殺した、あの男の――
(どうして、エマの右手が……?)
扉の向こうの群衆にもざわめく気配があった。
「……」エマの表情には何も映されていなかった。これまで見てきたのと同じ、冷たさも温かさも感じない表情。さらにエマは、再びその右腕の刃を、扉に向かって突き出した。その刃は扉を貫通していき、再びくぐもった絶叫が響いた。引き抜かれた刃は更に赤く染まっている。扉の向こうの人間を貫いているのだ。
「エマ! やめろ!」朱音が叫んだ。
だが、エマは何も言わずに、そのまま目の前の扉を蹴り飛ばした。扉は難なく開き、その向こうにたむろしていた黒服の集団たちは、小さなざわめきと共に後ずさりした。扉の前には男が二人、血を流して倒れている。
「朱音! 楠原! さあ!」エマは相変わらず淡々とした口調のまま、俺と朱音の肩を掴んだ。
「おい! エマ……うわ!」身体に強い衝撃と痛みが走る。
エマが、俺と朱音をトラックから突き飛ばしたのだ。
両手を地面に突いて身体を持ち上げながら、俺はエマの方を振り返った。そこには、俺たちふたりを見下ろすエマの姿が見え、そして消えた。
遠くから聞こえていた重低音の正体――前方から突撃してきた大型トラックが、エマの乗ったトラックへぶつかり、その背後のワゴンごと突き進んでいく。そのまま朱音のトラックはワゴンの上に乗り上げ、更にその向こうにあるコンクリート壁へと大型トラックごと突っ込んだ。破裂音と共に、コンクリート壁にぶつかった大型トラックから火の手が上がる。
「そんな……」
あまりにも一瞬の出来事だった。ワゴンとエマの乗った車両を巻き込んだ大型トラックは、ここからは300メートルは離れた所まで突き進んだだろうか。それでもトラックから吹き出す火の勢いは見て取れた。
「……! エマ!!」
朱音がトラックの方へ向かおうとしたが、行く手に先程の男達が立ちふさがった。男達が手にしている物――拳銃を見て、俺と朱音はそこから動くことが出来なくなった。
人数は全部で五人。いくら朱音でも、5つの銃口を向けられては為す術は無いだろう。力を使うことが出来ない俺も、朱音の近くへと駆け寄ることくらいしか出来なかった。
「くそ……お前ら!」それでも朱音は臆すること無く槍を構え、鋭い視線を男達に向けた。男達の方は余裕があるのか、朱音の強い言葉には怯む素振りさえ見せない。
「困るなぁ、ウチの若いもん潰されちゃ」
銃を構えている男達ではない、誰かの声。俺と朱音は反射的に声のした方へと視線を向けた。
先程、俺たちが乗っていたトラックが停車していた位置付近に、その男は居た。
その男は、先程エマに突き刺され、倒れている二人の近くにしゃがみこんでいた。そのうちの一人の腕を真っ直ぐ持ち上げ、顔を覗き込んでいる様子だったが、すぐにぱっと手を離した。もう事切れているのだろう男は、ザッという音を立てて地面にぶつかった。
「あーあ、こいつらはもう駄目だな」そう言いながら、男は立ち上がりこちらを振り向いた。
「なんだぁ? 子供のお遊戯会場かよ、ここは?」
「お遊戯かどうか試してみるか?」朱音は男の方へと槍を向ける。
「いや、いいわ」男はひらひらと手を振った。「あーあ、さっきの火事で大人しく死んでて欲しかったんだけどなぁ」
さっきの火事――今朝アパートで襲撃してきたのも、こいつが関係しているのか。
「火事や交通事故の方が、処理しやすいからさ。銃なんか撃ったら後々大変なんだよ、ほんと。あっちの死体とかさ……刻んで溶かして棄ててってさ、やんなきゃいけないんだよ。それ、誰がすると思ってんの?」
饒舌に話す男の年齢は、俺や朱音よりも遥かに高いだろう。白髪や声の雰囲気から、三十後半から四十代くらいには見える。口調は軽いが、その男からは言いようのないプレッシャーを感じる。
「お前らが先にこっちを殺そうとしてきたんだろ。お前もJCOの手先かよ」
「いや、そのあたりはちょっと複雑でね」男は顎に手をやった。「俺は正確にはJCO側では無いんだけど……って、あぶね。俺は口が軽いからさ、あんま喋りたくないんだよ。それよりさ、持ってんだろ? 九重英介のMRD」
九重英介の名前が出て、俺は息を呑んだ。すぐ横に居る朱音も、一瞬身体を硬くしたように見えた。
この男は知っているのだ。九重英介と、遺されたMRDについて。
「なんだよそれ?」朱音がしらを切ると、男は両肩を少し上げた。
「さあ、なんだろうな? だけどよお嬢ちゃん、あんたがそれを出せば、あんたも、そっちの彼氏も、死ななくて済むかもしれないぜ」
そう言って男は視線を俺への方に向けた。
「はっ、渡したところで結局殺すんだろ?」
「試してみないと分かんないじゃん。君たち、まだ若いんだしさ」
背後の気配に振り向くと、拳銃を持った男たちが距離を詰めてきていた。銃口は俺と朱音にそれぞれ向けられている。この距離なら外しようが無い。
「さて、どうするよ?」軽い口調でありながら、これは完全な脅迫だ。
「ちっ……」
朱音は歯を食いしばりながら、槍を右手で地面に立て、左手で服のポケットへと手を伸ばす。俺はただ、朱音の方を見つめているしかなかった。
「楠原、聞け……」朱音はポケットへ手を入たまま、そう小さく呟いた。俺は返事をせず、何も聞こえてない振りをして朱音の挙動を見続ける。
「アタシが、今から……」朱音はポケットの中からMRDを探すような素振りをして、言葉を続けていく。俺は一言一句聞き逃さないように、耳に全神経を集中した。
「おーい、早くしてくれる? あるの? ないの?」男が腕を組んで催促する。
「今から渡す」朱音はポケットから赤色のリング――父のMRDを取り出した。その左手が、僅かに横へ動いたのを俺は見逃さなかった。
「おうら! 受け取れえ!」朱音は振り返り、近くの銃を持っていた男へMRDを思い切りぶつけた。咄嗟のことに、男はそのMRDを落とさないように両手を動かした。
「伏せろ!」
そう朱音が言い終わる頃には、俺は既に地面に伏していた。直後、朱音が槍を凪いだ。頭上を疾風が通り抜けていく。次々と男達の悲鳴が聞こえ、倒れていくのが見えた。それから銃声がして、拳銃が落ちる音も。俺は地面に伏せながら、朱音が無事か確かめようと視線を動かした。
見えたのは、朱音が槍を横に振り抜いている姿と、その向こうに立つ、白髪の男が銃を構えようとしている姿だった。




