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【本編完結済】Memory's Dogma - 記憶をデータ化できる2030年の日本で巻き起こる脳科学×異能サスペンス  作者: 高橋ワタル
CODE: 01 上

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3ー2 匿名ユーザー

 通路に出ると、翔と俺は元来た玄関ホールの方へと足を向けた。だが、少し進んだところで、警備服に身を包んだ男が数名、こちらに走ってくるのが見えた。


「こっちで逃げ道を探すぞ!」


 翔が反対方向の道を指差しながら走り出す。


「ああ!」と応じて、俺も翔を追いかけるように走り出した。


 しかし、進むとすぐに突き当たりにぶつかった。T字路になっており、左右どちらかに進むしかない。


「どっちだ?」


「左だ!」


 迷いなく翔が左に進むので、俺も後に続いた。警報が鳴ってから、自動運転されていたプレートも止まっているようだ。その上に、利用客であろう人が困惑した表情で立っている。俺たちはその横を通り過ぎながら走り続ける。


「裕樹、これを見ろ」


 翔がMRDで俺の目の前にARディスプレイを表示した。そこには5つの円が表示されており、中央の円を囲むように4つの円が周囲に並んでいる。


「コネクトセンターのマップだ。つっても、これまたテミスネットで拾ってきたもんだけどな」


「お前、いつの間に……」さきほどの「準備してきた」という言葉は嘘ではないらしい。


「いいか、俺たちは今、この真ん中の円のあたりにいる。俺は更にこのまま左上の建物の方に向かう。建物を繋ぐ連絡通路に非常出口のマークがあるだろ? そこから出る」


「わかった。じゃあそこまで走れば……」


 俺の言葉を「いや」と翔が遮る。「裕樹はこの連絡通路のところで俺と別れろ」


「え?」


「もしかしたら、この非常出口は普段はロックが掛かってて出られないかもしれないだろ? だから俺が先に確認する。もし非常出口にロックが掛かってたら、お前にMRDで連絡を入れる」


 翔の口から俺のしらない計画が次々と語られていく。


「お、おい……」俺は静止の言葉をひねり出そうとするが、翔はまたも俺の言葉を遮った。


「もし非常出口から出られたら連絡はしない。そこから出て隠れてるから、お前はさらに外周を回って、この左下の建物に通じる連絡通路を目指せ」


「ちょっと待てって! 勝手に話を進めるなよ!」


 そこでようやく翔は話すのを止めた。その表情は真剣なままだ。どうやら本気でそう考えているらしい。そうこう言っているうちにも、追手が迫ってきているのが視界の端の方に見えた。確かに、この状況下で他の手段があるとは考えられない、だが――。


「もしそこから出られなかったら、お前はどうするんだよ」


「ん~そうだな~、そうなったら捕まるかもしれないな」翔は一瞬だけ、いつものお調子者といった様子で笑ってみせた。


「おい、それじゃ困る……」


 いまだ困惑している俺に、翔は両手の指で四角形を作った。


「あのなあ裕樹、さっきお前にカードを渡しただろ? 大事なのはあれなんだよ。だからお前がとりあえず出られれば良いんだ。捕まったってちょっと怒られるだけだ。でもカードを持ってたら取り上げられちゃうだろ?」


 ちょっと怒られるだけ……果たしてそんな簡単な話なのだろうか。その疑問を抱えたまま、渡り廊下が見えてきてしまった。


「さっき言ったとおり、お前はこのまま進んでくれ」


 翔の固い意志は変わりそうにない。


「わかった……翔、捕まるなよ」


 もはやそれ以外に思いつく言葉もなく、俺は翔にそう声をかけるしかなかった。


「どっちかっていうと俺がお前に言いたい台詞なんだよな~それ」


 翔はまた例の笑顔でそう言った。


「そらのちゃんの記憶に通じる大事なデータはお前が持ってるんだからな。頼むぜ~」


「ああ、これは必ず持って帰る」


 俺はポケットに入っているカードがそこにあることを、手触りで確認して答えた。


「じゃ、そういうことでよろしく!」


 そう言って翔は右手の渡り廊下の方へ走っていった。


 警報はいまだに鳴り響き、振り返ると何人もの追っ手が迫ってきているのが見える。とにかく足を動かし続けながら、俺は談話室を出た時の様子を思い出していた。


 俺と翔が談話室を出た瞬間に警報は鳴った。しかも自動運転までストップしていた。そして部屋を出た時には警備員がこちらに向かって走ってきていた。作業服の男と井細田という男が談話室に来た時点で、こうなることを予見して準備していたようにも思える。いや、逆にあのタイミングで談話室から出なければ、今頃は警備員に取り押さえられていたのかもしれない。そして、談話室でそらのと話した時のあの異常な言動。そらのは何かに怯えていたように見えた。


――重大なエラー。


 とりとめもなく思い浮かぶ考えのいずれかが、そらのの死と何らかの関係があるのだろうか。連絡通路に通じているであろう曲がり角が見えてきた。翔からの通信は来ていない。無事に非常出口から出たか、あるいは――無事に逃げ切れたことを信じて、俺も非常出口に向かおうとした。だが、連絡通路から警備員が数名現れたのが見え、思わずその場で足を止めてしまった。背後を振り返ると、まだ距離はあるものの、追手が徐々に距離を詰めてきている。完全に退路が絶たれた。やみくもに逃げていても、きっとすぐに捕まってしまうだろう。


――くそっ、どうすれば……。


 その時、不意にMRDから通信申請が来たことを知らせるARディスプレイが眼前に映し出された。発信ユーザーの欄には「Unknown User ID」と表示されている。つまり匿名ユーザーだ。翔のことだから、身元を隠して通信している可能性はある。祈るような気持ちでMRDの着信に応答した。


「連絡通路の手前に左に入る道がある。そこに走って」


 しかし、聞こえてきたのは思いもよらない声だった。


「は……? 君は誰だ?」


「今は脱出するのが先。そうでしょ?」


 女の子の声だ。


 俺の質問には答えず、とても落ち着いた声でそう言った。


 誰かはわからないが、確かにその通りだ。だが――。


「この通信も罠だったら?」


 その可能性はかなり高いだろう。このタイミングで、いきなり俺のMRDに匿名で通信してくるなんて、どう考えても怪しい。


「強制はしない。私にも時間がないし」


 沈黙。何か思案している気配がARディスプレイの向こう側から伝わってきた。


「でも、あなたにも守りたいものがあるんでしょう?」


 守りたいもの――。


 ポケットの中にあるそらのの記憶。


 危険を犯してそれを託してくれた翔。


 俺が立ち止まって抵抗を止めたと思ったのか、連絡通路側から来た警備員はゆっくりとこちらに近づいてくる。全力で走れば、女の子の声が示す道に入れそうだった。


「3つカウントするまでに入って。3、2――」


 考えている時間は無かった。「くそ!」女の子の言葉通り、連絡通路側に走り出した。どっちみち、進むべき方角すらわからないんだ。だったら、最後まで抵抗して捕まった方がマシだ。


 突然走り出した俺を見て、警備員たちはほんの少し戸惑うような素振りを見せた後、こちらに走ってくるのが見えた。しかし、その数秒の遅れがチャンスを作ってくれた。警備員たちがたどり着くより先に、俺は曲がり角を左に入った。すると――角の向こうから、強い力で右手を引かれた。俺の手を引いたのは、見知らぬ少女だ。


「さっきMRDで通信してきたのは君か?」


「しっ」少女は、走りながらそっと唇に手を当て、右手をつかんだまま、しなやかな動きで廊下を素早く駆けていく。


「どこに逃げる気だったの?」


「建物の連絡通路にある非常出口から、外に出るつもりだった」


「そう。あのままだと捕まってたわね」少女はこともなげにそう言った。


「この通路は、悪意ある人間が不法侵入して来た時のために、内装を統一して、自分が今どこに居るのかわからなくなるように作られてるの」


 なるほど確かに、時折左右に曲がれる角はあるものの、この建物の通路はどこも同じような風景が続いている。


「加えて、談話室の配置を工夫して迷路のような構造になっているから、逃げるなら内側に逃げた方が良い」


「ああ……助かった」俺はそう返すのがやっとだった。


「まだ助かってない」威圧感のある口調に、思わず俺は息を呑んだ。


「こっちへ」少女に連れられるまま、とにかく走る。


 どれだけの距離を走ったのか、どれだけの角を曲がったのかわからない。サイレンは鳴り続けているが、追っ手の足音はいつの間にか聞こえなくなっていた。そして、突然目の前が開け、広大なエントランスホールが現れた。そこには、何十人もの人だかりが出来ている。俺が翔と入ってきたコネクトセンターの入口へと戻ってきたのだ。


「この警報は何なの?」


「入り口もロックがかかってるぞ! どうなってるんだよ!」


 どうやら、俺たちが逃げている間、エントランスがロックされて訪問客たちが閉じ込められていたようだ。おのおのが苦情を叫んでいる。


「どうやらここからは出られないみたいだぞ」


「しっ。いいから、この人ごみに紛れるの。この施設の人間も、今ここで事を荒立てたくはないはず」


 有無を言わさぬ響きに、俺は少女に従うことにした。人の波に身を隠し、様子を伺う。すると、けたたましく流れていた警報が止まり、アナウンスが流れてきた。


「先ほど、電気系統の不具合による誤作動が発生しておりましたが、ただいま復旧いたしました。皆様にご迷惑をおかけしましたことを、お詫び申し上げます」


 アナウンスが終わるや否や、エントランスが開かれた。


「チャンスよ。この人たちと一緒に外に出ましょう」


「……わかった」


 俺たちは客たちのざわめきに紛れるように、外に出た。

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