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【本編完結済】Memory's Dogma - 記憶をデータ化できる2030年の日本で巻き起こる脳科学×異能サスペンス  作者: 高橋ワタル
CODE: 02 〈九重朱音 編〉

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3ー1 凶炎

 瞼の向こうでぼんやりとした光を感じて、俺は目を開いた。


(なんだ……? 今、何時だろう)


 そう思いながら身体を捻ると、向かいのソファの上で体育座りしている朱音が居た。縛られていた髪は下ろされ、服装も今までの衣装とは違うものに着替えており、青く発光するARディスプレイが、朱音を取り囲むように浮かんでいた。


「わりぃ……起こしちまったか」


 そう言って、朱音は父、英介のMRDに触れようとする。


「いや、いいんだ……眠れないのか?」


「まあ、ちょっとな」そう言いながら朱音は耳から無線イヤフォンを取り外した。「アタシも、父さんの遺した資料を少しは調べておこうかと思って」

「言ってくれれば俺だって手伝ったのに」


 俺の言葉に朱音は答えず、複雑な表情で、ARディスプレイのひとつに目を落とした。


「俺も見ていいか?」

「……ああ」


 俺は自身のソファから立ち上がり、朱音の座っているソファの横へと移動した。ARディスプレイには、ニュース記事や英介のメモのテキストデータが表示されているもの、ニュース映像が表示されているものなど、様々な情報が複数のARディスプレイで流されている。


《……ゆえに、この件について……》


 朱音がテーブルの上に置いたイヤフォンから、男の声が漏れ聞こえている。


「これ、ちょっと借りるぞ」


 朱音が無言で頷くのを確認してから、俺はそのイヤフォンを手にとり、耳にはめ込む。少し疲れた感じではありながら、精力的に取材に臨む男性の声が聞こえてきた。取材が終わると、今度は自身の意見を録音し始め、他の情報と結びつかないかどうか検討している様子が伺えた。これは恐らく、朱音の父――英介の声だ。


「こうやって、父さんの集めた資料を周りに置いて、声を聞いてるとさ……なんか、凄く近くに父さんが居るような気がするんだ。父さんと一緒に、資料を眺めてるような気持ちになれるというか……」


 そこまで言って、朱音は言葉を切り、「はは、何言ってんだろ、アタシ」そう自嘲気味に言うと、膝を胸により強く抱きしめた。その姿は、夜遅くに父の帰りを待つ子供を思わせた。


 朱音は、父からの手紙を無視し続けた。それは、本当の父に帰ってきて欲しいという思いによるものだったのではないか。


「朱音は、父親想いなんだな」


「は、よせよ……」朱音は俺の座ってる場所とは反対方向に顔を背けた。


「自分の親の事を忘れちゃうような人だってたくさん居る。死んでからなら尚更だ。でも朱音は、ずっと忘れることなく、ここまで頑張って来たんだろ? それは、誰にでも出来ることじゃない。朱音は凄いよ」


 それは本心からの言葉だった。俺は父親と母親の前から逃げた。居心地の悪さに耐えられなかったからだ。朱音にも、そんな居心地の悪さを感じた時期があったはずだ。


 亀裂が生じてしまった関係を取り戻すことは、それが例え家族であっても難しい。それでも、朱音は今日という日まで、それを取り戻そうとしてきたのだ。


「……」


 部屋はARディスプレイの放つ光で薄暗く照らされているものの、押し黙る朱音の表情を窺い知ることは出来ない。だが、朱音は再び顔を自身の膝に乗せると、ゆっくりと、その体重をこちらへと寄せてきた。朱音は俯いたまま、こちらを見ることも無く黙っている。


 朱音の身体から伝わる温かさを感じながら、俺も朱音の方を見ず、そのまま姿勢を保つことに努めた。意外と言っては失礼だが、朱音の赤い髪からはふわりとした良い香りが伝わってきた。


 父親が死んでからは、誰にも寄りかかることなく、朱音はここまで来たのだろう。その小さな身体にどれほどの重圧が掛かっているのか、俺には計り知れない。俺が朱音の父親の代わりになれるはずもないが、このひと時の間でも、朱音が寄りかかれるくらいの存在ではありたい。


 やがて、朱音は体重を戻し、どこか気まずそうな表情で再びARディスプレイに目を落とした。


「こんなこと、エマには言うなよ……あっ」


 朱音が小さく声をあげてエマの方へと目を向けたので、つられて俺もエマの方を見た。どういう寝相で寝ていたのか、身体を包んでいるはずの寝袋がエマから完全に離れた状態で横へと転がっている。


「ああ、またこいつは……」そう言って、朱音はゆっくりとソファから立ち上がると、奥の棚の中から毛布を取り出して、静かにエマの身体に掛けた。


「エマは、寝相が悪いんだよ。意外だろ?」

「エマって、寝てる時は一ミリも身体を動かさないのかと思ったよ」

「アタシもそう思ってたんだけどな、この通りさ」


 そう言いながら、朱音はエマの背中をゆっくりとさすった。


「ふご……」


 エマはそんな朱音の行動に気付いているのかいないのか、小さく唸りながら寝相を打った。


「〝前〟はそんな事なかったのに、不思議だよな、ほんと」

「前? そうなのか?」

「ああ、もうずっと前の話だけどな」

(ずっと前、か……)


 どことなく気になる言い回しだった。朱音の言い方から考えると、エマと朱音の関係は数ヶ月程度のものではないのだろう。その始まりはいつなのか、どうしてあのような風変わりな格好で行動しているのか。二人について、聞いてみたいことは多いが、何となく聞きづらい雰囲気を感じてもいた。


「すぅ……」エマの寝相は収まったらしく、再び静かな寝息が部屋の中に響く。


 それを見ていた朱音は満足したのか、ソファへ戻ると、再びイヤフォンを耳にはめ、ARディスプレイに流れ続ける情報を見つめ始めた。


「楠原も寝とけ。明日も何があるか分からないからな」


 そして、朱音は再び父親の遺した情報の海の中へと漂い始めた。それを邪魔する権利は誰にも無いだろう。


「ああ、朱音もほどほどにな」


 俺は朱音を背にして、再びソファに横になると、再び眠ろうと思い目を瞑った。


――。


――――。


――――――なんだ?


 まどろみ始めていた意識が再び引き戻される。今、何か音が――


「エマ、起きてるか」

「はい」


 背後のソファを見ると、朱音やエマも今の音に気付いたらしく、小声で素早く連携を確認しながら、音も無くそれぞれの寝床から立ち上がろうとしていた。


 直後、今度はトラックの側面に何かがぶつかる重い音が響いた。それほど大きくは無いが、トラック全体が小さく振動する程の衝撃。


「朱音……これは一体……」

「しっ」朱音は俺に向かって人差し指を口元に立てながら、こちらに近づいてきた。


 俺も、音を立てないように横になった姿勢から起き上がると、朱音とエマがその横に張り付く。


「今の音は、このアジトの周囲に何かが近づいた時に鳴るように設定したセンサーアラートだ」

「じゃ、誰か近くに居るってことか?」


 今日の昼に受けた襲撃のことを思い出して、身体に緊張が広がる。あの時の奴らがまた現れたのか?


「まだ分かんねーな……普通に通行者かもしれねーし」


 MRDの時間を確認すると、午前三時を過ぎた頃だった。こんな深夜の郊外に停めてあるトラックに近づくような人物。居ないことは無いだろう。ただ単に夜の散歩が日課という人物である可能性もある。


「楠原、壁のディスプレイから少し離れろ……エマ」

「はい」


 朱音の指示を受けてエマがディスプレイ横のタッチパネルを操作し始めた。すると、今までディスプレイだと思われた部分が透明になり、外の様子が見えるようになった。


「これは……」

「このディスプレイは、マジックミラーにもなってんだ。向こうからはこっちの姿は見えねーから、静かにしてれば居ることはそうそう分からないはずだ」


 ディスプレイの横には何の変哲もない道路が見えた。遠くに自動販売機の光がぼんやりと見えるだけで、ミラーから見える範囲では特に何も――


「朱音、楠原、これを」


 壁のタッチパネルを操作していたエマが、ひとつのARディスプレイを俺と朱音の近くに表示した。


「どうやら何者かが背後に車を停車したようです」


 それは後方駐車する際に表示される、トラック背面に備え付けられているカメラの映像だ。


 そこには確かに、ワゴンタイプと思しき車両の先端部が見える。黒い車体が月の光を鈍く反射している。窓部分もスモークフィルムで覆われているのか、中を伺うことは出来ない。


「ちっ……後ろか……」朱音の声も緊張に包まれている。


 狙ってか狙わずか、ワゴンはトラックのすぐ背後にピッタリと配置されている。こちらのマジックミラーからは丁度死角になっており、ワゴンの全貌は見えない。だが、背後のカメラから小さく聞こえるエンジン音が、その存在を示していた。


「どうする? 一斉に飛び出してあの車の中のやつを引きずり出すか?」

「いや、このまま様子を伺おう。アタシたちが中に居るかどうかまでは、向こうにも分かんねーはずだ」

「そうですね、出来るだけ息を殺して、向こうの出方を伺いましょう」

「ああ……楠原、戦う準備だけはしとけ」


 朱音とエマは頷き合い、朱音はテーブルの上の英介のMRDと、壁に立てかけてあった槍を手にした。俺はエマの誘導に従い、地面に屈んでなるべく音を立てないようにした。


 先程の朱音との会話の時から、ずっと部屋の照明は落としたままだ。このまま何も起きなければ、ただ単に背後に関係ない車両が止まったとも考えられるが――


 その時、遠くの方から重低音のようなものが聞こえた。その音は、背後に居るワゴンとは別の、どこかから――


「楠原! エマ! ここから出ろ!」朱音が叫んだ。

「え!?」

「前だ! 前からも来てるんだよ!」


 そう言われて、はっきりとそれがエンジン音であることが分かった。

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