4ー1 三人の出会い
俺たちの通っていた符中北高校は、符中駅から1kmほど北に進んだところにある。
この学校の校門はMRDを使う認証端末ではなく、物理的な鍵による施錠のみなされている。だが、この高校には校門以外から中に入ることの出来るちょっとした隙間――物理的セキュリティホールとも言えるような場所がいくつか存在する。ここに通っている学生ならば誰でも知っている周知の事実なのだが、それは今もなお残っていた。
そういうわけで、容易に中に入ることが出来た俺たちは、電灯の消えた廊下を歩いて視聴覚室に潜り込んでいた。
「信じられないくらいセキュリティが緩い学校ね。この現代にこんな場所があるなんて」
レイナの言う通りで、このご時世、日本にあるほとんどの施設はMRD無しに入ることは不可能に近い。俺たちが今通っている大学――俺と翔はそこの工学部の学生だ――を避けたのもそれに起因している。さすがに工学部と銘打っている校舎のセキュリティはそれなりである。MRD無しで入ることは不可能であり、かといってMRDで認証を行って中に入れば、どの学生が何時に入ったのかが記録されてしまう。
この高校の視聴覚室という教室を選んだのは翔のリクエストによるものだ。現在はあらゆる場所にMRDによる認証で利用可能なWi-Fiスポットがあり、認証処理も自動的に行われるため、ほとんど無意識的にワイヤレスでネットワークに繋ぐことが多い昨今だが――ちなみにMRDの充電も基本的にはパワーオーバーWi-Fiと呼ばれるシステムで行われている――この学校の中にはそのようなWi-Fiスポットはない。
代わりに、この教室から有線のLANケーブルでネットワークに繋ぐことが出来るようになっており、情報学などネットワークに繋ぐ必要のある授業で利用される。外部のネットワークからはこの教室のローカルネットワークを構築しているルーターのグローバルIPしか見えないので、ログデータからは、この学校から何者かがこの時間にネットワークに接続したということしかわからない。つまり、ここはMRDによる認証を行わずにネットワークに繋ぐことが出来る数少ない場所なのだ。
「ネットの孤島のようなこの学校に、この俺が感謝する日が来るとは思わなかったぜ、ははは」
そう言いながら翔は教室の前側の席に座ると、カバンをその上に置き、中からノートPCと例のカードリーダーを取り出した。俺とレイナは、その近くの席に腰掛ける。なんだか、机がずいぶんと小さくなったように感じる。高校を卒業してまだ半年も経過していないというのに、高校時代というラベルの付いた記憶が遠い過去のものであるかのようだ。
こうして、そらのとの思い出もあっという間に過去のものになってしまうのだろうか。いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「それで、何から始めるんだ?」
「まずはデータの解析からだな」
翔はノートPCのLANポート――さすが古いノートPCと言ったところだ――にLANケーブルを繋ぎながら、早口で話し始めた。
「それはそうと、さっき拝借してきたデータは、正確に言うと記憶データのコピーじゃないんだ」
「え? でも、さっきはコピーだって言ってたじゃないか」
翔は俺の前まで歩いてきて、両手の平を顔の前で合わせた。
「スマン! あの時は説明する時間がなくて面倒だったからそう言っただけなんだよ。さすがにあの電話型端末に記憶データをコピーする権限はなかったし、コピーできたとしても、このカードの容量じゃ、とてもじゃないけどヒトの記憶なんていう膨大なサイズのデータは収まりきらなかっただろうしな」
確かに、ヒトの記憶のデータサイズはかなり大きいはずだ。言われてみれば、あのカードメディアにそれほど大きなデータ容量があるとは思えない。
「それじゃ、俺たちが必死の思いで奪ってきたあのデータは一体何なんだ?」
俺の不満めいた言葉に、翔は両手を俺の方へ伸ばしながら「鍵だよ」と答えた。
「鍵?」
「うむ。このデータは本物の記憶データが格納されている場所、すなわちコネクトセンターのデータベースに接続するための暗号鍵なんだ」
翔はポケットから記憶データが入っているカードを取り出して、それを様々な角度で観察する動作をした。
「この暗号鍵を使って、そのデータベースにアクセスするための経路を調べるってワケ」
俺の中にひとつの不安が首をもたげ始めた。
「じゃあ、その本物の記憶データが電葬されてしまったら……」
「ああ、お前の考えている通り、このコピーしたデータも無意味になっちゃうな」
俺は思わずMRDに目をやった。
「ということは……タイムリミットはあと、六日ということか」
「てか、もう夜だからな。実質、あと五日だ」
あと五日――。
残された時間は、少ない。
「さっき言ってた、“データが不完全”っていうのはどういう意味なんだ?」
「コネクトセンターの認証システムってのがまた結構手強いヤツでさー、中枢にアクセスするためには、一本の鍵だけじゃ足りないんだ」
翔は右手でまず人差し指だけを立たせ、それから五本すべての指を伸ばした。
「どうやら合計で五本の鍵が設定されてるっぽいんだけど、五本目の鍵をコピーしてる途中で時間切れになっちまったから、その鍵だけ不完全っぽいんだよな。まあ、まずはどうにかして、五本目の鍵を探さなきゃならないってことだな」
「……それってかなり難しいんじゃないのか?」
翔ほどでは無いにしろ、俺も工学部の学生だ。コネクトセンターの認証システムなんてものを、そうそう簡単に破れないであろうことは想像がつく。
「まあまあ、この俺に任せとけって」
翔は自信たっぷりにそう答えると、顔をノートPCの方へと向けた。翔がそういう言い方をする時は外さないから、きっとやり遂げてくれるに違いない。
やがて、一定のリズムを刻むキーボードの打鍵音が聞こえてきた。それを聞いていると、ふと、高校時代の記憶が蘇ってきた。
* * *
俺たちはこの視聴覚室で、主に英語のリスニングの授業を受けていた。超高速で読まれる英文を聞き取り、割り当てられた端末に一字一句違えず打鍵する。その後、教師がランダムに生徒を指名し、答えさせられるというハードな授業だ。更に、答えられないと次の生徒が正しく答えるまでその場に立っていなければならないという、生徒に嫌われるために作ったとしか思えないルールがあり、誰もがこの時間を憂鬱に思っていた。
とある日の授業が終わった後、俺の前に座っていた女子が、その隣の女子にいきなり「ちょっとさっきの何? バカにしてんの?」ときつい言葉をぶつけ始めた。
瑞梨そらの――非難された方の女子の名前だけは、ほんのりと覚えがあった。
盗み聞きするつもりはなかったが、目の前で次々と浴びせられる言いがかりのおかげで、俺は大体の事情を察した。その女子は、教師に指名された問題を答えるのに一瞬言葉に詰まった。すると、そらのが横からそっと答えを教えたらしい。それが気に食わなかったというのだ。
「私は答えを考えてたところで、わかんなかった訳じゃない。なのに、あんたが余計なことをしたおかげで、先生に目を付けられて立たされて……最悪なんですけど」
本来なら助け舟を出されて感謝してもいい立場なのに、この言いざまだ。傍で聞いていると随分理不尽だと思うが、そらのは何も言い返さず黙っている。それを良いことに、他の女子も加わってそらのに攻撃を始めた。
「ちょっと頭がいいからって上から目線でいい気にならないでよね」
「大体、あんましゃべんないし、何考えてるのかサッパリわかんないしさ」
「何とか言ったらどう? 私らのこと、バカにしてるんでしょ?」
女子たちの暴言が重なるたび、そらのの背中は小さくなっていく。それでも何かを言い返そうとはせず、じっと耐えていた。その様子を見て、俺は内臓を直に掴まれるような気持ち悪さを感じていた。誰かが誰かに一方的に罵倒されている光景。それは、あの時のことを――自分が不要なものとして扱われた時のことを思い出させるのだ。どうしてそのようなことをされるのかも理解できず、相手から発せられる悪意が恐ろしくて、悲しさと苦しみの中、それが早く終わることだけを祈りながら、ただ耐え続けるしかない。それは、永遠のように感じられる時間だ。
正直、女子同士の面倒事など、真っ先に避けて通りたい。そらのという女の子のことも何一つ知らない。だが――その時の俺には、他人事としてその光景を受け流すことは出来なかった。
「バカにするんなら黙って笑うだけでいいはずだろ。その子、助けてくれたんじゃないのか?」
小さく呟いたはずの言葉だった。だが、思いのほか大きく声に出てしまい、女子たちは一斉にこちらを振り向いた。そらのも目を丸くしてこっちを見ている。それはそうだ。クラスメイトと全くの没交渉だった俺が、いきなり会話に割って入ったのだから。
俺は次に言うべきことは何なのか考えながらも、内心少し焦っていた。そんな中で、俺たちの間に割って入った者が居た。
「お前らが頭悪いのがわりーんじゃん」
その強烈な一言を放ったのが、翔だった。
女子たちは「信じらんない」「何なのアイツ」と怒り心頭で立ち去った。彼女たちの後ろ姿を見送った後、俺は翔と顔を見合わせた。そして「ちょっと言い過ぎた?」「いや、同感だ」と初めて言葉を交わした。次の瞬間、そらのがようやく緊張から解けたように微笑んだのを、よく覚えている。春の陽だまりのような、とても温かい笑顔だった。
俺たちの関係が大きく動いたのは、その日の放課後だった。そらのが俺と翔を呼び止め、昼間のお礼がしたいとあのケーキ屋“ゼルコバ”に連れて行ってくれたのだ。カフェコーナーで向かい合って座った時、俺は不思議な居心地の良さをすぐに感じた。
俺のぼんやりとしたイメージの中で、そらのは大人しい女子、翔はいつも何かの機材をいじっているガジェットオタクという印象だったが、話をしてみると意外なほど馬が合った。まるで幼馴染と接しているかのような感覚で、俺たちは何時間も話した。
後でそらのから聞いたところによると、翔とそらのは昔からお互いの存在を知ってはいたものの、言葉を交わしたことはほとんどなかったらしい。もちろん、俺のことも謎の転校生だと思っていたという。だから俺たちとこんなに打ち解けられたのが不思議だと、そらのは笑っていた――。
* * *
「どうしたの?」
我に返ると、レイナが不思議そうにこちらを覗き込んでいた。
「……いや、何でもない」
「ソラノ、だっけ。彼女のこと?」
鋭いところを突いてくるレイナに、俺はただ頷くしかなかった。
「さっき、あの部屋で……そらのは何を言おうとしてたんだろうな……」
「そうね……どれほど脳科学の研究が発展して、脳機能の解明が進んでも、その人がいま何を考えているかまではわからないのが現状だから……」
レイナは顎に手を滑らせ、目を閉じ、何かを考えたあと、再び俺の方を見た。
「直接ヒロキたちの会話を聞いた訳じゃないから、これは完全な憶測だけど……状況から察するに、記憶を再現するためのアルゴリズムが、何らかの原因で不具合を起こしたのかもしれない」
それからレイナはやれやれといった感じで肩をすくめた。
「記憶の電子化もまだパーフェクトとは言えない状態だから」




