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【本編完結済】Memory's Dogma - 記憶をデータ化できる2030年の日本で巻き起こる脳科学×異能サスペンス  作者: 高橋ワタル
CODE: 02 〈九重朱音 編〉

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1ー3 手紙巡り

「それ、朱音の父さんのものか?」

「うーん、そこまでは分かんねぇな……けど、小さい頃、父さんは高い所にわざと物を置いて、アタシを肩車してそれを取る遊びをしてたんだ」


 朱音はまじまじと手の中のMRDを見つめた。「あの遊び、凄く楽しかったんだよなぁ……なんで今まで忘れてたんだろう」


 かつて父親が住んでいた場所が、訪れた娘の記憶を呼び起こしたのか。このリングもまた、父親が娘へと手渡そうとした遺物なのかもしれない。


「記憶なんてそんなもんだ。とにかく、手掛かりになりそうなものが見つかって良かったじゃないか」

「正直、ここまで来て何も見つからなかったら、本当に、どうしようも無い所だったぜ」


 朱音は、父のMRDを指で丁寧にこすりながら微笑んだ。


「それ、動きそうか?」

「ええと」朱音はMRDを起動するための、いくつかの手続きを試みた。「電源は生きてるみたいだ」

「そうか。でも、起動するのは難しいよな……」


 MRDは装着者の皮膚から読み取ったDNAと、MRD内部に保存されたDNA情報を比較することで、本人確認を行っている。そのため、装着者本人が居ない場合、起動させるのは困難なのだ。そうなると、残された方法はひとつしかない。


「〝第二暗証〟を使うしか無いだろうな」


 第二暗証とは、MRD装着者以外の人間が、MRDを起動するために設定されたパスワードのことだ。主にその装着者の身内が、装着者に代わって必要な手続きや情報を確認するために設定する。


「もしかして、知ってるのか?」

「いや……流石にそこまではアタシにもわかんねえ」


 セキュリティ上の観点から、第二暗証には様々なものを設定することが出来るようになっている。文字列や数字による認証、秘密の質問の答え、声紋や指紋などの生体認証、画像や映像の比較――どのような方式を採用するかは、第二暗証を設定した本人に委ねられている。


「くそ」朱音は悔しそうにMRDを握りしめた。「父さんを避けてきたツケに、また振り回されなきゃなんないのかよ……」

「そのMRDは、明らかに隠されていた。ってことは、何らかの意味があるのは間違い無いと思う。一旦トラックに戻って、第二暗証についてはエマとも話をしてみないか?」


 第二暗証をすぐに特定するのは、確かに難しいかもしれない。だが、MRDを見つけたことは、朱音の目的にとって、大きな前進であることは間違いないだろう。記者をしていたという朱音の父のMRD。その中には、JCOに関する何らかの情報が保存されているかもしれないのだ。


「……」朱音は俺の言葉に答えず、窓から外をちらりと見た。その直後だ。


「うっ!?」


 一瞬、何が起きたか分からなかった。


 突然、胸のあたりに衝撃があり、気付いた時には身体ごと後ろに倒れていた。朱音が突然こちらに飛びかかってきたのだ。


「ぐっ……何するんだよ!」


 俺は一瞬抗ったが、その小さな身体からは想像も出来ないほどの強い力で、俺の身体を強く押し倒そうとする。


「しっ! 伏せろ!」


 朱音は起き上がろうとする俺を右手で抑えながら、背後の窓へ顔を向けている。直後――窓が割れる音がして、床に何かが落ちる音が聞こえた。


 小さな黒い球状のものが、先程朱音が立っていた場所付近に落ちている。


「くそ!」朱音は自身の首元に手をやった。


 そこに縛られていたもの――マントのような布をほどき、それを両手で黒い物体目掛けて投げた。物体の上にマントが覆われた直後、鈍い爆発音のような音とともに、床のマントが一瞬にして気球のように膨らんで――その後、空気が抜ける音が聞こえた。


 何が起こっているのか徐々に理解し始めると、同時に全身が緊張でこわばった。


 俺たちは、たった今、攻撃を受けている。


「楠原、立て!」朱音が俺の腕を引っ張って叫んだ。俺は口を上手く動かせず、それに答える余力は無かった。


(くそ……とにかく立つんだ!)


 朱音の手を掴んで、俺は何とかその場に立った。朱音は何も言わず、俺の手を引き、玄関の方へ走った。


 ドアノブに朱音が手を伸ばす。


 先程入ってきたばかりのはずの扉。


 だが、その扉は開かなかった。


「くそ!」朱音はドアノブを回しながら、身体ごとドアに体当たりをする。それでも扉はびくともしない。


「かわれ!」

 何とか声を出すことが出来るようになった俺は、朱音を扉から引かせドアノブを回してみたが、結果は同じだった。


 朱音がしたように、扉を肩で強く押してみても、まったく手応えが無い。まるで、扉の向こう側が突如、コンクリートの壁か何かにでもなったかのようだ。


「楠原、下がれ!」朱音が俺の肩を掴んで引いてきた。


「でも!」

「あれを見ろ」


 朱音は扉の下を指差した。見ると、黒い煙が下の隙間から部屋の中へと入ってきていた。焦げた匂いが微かにし始め、嫌な予感が悪寒となって身体中を駆け巡った。


 明らかな殺意が、この部屋を蝕んできていた。扉が開かないとなると、もはや脱出手段としては窓以外には考えられなかった。


(窓から飛び降りるしか無いか……!?)


 問題は高さだが、足を多少怪我しようが、ここに留まるよりかはずっと良いだろう。玄関の扉の方を再び見ると、黒い煙の勢いが強くなっている。焦げた臭いが徐々に強くなり、煙も部屋の天井に充満し始めていた。玄関の扉をせき止めている何かが燃えているのだ。


「朱音! 窓だ!」俺が窓の方へ向かおうとした時、再び朱音によって制止された。


「落ち着け楠原、まず煙を吸い込まないようにしないと駄目だ。姿勢を低くしろ」


 そう言う朱音の手には、いつのまにか棒状の物が握られていた。先端には赤い球状のガラス玉のようなものがついている。それはここ数日で見た、あの槍に見た目が似ていた。


「なんだよそれ」

「いいから! 腰を下ろせ!」


 肩を強く下に押され、俺はかがむような姿勢になった。同じく姿勢を低くした朱音が、手に持った棒を床に突き立てるようにして構えた。すると、ガラス玉から突如、強い赤い光が放たれた。その光は、線というよりも、ガラス玉を中心とした面のような形状を描きながら、朱音の足元付近を照らし始める。


 光の面は徐々にその向きを変え、俺の足元へ伸び、部屋の壁をなぞり、天井を照らし、最後は棒の真上を照らして、線となって消えた。直後、朱音の周辺に複数のARディスプレイが表示された。


「どれだ……どうする……」


 朱音はそう呟きながら、ARディスプレイ上へ目を落とした。朱音の目は素早く左右に滑り、いくつものARディスプレイを行ったり来たりさせていた。


 居てもたっても居られず、俺は朱音に近寄り、そのARディスプレイを覗いた。そこには「酸素濃度」「温度」「超音波測定値」など、いくつかの項目が並び、その横に数値が表示されている。


 さらに、その数値のいくつかが、点滅で強調されているのが分かった。先程の光は、この部屋の状況を測定するために放たれたものらしいという事だけ、辛うじて予想できた。


「おい、朱音……!」


 朱音に何がどうなっているのかを聞きたかったが、朱音は右手の指を口に当てて「しっ」と言うだけだった。徐々に室内の温度が高くなっているのを肌で感じる。段々と呼吸も辛くなっている気がしていた。


――この状況下で、何より恐怖を感じるのが、人の気配が無いことだ。


 窓から投げ入れられた爆発物のようなもの。いつの間にか塞がれている玄関。何の気配も感じず、人影も確認出来なかった。


 だが、明らかな計画性を持って、俺たちを追い詰めようとしている。


「よし」ようやく朱音が動いた。「酸素濃度と温度が安全な場所を通って、さっきの窓の方へ近づくぞ。こっちだ」


 姿勢を低くしたまま歩き始めた朱音の後ろを、俺も黙ってついてく。息苦しさは強まる一方だったが、先程MRDを見つけた押入れの方へ再び戻ることが出来た。


「楠原はそのままの姿勢でいろ」そう言うと、朱音は素早く窓の方へ身を寄せ、下から覗くようにして外を確認した。


「エマ!」一瞬立ち上がった朱音は、エマの名を叫んだ。


「げほっ、げほっ…!」叫んだ反動で強く息を吸ってしまったのか、朱音が強く咳き込んだので、思わず朱音の方へ俺も走り寄った。


「大丈夫か!」

「ごほっ! ああ、窓の外にはエマがいた」

「だからって無闇に立ち上がるなよ!」

「はは、その通りすぎて反論できねえな」


 割れた窓のおかげで、このあたりは辛うじて呼吸が楽だが、部屋の中の温度はかなり高くなっていた。バチバチという音が聞こえ、玄関の方を見ると、本格的に火の手が部屋の中へ広がろうとしているのが見えた。


 俺は、先程投げられた朱音のマントを手繰り寄せた。


「この布を窓から下ろして脱出しよう。俺が部屋に残って抑えてるから、先に朱音が下に降りろ」


 俺の提案に、朱音は躊躇する様子を見せたが、返事を待っている余裕は無い。


「ぐずぐずしてる暇ないだろ! さあ早く!」


 俺は、先程朱音にそうされたように、朱音の身体を持ち上げようとしたが、朱音は慌てた様子で「わ、分かったから!」とそれを払い除けた。ガラスで手を切らないようマントで自分の手を包んで、窓の周囲のガラスの破片を振り払い、それから窓を横へスライドさせた。顔を少しだけ上げ、窓の外を覗くと、その下には確かにエマの姿があった。エマの方も俺に気付いたらしく、片手を上げた。流石のエマも、心配そうな表情をしている。


「朱音は無事ですか!?」

「ああ! 今から朱音を降ろすから、受け止めるのを手伝ってくれ!」

「分かりました!」


 見たところ、やはり二階と言えどもそれなりに高さがある。この布の長さだけでは若干不安があった。カーテンとこの布を結ぶ手も考えたが、それに手間を取ってしまうのも怖い。だが、エマが受け止めてくれるなら、とりあえず朱音はなんとかなるはずだ。低い姿勢のままマントの端を部屋の窓から放り投げ、もう片方の端を腕に巻き付けた。


「朱音! 降りろ!」

「ああ……でも、楠原はどうすんだよ?」

「エマと朱音が下に居るなら、この布を広げて俺を受け止めてくれ」

「楠原ってさ、時々大胆な事するよな」

「いいから早くしてくれ!」


 そう言っている間にも、背中に感じる温度がどんどん高まっていくのを感じる。


「あーもう、分かったよ!」


 朱音はそう言うと、素早く窓のレールの上に立った。そして、こちら側を振り返り、窓から垂れ下がっているマントを両手で握りしめた。俺も、自身の腕に巻き付いた布を両手で強く握る。


「いくぞ!」

「ああ!」


 直後、両手が強い力で引っ張られる。


「ぐっ……!」


 窓の下の壁を足で押し付けながら、その力に対抗する。幸いにも、朱音が小柄なおかげで、耐え切れそうなレベルだった。


「楠原! 大丈夫か!」窓の下から朱音が叫んでいる。


「大丈夫だから! 早くしろ!」


 朱音が少しずつ下へと降りているためだろう、一定の間隔おきに引っ張られる力が強くなる。


「エマ! 行くぞ!」朱音が下に居るであろうエマに声を掛けると、「はい!」とエマが応えた。


「楠原!」朱音は再び俺に確認の声を投げ、俺も「ああ!」と叫んだ。


「せーの!」その朱音の言葉と同時に、一瞬強く引っ張られる感覚があり――直後、その力が消えた。


「うっ……!」その反動で、俺は後ろに倒れた。ある程度そうなることは予想していたが、想定していたよりも強い衝撃が身体に走った。


「はあ、はあ……痛てて……」


 ぐずぐずしている暇は無い。今度は俺の番だ。


 玄関の方を見ると、火の手はかなり大きくなっており、扉周辺が燃え広がり始めている。その光景を見て、俺は少し焦ってしまった。立ち上がった瞬間、煙の事を忘れて思いっきり息を吸ってしまった。


「おぇ、ぐふっ、げほっ!」


 思わずしゃがみ込み、咳き込んでしまう。反射で目から溢れる涙を拭いながら、呼吸を整えた。


(くそ……早くしないと)

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