4ー2 三人の出会い
「どういうことだ? 記憶の電子化って、もう確立された技術じゃないのか?」
「残念ながら、必ずしもそうとは言えない部分もある」
レイナは軽く咳払いをしてから、話し始めた。
「数年前まで、様々な国が脳機能のマッピングやシミュレートを実現させるためのプロジェクトを推進していた。有名なものだと、アメリカのBRAINプロジェクトや、ヨーロッパのヒューマン・ブレイン・プロジェクト。どこかで一度くらい名前を目にしたことはあるんじゃない?」
左手の人差し指を上にピンと伸ばしながら、説明をするレイナの姿は、さながら出来の悪い生徒に根気よく教えようと奮闘する教師のようだ。
「それらの先行研究のおかげで、今ではヒトの脳機能マッピングは完了しているし、e-Memoryのような技術の礎にもなった。でも、ヒトの記憶に関する研究については、まだ未知の部分がある」
そこでいったん言葉を切り、上に向けられていた左手の指を、今度は俺に向けてきた。
「記憶そのものを電子化することについては確立されているけど、その記憶の再現を実際の脳が行うのと同じように実行することにはまだ限界がある、ってことよ」
昨夜本人が言っていた通り、レイナは記憶の電子化についてかなり深い知識があるらしい。
「レイナって、本当に記憶の電子化について詳しいんだな」
「まあ……このくらいのことは大学に居た頃に勉強したから」
翔がふと顔を上げて尋ねてきた。
「ってことはさー、レイナちゃんは軽く20代半ば……」
「失礼ね。まだ17歳よ」
「げっ、マジで?」
「俺たちよりも年下だったのか。でも、それだと計算が……」
レイナはさらりとした口調で言った。「アメリカで飛び級して、十二歳の時に大学を卒業したの」
それが本当なら、小学校を卒業する年齢にして、大学まで卒業していることになる。ニュースサイトで目にするような都市伝説とばかり思っていたが、そんな人物が本当に存在するとは。
「そうだったのか、驚いたな……」
あまりにも平凡な感想を俺は述べた。ほかに思いつく言葉も無かった。
「別に、そんな大げさなことじゃない」
つとめて自慢っぽくならないようにしているのだろう、軽いトーンでレイナはそう言った。それがより、レイナの持つ卓越性を示しているような気がした。いずれにしろ、レイナが深い知識を持っていることについては納得出来た。
「あなたたちは、高校生なの?」レイナは窓から伸びる月明りに照らされた床を眺めながら、話題を俺たちに向けた。
「いや、俺たちも一応、工学部の大学生ではあるけど……」
俺の返答を聞いて、レイナがすっと顔を上げた。「そうなの?」
「え、うん、そうだけど」
「じゃあ、ウィルソン=ニッケ教授が半年前に発表した、バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想に関する論文ってもう読んだ?」
レイナは俺を真っ直ぐ見据えてそう言った。その瞳の奥がほのかに輝き出したような気がする。どこかワクワクしているような、何か期待をしているような表情。レイナの期待に満ちた視線に耐えられず、俺はひとりでに話し始めていた。
「もちろん知ってるさ。その……ダイアー予想な」
おいおい、俺は何を知ったかぶりをしているんだ……。
無下にするのもためらわれて、ついレイナの話に乗ってしまった。
「本当? あの論文、私の周囲では見解が割れていて、なかなか面白いのよね。ヒロキはあれを読んだ時、どう思った?」
あまりこういうことが話せる相手が居ないのかもしれない。ただならぬテンションになりつつある。
「見解か、見解……そうだな……。個人的には、まだ議論の余地があるような気もするよな」
必死に考えながら言葉をひねりだしている感じで答える。
「なるほど、確かにね……私もまだ引っかかってる部分あるし……」
レイナはそう言うと「ふむ」とつぶやいて、腕を組み、何やら深く考え事をし始めたようだ。勢いで知ったかぶりをしてみたものの、早くも限界が近付いていた。これ以上深い話になったら、どうしようもない……。
「ちなみに、ヒロキはどういう――」
レイナがまた何かを口にしようとした時、翔が口を挟んだ。
「あー、そういえばさ。レイナちゃんは大学を卒業してから何してるんだ?」
俺の内心の焦りが伝わったのか、はたまた長年の付き合いで察したのか、どちらにせよ助かった。一方レイナはというと、翔の言葉を聞いた直後、一瞬だけ身構えるそぶりを見せた。
「……最先端の研究開発を行っているところで、働いてる」
レイナはそれ以上話すことなく、ただ肩をすくめた。
「私のことはいいでしょ。それより、ソラノの記憶よ」
レイナはあからさまに話題を変えた。最先端の研究となれば、きっと企業秘密として扱われる部分が多いのだろう。俺もそれ以上尋ねることはせずに、レイナに話を促した。今大事なのはレイナの素性ではない。そらのの記憶なのだ。
「記憶データへのアクセスについては翔に任せるとして、無事にアクセス出来たとしても、また同じエラーが発生してしまう可能性もある。だから、そのほかにもアナログ的なアプローチを試してみるのもひとつの方法かもしれない」
「アナログ的アプローチってのは、具体的には何をするんだ?」
「例えば、ソラノが持っていた持ち物や、ソラノが知っている場所が映った画像データを見せてみるとか」
「そんな単純なやり方でそらのの記憶が戻るのか?」
「もちろん確証はないけど、ね。試してみる価値はあると思う」
「うーん。まあ、確かにここで翔の作業を眺めてても仕方ないよな……」
「良いじゃん」翔が口を挟んだ。「行ってこいよ。こっちは一日でどこまで進めるか、わかんねーしな」
* * *
外は朝の光が清々しく、というよりもかなり強烈に照りつけていた。目を突き刺すような日光を見上げ、俺は顔をしかめた。
「さすがに徹夜は辛いな」
「そう? そんなに珍しいことじゃないと思うけど」
レイナはどこ吹く風といった感じだ。
「一般的には、そうそうあることじゃないだろ」
「ヒロキも工学部の学生なら、そのうち、大学の研究室で夜通し実験することになる」
「まあ、そうかもな……」俺は同意の意を示しつつレイナの方を向き、気になっていることを尋ねた。「なんでレイナもついてくるんだ?」
「カケルは助言が必要なタイプじゃなさそうだから」レイナは肩をすくめた。「ヒロキはすぐ本題を忘れてフラフラしそうだし……」
当たっているだけに言い返せない。
「あ、ごめん。気を悪くした……?」
黙り込んだ俺を見て、レイナは慌てた様子で謝罪した。
「いや、いいんだ。他の人からもよく言われるから」
翔やそらのにも良くぼーっとしていると言われていたのを思い出す。きっと他人から見て、俺はそう見えるのだろう。
「お前はいつも率直にものを言いすぎるって、先生にもよく言われてたのに、未だに直らなくて……」
「先生? 大学の?」
「ええ。大学に居た時、すごくお世話になった人」
レイナはどことなく遠くを見ながらそう言った。なんとなく声をかけるのがためらわれて、俺はただその横顔を眺めるしかなかった。
すごくお世話になった人、か。
俺にとってお世話になった人といえば――これから向かう先に居る人の顔を、俺は思い浮かべた。
「……ところで、どこに向かってるの?」
「そらのの家だ。そらのの持ち物を借りられるかと思って」
「それはグッドアイディアね」




