2ー2 記憶との対話
翔は小さく唸った後、考えるような仕草をしながら俺の言葉に応じた。
「今の話は俺も初耳だから、それが真かどうかは判断出来ない。けど、もしお前が本当のことを話してるんだったら、そらのちゃんの方が嘘をついてるということになるな」
「そんな馬鹿な……!」
語気が強くなってしまったのもお構いなしに、俺は思わず翔に詰め寄った。
「落ち着けって。命題論理として考えればそうなるって話をしただけだ」
翔は「どうどう」と荒ぶる馬を落ち着かせるかのように、両手を俺に前に差し出しながら言った。
「だけど、俺らは経験則として、そらのちゃんがそんな嘘をつくような子じゃないってことを知ってる」
「だったら、矛盾が起きてることになるじゃないか……」
「そういうこと。何かがおかしいんだよ」
翔はそう言うと、持参していたカバンを床におき、中から何か取り出し始めた。カードリーダーと思しき装置。真っ白なカード状のメディア一枚。いつも持ち歩いているノートPC。黒いケーブル。ドライバー。その他もろもろ。それらを次から次へと取り出しては、テーブルの上、電話機の近くへと置いていく。
「ちょっと失礼」
翔はそう言いながら電話機の後ろ側へ回りこんだ。そしてドライバーを手に取ると、それを電話機の裏側へと突き立て始めた。
「翔、お前何を……」
「いいから、裕樹はそらのちゃんにどんどん質問しろ」
「え?」
「とにかく、会話を繋げるんだよ」
そう言いながら翔はカードリーダーと自分のノートPCに接続し、更に先程の黒いケーブルを電話機の裏側に差し込み、もう片方をノートPCに繋ぎ合わせると、ノートPCのキーボードを叩き始めた。
「……わかった」
翔には何か考えがあるのだろう。俺はそらのが映されたARディスプレイと再び向き合った。そらのは俺と翔のやり取りを聞いていて不安になったのだろう、心配そうな顔をしている。
「ヒロくん……わたし、おかしくなっちゃったのかな?」
「そんなことない。大丈夫だから」
なるべく不安を和らげることが出来るように、言葉を選んでゆっくりと話す。
「うん……ありがとう」
俺の意図を察してくれたのだろう、そらのの方も穏やかに微笑んでくれた。伝えたいと思っていたことは、さっきの一件でとりあえず伝えることは出来た。そのおかげか、幾分か冷静に頭を働かせることが出来るようになったようだ。
「そらの、今からする俺の質問に答えてくれ」
「うん、それはもちろん良いよ。けど、またさっきみたいに、話が噛み合わなくなっちゃうかも……」
「良いんだ。そらのは、答えられることを答えてくれれば良い」
俺の言葉を聴いて、そらのの目にも、徐々に強い意志が宿っていくのが分かった。
「……うん、わかった」
問題なのは、そらのの記憶の中に“あの日の出来事”が残っていないことだ。そして、俺の中でひとつの疑問が膨らみ始めていた。それを確かめる方法は、今思いつく限りではひとつしかない。俺はゆっくりと息を吸った。
「そらのは、本当に車に轢かれたのか?」
「……どういうこと?」
「そらの――お前は本当に自分から車に飛び込んだのか?」
この部屋に入る前に警告された、禁止事項その3。死者の記憶に死んだ原因を尋ねてはならない。ならば――もし、そらのが車に飛び込んで死んだ訳ではないのなら、この質問は禁止事項ではないはずだ。完全な思いつきだ。だが、試してみる価値はある。
「えっ……? えっと……」
そらのは明らかに動揺していた。
「三年間、お前と過ごしてきたけど……正直言って、お前がそんなことをするイメージが全然ないんだ。だから、どうしてなんだろうって何度考えても答えが見つからなくて……」
あくまでも“自殺”という言葉を使うのを避けながら質問していく。
「……ごめん、わたしにはヒロくんの言ってること、わからないよ」
そらのは戸惑った表情のまま、俺を見つめている。視点は定まらず、どこか虚ろな表情だ。だが、まだ面会は終了していない。それが意味すること――。
そらのは“車に轢かれて死んでいない”可能性が高いということだ。
俺はゆっくりと息を吐いた。ここで面会が終了したらどうしようかと思っていた。
「じゃあ、質問を変えよう。7月13日、車が近づいてきた時のことを話してくれないか?」
「え……?」
「覚えてることだけでいい。もう一度言う。2030年の7月13日、車がそらのに向かって近づいてきた時のことだ」
「車が……近づいてきた……」
そらのの瞳に、少しずつ光が戻っていくような気配があった。
「そらの……!」
呼びかけるようにそらのの名前を口にした直後、そらのは我に返ったように目を見開いた。
「あ……」
その短い言葉の中には、恐怖が入り混じっていた。
「何か……何か思い出したのか?」
そらのの表情には、徐々に恐怖が浮き上がってきていた。
「嫌だ……嫌だ、来ないで……」
直後、そらのは突然、何かに怯えるような表情で頭を両手で抱え、小刻みに左右に振りだした。俺は恐る恐る「そらの……?」と静かに声をかけた。
「嫌……止めて……」
そらのの声は苦痛に満ちていた。
「おい! どうしたんだよ!」
「ヒロくん……! 助けてヒロくん!」
その声は演技ではなく、本当に助けを求めているように思われた。
「俺はここに居るぞ! そらの!」
俺はなんとかそらのを安心させるため、大声で叫んだ。
「いやぁ!」
そらのは虚ろな目のまま叫び、頭を振り続けている。その瞳は、もう俺を映していない。一体、何が起こっているんだ?
「どうしたんだよそらの! こっちを見ろ!」俺は必死にそらのに呼びかけた。
「来ないで! 怖い! 怖いよ!!」
何かから逃げ出そうとするかのように、そらのは身をよじった。
「おい、何があったんだ? しっかりしろ!」
そらのの長い髪が、VRディスプレイ上を乱舞する。
一体、どうすればいい?
俺がそう思った直後、そらのは突然、身をよじるのをやめ、真っすぐ俺の目を見て「あ!」と叫んだ。
そらのはその先も何かを叫んでいたようだったが、同時にひどい大音量のノイズが交じり、俺は思わず受話器から耳を離した。ARディスプレイを見ると、そこに写るそらの様子がおかしいのに気付いた。無感情な表情、無感情な目で、ただまっすぐ前だけを凝視している。
「おい! そらの!」
俺の言葉に、そらのは無感情な表情のまま、言い放った。
「重大なエラーが発生しました。記憶情報管理者を呼んで下さい。重大なエラーが発生しました。記憶情報管理者を呼んで下さい。重大なエラーが発生しました。記憶情報管理者を呼んで下さい」
なんだこれは。一体何が起きたっていうんだ?
「そらの!」俺はもう一度叫んだ。
「重大なエラーが発生しました。記憶情報管理者を呼んで下さい。重大なエラーが発生しました。記憶情報管理者を呼んで下さい。重大なエラーが発生しました。記憶情報管理者を――」
生きているようにさえ感じられた、いきいきとしたそらのの姿はもうそこにはなかった。意味不明な言葉を機械的に繰り返し、表情にはまるで生気がない。そのあまりの不気味さに、身体中が総毛立つのを感じた。今までそらのの姿をしていた何かが、突然壊れてしまったように見えた。
「おいっ! そらの! こっちを見てくれ!」
「重大なエラーが――」
ホワイトノイズ。不快なザザという音。そして、そらのを映していたARディスプレイは消えてしまった。




