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【本編完結済】Memory's Dogma - 記憶をデータ化できる2030年の日本で巻き起こる脳科学×異能サスペンス  作者: 高橋ワタル
CODE: 01 上

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3ー3 匿名ユーザー

 外へ出ると、生ぬるい風が火照った身体を包んだ。受付ホールに留まっていた人たちが、口々に文句を言いながら公園への道を歩いていく。少女がいまだに俺の手を引っ張るようにして早歩きで進もうとするので、なされるがまま他の人たちの流れに乗るようにして歩く。


「なあ、君は一体……」


 少女に尋ねながら、ふとコネクトセンターの人間たちはまだ俺を追いかけようとしているのかと思い、振り返ろうとした。少女が前を向いたまま俺の手を強く引いて「ダメ」と制した。


「振り返っちゃダメ。このまま顔を見せずに逃げ切るの」


「わかった。走るか?」


「いえ、走ったらかえって目立つ。このまま進みましょう」


 少女の判断はとても冷静で、反論する余地がない。俺は無言で従い、進み続け、コネクトセンターへ続く公園の入口付近まで歩いた。ここまで来ると、さすがに人もまばらになって来た。あの建物とある程度距離を取ったおかげで、気持ちもだいぶ落ち着いてきた。翔のことが気がかりだ。あいつはちゃんと逃げられたのだろうか。


「あのさ……ちょっといいか」


「何?」


「俺の友達が途中まで一緒に居て、逃げる途中で別れたんだ。そいつが先に脱出しているはずなんだが、無事を確認したい」


「……そう」


 少女は木々の間に身を滑り込ませた。


「ここなら大丈夫だと思う。早く連絡してみた方が良いんじゃない?」


「ああ……」


 MRDで翔を呼び出しながら、何気なく隣の少女に目をやる。俺をここまで導いてくれた女の子。月の光に照らされながら、視線は今来たばかりの道に向けられている。その横顔からは、感情を窺い知ることは出来ない。


 一体、この子は誰だ?


 どうして、俺を助けてくれたんだ?


 翔への呼び出しは、すぐ繋がった。あっちは無事に連絡通路の非常出口から外に出られたらしい。ほどなくして、翔と落ち合うことが出来た。


「うおー、無事だったか。……って、この人は?」


「この子が俺を外まで逃がしてくれたんだ。ええと、名前は……」


 翔の疑問を促すように、俺も少女の方を見た。翔を待っている間も、何となく声を掛けるのがためらわれ、名前を聞きそびれていたのだった。


「私の名前はレイナ。折笠レイナよ」


 レイナ、と名乗った少女は、額に落ちた前髪をさらりとかきあげた。その仕草は大人っぽいが、見た目から判断するに年齢は俺や翔とあまり変わらないように見えた。実際、顔つきはどこかあどけなくも見える。


「君のおかげで裕樹が助かったんだな。ありがとう」


「どういたしまして」


「俺からも礼を言うよ。ありがとう。俺は楠原裕樹、そっちは雨宮翔だ」


 レイナはふたりを交互に見てから「ヒロキと、カケルね。よろしく」と片手を上げた。それに翔も合わせるように「よろしく~」と片手を振って答えた。


「それで……どうして俺に声をかけてくれたんだ? もし巻き込まれたら君だって……」


「……そうね。正直、私にもよくわからない」


 レイナは遠くに視線をさまよわせた。その視線は、自身の思考の奥底へと向けられているようだ。


「でも、あなたが何か大切なものを守ろうとしているように見えたから……違う?」


 俺はレイナの質問に答える代わりに、静かに頷いた。そして、レイナにこれまでのいきさつを話した。俺の話を聞き終えた後、レイナは眉をひそめた。


「ふうん、それは確かに妙な話ね……」


「そらのちゃんの記憶と裕樹の記憶には明らかに食い違いがあった。だから、真相を知るためにコピーしてきたんだ」


 翔はやれやれといった表情で「時間切れで、少し不完全なものかもしれないけどな」とため息をついた。


「やっぱり、時間が少なすぎたか……」


「ま、大体は入ってると思う。裕樹、落としてないよな」


「ああ。ここにある」


 俺はそらのの記憶データが入ったカードを翔に渡した。


「このカードを使って、そらのちゃんとの会話を再現するには、コネクトセンターのシステムをハッキングしながら、あの電話機の通話システムと同じか、少なくとも代替となるシステムを構築する必要がある」


 翔はまた壮大な話をし始めた。


「あの電話機のシステムを一から作ることなんて出来るのか? お前の腕は信用してるけどさ、それって……」


「まー、難関の部類には入るだろうな」


「だよな……くそっ、もう一度あの部屋に入る訳にもいかないしな……」


 それまで俺たちの話をずっと聞いていたレイナが、突如口を開いた。


「話はよくわかった。私も協力する」


「は……? 協力って、どうやって……」


「私が持っている知識をあなたたちに提供する」


 にわかには信じがたい提案だった。ほぼ初対面の俺たちに、協力する必要がどこにある?


「それに、私にも気になってることがあるから……」


「気になってること?」


 レイナは俺の質問に答えるつもりがないのか、沈黙したまま、ただ目線を外すだけだった。


「悪いが、好奇心だけで首を突っ込まれても困るんだ。俺たちには時間がない」


 レイナはすっと目を細めて「だからこそ、よ」と答えた。


「私にも時間がないの。だから力を合わせましょう、という提案よ」


「どういうことだ? 君にも時間がない、っていうのは」


「それは……」


 レイナは夜空を照らす月の方へ視線をさまよわせ、数秒沈黙が訪れたあと、再び俺の方を見据えて「今はまだ、言えない」と答えた。その瞳は真剣な色を湛えていて、冗談で言っているという様子はない。だが……。


「まーまー、細かいことはいいじゃん!」


 緊迫した空気を破ったのは、翔だった。


「協力してくれるっていうんだから、素直に受けとろうぜ。レイナちゃん、ありがとう! よろしく頼むよ!」


 そう言いながらレイナとちゃっかり握手までしている。こんな時でも調子のいいやつだ。


「決まりね」


 レイナは俺の方にも右手を差し出す。俺は無言のまま、レイナと握手を交わした。


「よし、それじゃ移動するか。人目につかなくて、電源があるところと言えば……」


 俺は自身の腕に装着されているMRDに目を向けた。


「MRDで俺たちの身元が割れてるから、家に戻るのはまずいな」


 MRDは交通機関の改札や買い物をする際の電子マネー決済など、あらゆるサービスを利用する際の認証に使われる。ということは、認証を行う度に“ここでMRDによる認証を行った”というログが記録されてしまうということだ。それは個人がいつどこに居たかを特定する情報になり得る。


 MRDにはもちろんGPS機能だってある。やろうと思えば、俺たちが今どこに居るのかさえ調べることだって理論上は出来るはずだ。だが、それは簡単に第三者に開示されるような情報ではない。MRDは装着者の腕の皮膚からDNA情報を読み取ることで、装着者が本人であるかどうかの認証を行うが、DNAに紐付けられた個人を特定するための文字列、いわばパスワードとも言える情報はMRD端末の中にのみ保存されている。


 承認処理の際に行われていることは、MRD端末からそのパスワードを読み取り、ハッシュ関数と呼ばれる一種のフィルタを通して変換された文字列を取得し、それに紐付けられている情報を適宜呼び出しているだけだ。これは生のパスワードそのものを保有していると、漏洩した時のリスクが企業にとって大きすぎるからだ。


 ただ、今回の場合は“2030年8月26日にコネクトセンターで瑞梨そらのという人物に面会に来た人物”ということまでがコネクトセンターのログから推測出来る。その条件に合致する人間は決して多くないはずだ。


「そうだな~、一箇所だけ心当たりがあるんだけど……むぐ!?」


 俺は翔の口を手で抑えて、反射的に身を屈めた。公園の奥の方で物音が聞こえたからだ。レイナが無言で俺の肩を叩き、音が聞こえた方を指差した。その先を見ると、MRDのライトを点灯させて、周囲を見回している人物の姿があった。


「まずはここから離れるのが先ね」


 俺と翔は無言で頷き、音を立てないよう気をつけながら、公園の出口の方へと向かった。その途中、ふと頭上を見上げると、夜空にはおぼろげな星の光が瞬いていた。その光景は、あのコネクトセンターで見たきらめく廊下を彷彿とさせた。


「そらの……」


 さっきほんの少しだけ垣間見た、そらのの悲しげな表情が目に浮かんだ。


 なぜ、そらのは突然の別れを言い出したのか。


 なぜ、そらのは死ななければならなかったのか。


 俺はそれを確かめなければならない――。

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