3ー1 匿名ユーザー
「なんなんだよ今のは……」
俺は思わず手から受話器を離した。絨毯に衝突した受話器がゴトッと重たい音を放った。温かなお伽話の世界から突如断絶され、現実に引き戻される感覚。
「やっぱり、そらのの記憶がおかしかったということか……?」
「俺だってわかんねえよ! くそっ」
翔はそう吐き捨てながらキーボードを叩き続けている。いつもの軽い感じはもはやどこにもなかった。
突然、この部屋全てが作り物のように感じられた。先程までの温かな空気が一瞬にして消え、ひんやりとした緊迫感を帯びている。この部屋は、いつからこんな落ち着かない気持ちになる場所だったのだろうか。
なすすべがなくなってしまった俺は、その場で立ち続けることに耐え切れなくなり、翔の手元を覗き込んだ。ノートPCの物理ディスプレイには、なにやらデータをコピーしている旨のダイアログが表示されている。
「おい、何をする気だ?」
「この電話の通話ログにアクセスして、そらのちゃんの記憶データに割り当てられてるIDを抜き取り、俺の持ってきたカードメディアに記憶データをコピーする」
翔は、そうするのが当然のことのように言った。
「そんなことが出来るのか?」
「コネクトのシステムは星の数ほどある制約に縛られながら、何次請けなのかわからないほど多くの開発会社が参加して開発されたものらしいから、ところどころセキュリティホールと思われる場所があるんだ」
「本当なのかそれは」
「まあ、正直なところ、本当かどうかはよくわかんねー。その知識もテミスネットの匿名掲示板で集めたもんだし」
テミスネットというのは、MRD上で行われる通信サービス全般のことだ。翔は暇さえあれば、テミスネット上に公開されているあらゆるテキスト、音声、映像を摂取し続けている。
「なにせ、セキュリティホールを突くためにわざわざここに来る人間なんてまず居ないからな。だって、面会登録されるほどに近しい人が死んじゃったら、普通そんな余計なことを考える余裕なんてないじゃん」
翔は一度手を止めて、俺の方へ真剣なまなざしを向けた。
「だから、それが本当に出来るのかどうか、まだ誰も試してないと思う。でもそれって、裏を返せば、まだ誰も“出来ないこと”を確認してないんだよ」
翔は再びキーボードへと視線を落とし、ながれるような手付きで打鍵を再開した。
「なんかそう考えたら、試してみる価値はあるように思えてくるだろ? そのための道具を持ってきて正解だったぜ」
「お前……最初からそのためにこれを……?」
「俺だって、そらのちゃんが自殺しただなんて思っちゃいない」
雨宮はこちらを見ず、キーボードを叩き続けながら答えた。
「何かが……俺たちが知らない何かがあるに違いないんだ。そう考えて、そらのちゃんが死んだ日からずっと、この時のためにこっそり準備をしてきたんだ」
「そうだったのか……」
俺が自分を見失っている間に、翔はひとり、そらのの死に疑いを持ち、その真相を確かめるために動いていたのだ。そらのがあんなことになってしまって悲しいのは、俺だけじゃない。そう、翔だって……。
「翔……済まない。俺、自分のことばっかりで……」
「弱音吐いてる暇があったら、入り口、ちゃんと見張っててくれよな」
「ああ、わかった」
扉の方を気にかけつつ、翔の作業を見守りながら、そらのとの会話を思い出す。やはり、そらのは自らの意志で死を選んだ訳ではなかったのではないか。
真実が知りたい。
どうしてそらのはあの日、急に別れを告げたのか。
そして、どうして死ななければならなかったのか。
その真相を。
祈るような思いでノートPCに映るダイアログを見つめていると、背後の扉の向こうから「失礼致します」という男の声が聞こえた。とっさに立ち上がり、翔を隠すような体勢で扉の方へと身体を向けた。それからすぐに扉が開き、作業服を着たスタッフと思しき男と、その後ろから白衣を着た男が中に入ってきた。スタッフと思しき男は穏やかな表情を見せているのに対して、その奥に立つ白衣の男は無表情で、その視線は鋭い。白衣の男の胸元を見ると「井細田 智之」というネームプレートが付いている。手前に立っている作業服の男が声をかけてきた。
「ご面会の途中に申し訳ございません。こちらのお部屋から異常を知らせる通知を受けたものですから。何かお困りのことがありましたでしょうか?」
男の口調はとても穏やかなものではあったが、その奥に立つ白衣の男――井細田は依然鋭い視線のまま部屋の内部をちらちらと見渡しており、その対比がなんとも言えない違和感を感じさせた。
「それが、その……。ちょっと音声がおかしくなってしまって」
ここは少しでも時間を稼がなければと、できるだけ要点を得ないような話し方に努める。
「はい、はい、なるほど。音声の不調ということですね。もう少し具体的な状況をお聞かせ頂けますか?」
「えーっと、なんだか本人のようで本人じゃないような、みたいな感じで……」
「本人じゃないような感じ、ですか」
「ええ、なんというか、突然よくわからないことを言い出したというか……」
背後の状況がどうなっているかわからないため、出来るだけ間延びした言葉遣いで返答していくが、そろそろ厳しくなってきた。
まだか、翔……!
作業服の男が何かまた言いかけたとき、井細田が突然その男を押しのけて前に出て来た。
翔が行っている行為は、明らかに見られたらまずい――。
「ああちょっと……!」
とっさに身体をねじり、何とか遮ろうとしたが、井細田は無言で俺を押しのけた。これ以上抵抗するのはあまりにも不自然だ。俺は押しのけられるままにするしかなかった。思わず翔の方を振り返る。
「いや~、俺たちは普通にカードを入れて話してただけなんですけどね。ははは」
翔は何事もなかったかのようにカバンを抱え、愛想笑いをしていた。間に合ったのか……?
「なんか、急に音声が途切れ途切れになっちゃって。はは、電源トラブルかなんかですかね?」
頭をかきながら笑う翔に、井細田は鋭い視線を向けた。作業服の男が井細田の方を怪訝そうに見つつ、再びこちらに笑顔を向けた。
「ええと、端末機の方を確認させて頂けますでしょうか」
翔はさっと横に移動し「どうぞどうぞ!」と左手を電話機の方へ伸ばした。
「恐れいります。それではそのまま動かずにお待ちください」
作業服の男と井細田が電話機を覗き込むと同時に、翔がそっと俺の横に立ち、後ろ手で先程のカード――翔が持ってきた方だ――を渡し、目配せで扉の方を示した。
これが、そらのの記憶データ――。
俺は動きを察知されないように静かにカードを受け取り、手の中で強く握り締めた。あのふたりが後ろを向いてる隙に逃げるしかない。ジーンズのポケットにカードをしまうと、足音を忍ばせ、素早く出口へと向かい、静かに扉に手を掛けた直後、サイレンのような大きな機械音が室内に鳴り響いた。同時に井細田と作業服の男がこちらの方を振り向いた。
「キミたち! ちょっと待ちなさい!」作業服の男が腰へ手を伸ばした。
翔の「走れ!」という声を皮切りに、俺たちは部屋を飛び出した。




