4ー3 三人の出会い
それからすぐに一軒の家の前に辿り着いた。そらのが、姉の葵さんと一緒に暮らしていた家だ。
「ここに、ソラノの家族が住んでいるの?」
「今、ここに住んでいるのは葵さんひとりだ」
「アオイ?」
「そらののお姉さんだ」
俺はさりげなくMRDを起動して時間を確認した。
「今は……朝の七時過ぎか。もう起きてるかな……」
本当は起きているかどうかなんてことを気にしている訳ではなかった。そらのの葬儀に、俺は行かなかった。だから、ここに来るのは、まだそらのが生きていた頃、最後にこの家に遊びに来た時以来だ。葵さんともそれ以来会っていなかった。葬儀にも参列しなかった俺を、葵さんはどう思っているのだろうか。そんな経緯を考えると、インターフォンを押すのが急に怖くなってきたのだ。
しかし、次の瞬間にはレイナがインターフォンをためらいなく押していた。俺は思わず「あっ」と声を漏らした。
「ヒロキがモタモタしてるから、代わりに押してあげたのよ」
相変わらず正論すぎて何も言い返すことが出来ない。そうこうしているうちに「はい」とインターフォンから懐かしい声が聞こえてきた。葵さんの声だ。
「あ……俺です。楠原です」
「……あら、裕樹? ちょっと待ってて」
ほどなくして、葵さんが玄関から出てきた。その姿は、心なしか以前よりも少しやつれたような気がした。しかし、それでも葵さんは俺の顔を見ると優しい微笑みを浮かべた。
「いらっしゃい。来てくれたんだ」
普段おっとりしているそらのと対照的で、葵さんは活動的な人だ。一見相反する姉妹のようで、いつも前向きで明るい性格が似ているふたりは、とても仲が良さそうだった。葬儀で眠るそらのの横で、葵さんはどんな表情をしていたのだろう。
「ええと、お久しぶり、です……」
なんと言ったら良いのかわからず、曖昧に答えることしか出来なかった。
なんだか気まずい。葵さんもきっとそうなのだろう、少しの沈黙が続いた。
「あれ?」葵さんは、俺の後ろにいるレイナの存在に気付いたようだ。
「突然お邪魔しちゃってすみません」
葬儀にも参列しなかった人間が、知らない女の子を突然連れてきたんだから、気分が良いはずが無い。
「ううん、そんなことないよ。来てくれてありがとう、そらのも喜ぶわ」
しかし葵さんは優しい言葉を掛けてくれるのだった。葵さんはレイナの方にも笑顔を向けた。
「あなたもそらのの友達なの?」
「はい。折笠レイナと言います」あまりにも迷いの無い返答だった。
「そう。私はそらのの姉で、瑞梨葵です。よろしくね」
* * *
葵さんに案内されるがままに入ったそらのの部屋は、あの時のままだった。室内は整頓されてはいたが、家具の配置はほとんど変えられていないようだ。
「ヒロキは、ここには来たことがあるの?」
「ああ。よくふたりで小説を読みふけったり、翔も含めて一緒に宿題をやったりしたもんだよ」
レイナの質問に答えながら、俺はこの部屋に三人で居た時のことを思い出していた。いつも翔はノートPCのディスプレイを睨みながら、一心不乱にキーボードを打ち込み続けていた。そらのと俺も、小説を読んだり宿題をしたり、床で寝ていたりと、各々が好きなように過ごしていた。
会話はあまりなかった。正確に言うなら、無理に何かを話す必要がなかったのだ。静かで、干渉されることもなく、ただここにいるだけで、この居心地の良さを誰かと共有出来る、そんな場所を気に入っていた。
――今でも、たしかにこの部屋は間違いなくそらのの部屋だ。しかし、あの時のような居心地の良さを感じることは無かった。
ただ、そらのはもう居ない、という事実だけが、よどんだ空気のようにここには滞留している。不思議なことに、悲しい、寂しいという感情が溢れ出てはこなかった。涙さえ、俺はまだ一滴も流していない。
「ふうん。いいわね、そういう関係って」
言葉の内容とは裏腹に、どことなく含みのある言い方だった。
「ねえ、ちょっと気になったんだけど」レイナが、棚の一角を指した。
そこには、白猫、黒猫、ぶち猫、招き猫……古今東西の猫のぬいぐるみや置物が、ところ狭しと並べられている。
「ものすごい数ね。どうしてこんなに?」
「ああ、これな……」俺が答えようとしたとき、葵さんが部屋に入ってきた。「結構凄いでしょう? これ」
「あの子、猫アレルギーだったのよね。でも、猫が大好きなもんだから、うちでは飼えないって、いくら言い聞かせても全然聞かなくて」
当時のことを思い出しているのか、窓の方を見る葵さんの視線は、窓から見える景色の更に奥の方へと向けられている。
「そしたらある日、ものすごい大きな猫のぬいぐるみを抱えて帰ってきてね」
「へえ。それはソラノが自分で買って?」
「いや、たまたまそらのと翔と三人でゲームセンターに行った時に俺がとったんだよ。あまりにも欲しそうなオーラを放ってたからあげたんだ」
その時のそらのの喜びようは、今でもありありと思い出せる。
「そうしたら、これが驚くほど効果てきめんでさ。それからどうなったと思う?」
葵さんの声色は、昔をなつかしむような、すこし楽しそうなトーンだ。
「あの子、今度は猫グッズをねだるようになったのよ。あはは、おかしいわよね」
「それで、猫にまつわるグッズを気が向いた時に持ってきては、ここに置いていくのが恒例行事になったって訳」
「なるほどね」
「こういうのも、そろそろ片付けなきゃとは思うんだけど」葵さんはため息交じりに、困ったように微笑んだ。
「掃除に邪魔だとか思ってたのに、今ではなんだか私も、この猫たちに愛着が湧いてきちゃってね」
笑顔だった葵さんの表情はやがて悲しみの色が濃くなっていき、消え入るような声で「全く、困ったもんよね」と呟いた。
容姿がすごく似ているという訳ではないのに、やはり姉妹だからだろうか。その表情がどことなくそらのに似ているような気がして、見ていると胸のあたりが詰まりそうになる。
「それはそうと、今日はどうしたの?」
葵さんの疑問に俺は少しだけ躊躇したが、葵さんの顔を見据えて言った。
「……今日は、葵さんにあるお願いがあって来たんです」
俺は、昨日コネクトセンターに行ったこと、そらのの記憶と話をしてきたこと、そしてその後起きたことについて話した。話を進めていくほどに、葵さんの表情が曇っていく。
「それで、そらのが亡くなった本当の理由が知りたい、ということね」葵さんは重々しく口を開いた。
「はい。手がかりになりそうな物を探していて……何か、そらのの持ち物を借りてもいいですか?」
葵さんは「うーん」と少し考えた後、「正直なところ、ちょっと抵抗があるかな」と申し訳なさそうに言った。
「そう、ですか……」
「まだ、今の状況に気持ちが追いついてない、って、いうのかな……」葵さんは小さく溜息をついた。
「情けない話なんだけどね。そらのがこの世から居なくなった、っていうことを、まだ心のどこかで受け入れてないんだと思う」
「そうか……そう、ですよね……」
「だから、気持ちの整理がつくまでは、あまりそらのの持ち物を外に持ち出して欲しくないんだ……」
今こうして話しているのを見ただけでも、葵さんの心労の大きさがうかがえた。
「ちゃんと決心がつく時まで待ってもらっていいかな。ごめんなさいね」
「いえ、俺の方こそ、無理を言ってすみません」
葵さんがそう思うのはもっともだ。俺は申し訳ない気持ちになり、頭を下げた。
「ううん。部屋には好きなだけ居てくれていいから。見たいものがあるなら、自由に見ていってね」
顔を上げると、葵さんの表情には疲れが見えた。俺たちに気を使って、迎え入れたときにはそういう素振りを隠していたのだろう。
「ちょっと仕事が残ってて――私は自分の部屋に居るから、何かあったら呼んでね」
早口でそう話すと、葵さんは俺たちから背を向け、部屋を出て行った。去り際の葵さんの目尻には、涙が光っていたように見えた。それにはレイナも気付いたようだ。
「アオイ、泣いてた」
「そらのと葵さん、本当に仲が良かったんだ。ご両親はもう十年以上前に亡くなってて、ずっとふたりで生活してたんだよ」
葵さんの思いを改めて目の当たりにして、両肩がずしりと重くなったような気がした。
「やっぱり、葵さんの方が俺なんかよりも何倍も悲しいはずなんだ」
「でも、ヒロキだって……」レイナは、棚に並べられた大量のぬいぐるみを指差した。
「ソラノにこれだけの数のプレゼントを贈った、ってことは、それだけふたりの間には長い年月の積み重ねがある、ってことでしょう」
レイナは穏やかな微笑みを俺に向けて言った。「アオイの気持ちとヒロキの気持ちは比べられるものじゃない」
俺は葵さんがそうしていたように、窓から見える景色に目をやった。流れる雲を少しの間眺め、それから自然と湧いてきた言葉を口にした。
「そらのの誕生日とか、クリスマスとか、何かしらイベントが起きる度にコレクションが増えていってさ……」
俺の脳裏には、そらのと過ごしてきたいろいろな場面が浮かんでいた。レイナは静かに耳を傾けている。
「顔も雰囲気もバラバラだけど、どんなものでもそらのは喜んでくれたんだ」
「ソラノがどれも大切にしてたってことは、この部屋を見るだけで私にもわかる」
レイナはそう言うと、再び静かに微笑んだ。レイナの言葉が、そらのとの日々を引き出してくれたような気がする。静寂の中で束の間、俺はそらのとの思い出に浸った。
「……そろそろ行こう」
残念だが、俺たちがここで出来ることはもう無さそうだった。レイナも猫のぬいぐるみを撫でながら「そうね」と頷いた。
部屋を出ようと扉を開けると、その近くに葵さんが立っていた。俺を見て、ハッとしたように目を見開くと、寂しげに微笑んだ。
「……ごめんね。そらのの部屋に友達が来てくれるのは久しぶりだなと思ったら、なんだか離れがたくて」
「また、来ます。今度は翔も連れて」
「そうね。そらのもきっと喜ぶと思う」
葵さんは努めて明るいトーンで話そうとして、最後は声が少しうわずっていたが、気付かないフリをした。
俺と翔とそらの、三人があの頃のようにこの部屋に揃うことは無い。その機会は永久に失われてしまった。それでも、いつかこの部屋にまた遊びに来る日が訪れるだろうか。今はまだわからない。だが、葵さんを独りでここに居させるよりも、ずっと良いのかもしれない。




