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【本編完結済】Memory's Dogma - 記憶をデータ化できる2030年の日本で巻き起こる脳科学×異能サスペンス  作者: 高橋ワタル
CODE: 02 〈九重朱音 編〉

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1ー4 手紙巡り

「楠原!」朱音の心配そうな叫び声が外から聞こえてきた。


「まだ生きてる!」


俺は姿勢を低くしたまま、持っていたマントを窓から放り投げ、これ以上煙を吸わないよう、窓の下の壁にしゃがみ込む。呼吸がかなり辛くなってきた。


「準備できたぞ!」


 朱音の声が聞こえて、俺は再び窓の外を覗き込んだ。下には朱音とエマがマントを広げてこちらを見上げている。


「ここからでも煙が見える! はやくしろ楠原!」


 俺は窓のレールに手を掛けた。あまり姿勢を高くしないように、まず頭を窓の外へ出した。おかげで呼吸がかなり楽になったが、改めてここから地上までの高さを目の当たりにして、背筋がざわついた。


(くそ……やっぱ、高いな……)


 朱音とエマが広げているマントが、凄く小さく見える。


 背後で何かが崩れる音が聞こえた。


 迷っている時間の猶予は無い……!


「ぐっ!」


 俺はそのまま身体を突き出すように、窓の外へと出していく。胸のあたりまで出した所で、身体を横にして左ひざを上げる。そして、窓のレールの上に左の足を出した。これで身体の左半身が窓から出た事になる。


(もう少しだ……!)


 そのまま身体を回転しながら、右足を窓のレールに乗せた。後ろを振り返り、朱音たちが広げているマントの位置を確認する。見た所、壁との距離が少しある。壁を蹴るかして、マントの位置まで跳躍する必要があるように思えた。


 緊張で身体が動かなくなりそうなのを必死で抑えながら、腹と両手をレールの上に乗せたまま、両足を窓の外へ出した。再び頭が部屋の中へと戻り、途端に息が苦しくなる。この状態で煙を吸ったら終わりだ。


 そう思ったとき、玄関の方から物音が聞こえ、同時に窓のレールにも振動が走った。


「うわっ!」身体が重力に引きずられ、浮遊する感覚。


 夢中で両手を動かし、どこか掴む所を探したが、空を切るだけだった。


 落ちる――。


 そう思った時には既に、背中に強い衝撃を感じていた。


「楠原! おい!」


 近くで朱音の声が聞こえて、いつの間にか目を閉じていたことに気付く。


 ゆっくりと目を開けると、朱音とエマの顔があった。


「はぁぁ……」俺は強く息を吐いた。どうやら、落ちた俺を二人が受け止めてくれたようだった。


「驚いたのはこっちだっての。受け止められたから結果的には良かったけどさ」


 地面を見ると、自分の身体の周りに、先程のマントが広がっているのが見えた。


「背中は痛みますか? 楠原」とエマ。

「ああ、少し痛いけど、骨が折れてるとかじゃ無いと思う」


 背中の衝撃は、マントで受け止められた後、そのまま自重で地面にぶつかったためのようだ。衝撃は大きかったが、感覚的には転んだ時に感じるのと同じくらいの痛みだ。身体から緊張が一気に抜けていくのを感じる。


「そうですか。では急かすようですみませんが、ここから離脱しましょう」

「だな。このままだと人目に付くぞ」


 朱音が伸ばしてくれた手を掴んで、俺も立ち上がり、すぐにその場を後にした。その道中、アパートの裏手から再び入口の方へ近づいた時、あるものに気が付いた。


 先程俺たちに鍵を貸してくれた、大家の部屋のドアが開いており、そこから手が伸びている。


「楠原、どうした!?」

「いや、大家の部屋の近くで誰か倒れてるみたいなんだ!」

「なんだって!」


 俺が動くよりも先に、朱音が真っ先に大家の部屋の方へと走り出した。大家の部屋の扉を開けるなり、朱音は絶句し、その横顔が緊張に包まれる。


 朱音に走り寄り、部屋の中を見ると、人がうつぶせに倒れているのが見えた。服装から、先ほど鍵を貸してくれたのと同じ人物であることは明らかだった。朱音がしゃがみ込み、その人の腕を取った。


「くそ……」


 朱音はそう呟くと、腕をもとの場所へ置き、きびすを返した。


「もう手遅れだ」


 朱音の様子から薄々は感じていたことだったが、それでも、あの人をあのまま放っておくのは気が引けた。


「救急車か何かを……」

「馬鹿か! そんなことしてみろ、アタシたちが疑われるぞ」


 朱音の言うことはもっともだ。突然鍵を借りに来た人物が入った部屋から出火し、殺人が起こったとなれば、怪しいのは明らかに俺たちだ。


 俺は先程自分が居た部屋の方を見た。自分たちが入っていった部屋の扉あたりに、洗濯機かなにかの、大きな家電製品のようなものが並んでいるのが見えた。窓からも黒い煙が吹き上がり、空へと伸び始めている。誰かに通報されるのも時間の問題だろう。


「……行くぞ」そう言って、朱音は近くに居たエマにも目配せをした。エマと朱音はトラックの方へと走っていく。


(くそ……)


やりきれない思いを振り切るように、俺も朱音たちの後に続いた。


   *


 トラックを符中市郊外まで移動させた後、俺たちは例のMRDを取り囲んで沈黙していた。第二暗証について、思いつく限りのことを試そうと、まずは文字列と音声認証を試すことにした。


「それで、思いつくものはあるのか?」


 先程から黙り続けている朱音に俺はたずねた。


「……正直、何も思いつかねーんだよ」

「昔連れてってもらった場所とかはどうだ?」

「どこかに連れてってもらった記憶なんてねーよ」

「じゃあ、母親の名前はどうだ?」

「……九重美崎(ここのえみさき)」


 朱音の横に座っているエマが、素早い手つきでARディスプレイ上の仮想キーボードを操作し、MRDの認証画面に文字列を入力していく。


「参ります」


 そう言って、エマは確認ボタンにタッチした。MRDは認証不能を表す音を発し、再度入力を促すための画面を表示した。


「次だ。ほかには?」

「朱音の生まれた年月日なんかはどうでしょう」とエマ。

「……2014年7月28日」


 エマが再び承認画面に文字列を打ち込んでいく。「参ります」の掛け声で、エマは再び確認ボタンにタッチしたが、結果は同じだった。


「これも違うか……」

「朱音の一番好きな食べ物でいきましょう」

 落胆する俺や朱音をよそに、エマが次々に提案していく。

「……ハンバーグ」


「朱音はハンバーグが好きだったんですね」エマが食い気味に言った。「次回からはハンバーグを食事のローテーションに追加しましょう。では、一番好きな色はなんですか?」


「……青」

「青が好きなら、ここにも青色のクッションなどを追加するのも良いかもしれませんね。最初に飼ったペットの名前は?」

「……とら」

「〝とら〟とは、犬か猫の名前ですか?」

「いや、ハムスターだけど……」


 エマは今までにない饒舌さを呈し始め、何故か朱音は押され気味という、不思議な構図になりつつあった。


「ふむふむ、なるほど。では次は、最初に好きになった異性の――」

「ちょ、ちょっといいか?」


 繰り返すほどに正解から遠ざかっている気がしてきた俺は、エマの質問攻めを一旦制止した。万が一ということもあり得るので、今度は音声入力に切り替え、朱音にはもう一度同じ答えを声で入力してもらったが、それでも結果は同じだった。


 それ以降も、思いつく限りの方法で情報を入力していったのだが、正解に辿り着くことが出来ないまま、二時間が経過した。壁に設置されたディスプレイの移り変わりから、どうやら外も暗くなってきたようだ。


「……」朱音は無言のままだが、どこか落ち込んでいるようにも見える。


「ちょっと休憩しよう」

「ああ……すまないな」


「朱音が謝ることではありません」エマは朱音の背中を優しく撫でた。


「そうなんだけどさ……なんか、流石にちょっとへこむよな」


 朱音は父親のことを話そうとするたびに、言葉に詰まっている様子だった。そして、MRDから認証不能の通知を受けるたびに、朱音の表情は曇っていった。父親のMRDを通して否定されるのは、父親そのものからも否定されているような気持ちになってしまうのかもしれない。


「こんなに何も知らないなんてな……」


 朱音の中の父親との思い出の希薄さが、当時の関係を物語っているような気がした。だが、逆に考えれば、少ないからこそ絞り込みやすい筈でもあるのだ。


――それとも、朱音とは全く関係の無いものを第二暗証にしているのだろうか?


 そうなってしまうと、今の俺たちでは推測するのも困難だろう。


「気はすすまねーけど、秋月のおっさんにも、聞いてみた方がいいかもしれねーな」


 そう言いながら、朱音はソファの上に寝転んだ。


「何か、他に情報を取り出す方法は無いのでしょうか」


 エマはテーブルの上に置かれたMRDを手に取り、様々な角度からそれを眺め始めた。


「どうかな……カケルなら何か知ってるかもしれないんだけどな」

「無理やり分解してみますか?」

「いや、それはやめておいた方が……」

「冗談です」


 エマの言う冗談はあまり冗談に聞こえなかった。


「何か特別なスイッチなどが隠されているとか」


 エマは、MRDの様々な所を操作しては、表示されるARディスプレイを色々とタッチし始めた。


「ふぁーあ……分解するのはありかもしれねーな。こういうのって、中にデータを保存する機械が入ってんだろ?」


 そう言いながら朱音は目を瞑り始めた。今日も色々なことが起きたし、特に朱音は父親のことで頭を巡らせたから、疲れているのだろう。今日はこのあたりが限界か。


「朱音、寝るならちゃんと毛布を掛けてから……」


 エマがそう言いながら朱音の方へ身体を向けた、その時だ。ひとつの音が車内に鳴り響いた。


 その音は間違いなく、エマが手にしているMRDから発せられたものだった。エマは朱音に身体を向けたままの姿勢で暫く固まっていたが、やがて俺の方を見て言った。


「どうやら、認証が成功したみたいです」

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