1ー2 手紙巡り
朱音の言葉を聞いて、秋月さんが少し懐かしそうな声で言った。
「このご時世に紙の手紙だからね~。あの人、意外とそういうレトロなの好きだったんだよな~」
「朱音は、紙の手紙という所に何か意味があると考えたのです」とエマ。
「今は殆どが電子化してて、消印なんかも電子化されてるだろ? うちの父さんは、そういうのは全て偽装出来るから信用出来ないって言ってたんだ」
そこで朱音は深くため息を吐いた。
「……アタシは、そういう天邪鬼な所が苦手だったんだけどさ。でも、そういう父さんだからこそ、紙の手紙なら、一度押された消印を偽装するのは難しいと考えた……と、アタシは睨んでる」
朱音はそう言うと、恥ずかしそうに顔を伏せた。普段は傍若無人に見える朱音も、家族の話となると、やはり思う所があるのだろう。
「なるほどな。じゃあ、その手紙に押された消印の住所を巡ってる、ということか」
「そういうこと。じゃ、さっそく行こうぜ! あんがとな、秋月のおっさん」
「だから~! そのおっさんっていうのやめてって――」
秋月さんが言い終わらぬうちに、MRD通信は朱音によって、強制的に切られた。
「だけど、消印から詳細な住所なんて出てくるのか?」
紙で手紙を出したことが無いので分からないが、個人情報の観点から考えると、住所が特定されるようなものとは考えにくい。
「そんなもん出てこねーよ」
「じゃあどうやって探すんだ?」
俺の質問に朱音は黙ってしまったが、代わりにエマが説明してくれた。
「私たちは全ての手紙の消印の住所をくまなく巡り、朱音のお父上が住んでいた場所を探してきました。ですが、ほとんど成果が得られていないというのが実情です。32通の手紙のうち、住んでいたと思しき場所にたどり着けたのは2通だけ。そして、その2通のうちの1つは、既に訪問済みで、何も無かったことを確認しています」
「ということは……」
朱音が苦虫を噛み潰したような顔をして言った。
「……今から行く所が、アタシたちにとっては最後の手掛かりなんだよ」
「そこは、ここから近いのか?」
「降りてすぐのとこだよ。そこが、二日前に行きたかった場所なんだ」
俺は、朱音とエマに最初に出会った日のことを思い出した。ある場所に案内して欲しいと言う彼女たち。その風変わりな出で立ちとは裏腹な、真剣な響きを持って呟かれた朱音の言葉。追い詰められた彼女たちの手元に残った1通の手紙。
その手紙が、俺とこの二人を繋いだのだ。
*
トラックを降りて五分程度歩いた所に、そのアパートはあった。築五十年は経過してそうなレトロ――かなり配慮した言い方をすればだが――な雰囲気の漂う建物。本当に人が住んでいるのかどうかも怪しげだ。
そのアパートの前に、俺と朱音は立っている。エマには周囲の警戒と、何かあった時に備えて、トラックの中に待機してもらうことにした。
「ずいぶんと年季の入ったアパートだな」
「……アタシも〝住処巡り〟をしてから知ったんだけどさ。意外と多いんだ、こういうとこ。福岡から東京まで、どこ行ってもそうなんだよ。都心から離れると、こんな建物ばっかりで嫌になるぜ、全く」
実際に津々浦々と父親の家を探し続けてきた苦労が、朱音の言葉から滲み出てくるようだ。
「ここに何も無かったら、父さんをぶん殴ってやる」
冗談なのか本気なのか分からないことを言いながら、朱音が両手をぎゅっと握りしめた。
「どの部屋に住んでたのかは、分かってるのか?」
「ああ、この場所だけは間違いない……多分な」
そう言って、朱音はアパートの階段へと進んでいく。俺もそれ以上掛ける言葉もなく、朱音の後ろへ続いた。鉄製と思しき階段も建物の外観に負けず劣らず老朽化が酷く、ほとんどの部分が酸化して茶色い錆だらけだ。一段上がる度に高い音を響かせながら、朱音と俺はその階段を登っていった。
そして、二階のある部屋の前で朱音は止まった。「203号室」と書かれたプレートが見える。どこまでも平凡としか表現しようのない、廊下に並ぶ一枚の扉。その扉のドアノブに、朱音は手を掛けた。しかし、ドアノブは、その扉が施錠されていることを示す音を響かせるだけだった。
「……さすがに鍵は掛かってるか、うん、そうだな」
「まさか、鍵は無いのか?」
「悪いかよ?」
「この場合、あまり良いとは言えないんじゃないか?」
「ま、そうだな……うーん、じゃあ壊しちまうか?」
そう言うと、朱音は少し後ろに下がり、体当たりの姿勢を取り始めた。
「待て待て、それは流石に目立つだろ」俺はすかさず間に入り朱音を阻止した。
「もう文句ばっかりだな~! じゃあ、何か良いアイディアを考えろよ!」
「というより、こういう時は大家さんに言えば良いんじゃないか?」
「お? なるほどその手があったか!」
探してみると、大家さんはすぐに見つかった。同じアパートの一階部分に住んでいた大家さんは、当然ながらというべきか、はじめは朱音の服装に怪訝な表情を示していたが、「行方不明の父を探しに来た」という事情を話すと、快く鍵を貸してくれた。
大家さんの話によると、その部屋の住人はある日を境に帰って来なくなり、一切の連絡もつかなくなったとのことだった。私物はそのまま残されており、さらに不思議なことに、家賃だけは未だに振り込まれ続けているらしい。そのせいで四年契約の満了まで、次の人へ貸すにも貸せず、困っていたと言う。
そうして、俺と朱音は「203号室」の中へと足を踏み入れた。
六〜八畳程度の空間に、申し訳程度のキッチン。それがこの部屋の全てだった。中は埃だらけで、閉じられたカーテンの間から差し込む光を反射して、さながら雪のように輝いている。
布団が部屋の中央に広げられっぱなしになっており、部屋の壁の出っ張り部分には、服やコートが所狭しと掛けられている。特に荒らされたような形跡はなく、まさに男の一人暮らしといった感じだ。
その後も、色々と思いついた所は覗いてみたが、何かの極秘書類やメモが書かれた手帳のようなものは見当たらなかった。
そもそもこの部屋は本当に朱音の父親の部屋なのだろうか?
「なあ朱音、この部屋に父親が住んでたのは間違いないか?」
キッチンの方を見ながら朱音に問いかけたが、返事が無い。
「朱音?」
朱音の方を振り返ると、朱音は部屋に広げられていた掛け布団を手に取って立ち尽くしていた。その表情は、これまでの強気な雰囲気の朱音とは違っていた。どこか柔らかく、儚げで、懐かしさを感じているかのようにも見えた。この部屋で生活していた父の姿を想像しているのだろうか。
そんな朱音の姿を見て、俺は声を掛けることが出来なかった。ただ、この部屋の空気から、朱音はここに父親が住んでいたことを確信しているようだった。
しばらく感慨に浸る朱音を見続けていたが、やがて朱音は小さく口を開いた。
「アタシの父さん、記者だったんだよ。フリーライターってやつ。自分ではジャーナリストって名乗ってたけど」
言葉にすることで、記憶の断片が湧き上がってきたのか、朱音は続けた。
「ジャーナリズムだかなんだか知らないけど、いつも日本全国を飛び回っててさ。一緒に出かけたりとか、遊んでもらったりとかも殆ど無かったんだ。来るのは毎月1通の手紙だけ」
朱音はゆっくりと目を閉じた。その時の情景を思い浮かべているだろうか。
「なんかさー、その手紙を読んじゃったら、遊んでもらえなかったこととか、色んな諸々を許したことになっちゃうような気がしてさ。なんつーか、読んだら負けになる気がして、絶対読むもんかってなってさ……」
朱音は再び両手に抱えた布団へと視線を落とした。
「アタシはいつも、その手紙を開けずに、机の中にしまい込んでたんだ。はは、笑っちゃうだろ」
朱音は自嘲気味に力無く笑うと、布団を持つ手に力を込めた。
「でも、今となっては、父さんがアタシに何かを伝えようとしてたような気がするんだ……って、すげー勝手なこと言ってんな、アタシ」
朱音の言葉はまるで、かつてこの部屋に住んでいた父親の幻影へ投げかけているかのようだった。
だが、この部屋の中にも、この部屋の外にも、朱音の父親はもう居ない。
「すまん、今の話は聞き流してくれ」
朱音の独白は、受取手が不在のまま、最後に吐いたため息とともに、この部屋の淀んだ空気の中へと消えていった。
「……居なくなってから、本当に言いたかったこととか、本当にしたかったことが出て来る感じ、っていうのかな……そういうの、俺も見に覚えがあるよ」
俺は思わず口を開いていた。さっきの朱音の言葉が、とても他人事には思えなかったからだ。
「俺もそらのが居なくなってから、色んなことに気付いて、色んなことに後悔してさ……だから、朱音が今感じているその気持ちも、正しいと俺は思う」
俺がそんなことを言うとは予想だにしていなかったのだろう、朱音は虚を突かれたように固まっていたが、やがて「はは」と軽い調子の笑顔を見せた。
「楠原ってさ、時々まともな事言うよな」
「時々かよ」
「まーな」
そう言いながら、朱音はゆっくりと掛け布団を元の場所に戻し、布団全体を畳み始めた。
「ま、この部屋の散らかし方は確実にアタシの父ですな。全く」
朱音は何となく心の整理が付いたのか、いつもの強気な雰囲気を取り戻したようだった。そして畳んだ布団をそのまま持ち上げ、部屋の隅に置いた所で――
「あっ!」
そう言うと、朱音は突然部屋の中を走り出した。
「どうした?」
朱音は部屋の奥にある引き戸を開いた。そこは本来クローゼットなのだろうが、電化製品が入っていた箱や畳まれていない衣類などが詰め込まれており、押入れのような状態になっている。
「思い出したんだよ……!」
「思い出した?」
「ああ。アタシが小さかった頃、一緒に遊んだことがあったんだった。本当に小さい頃過ぎてすっかり忘れてた」
そう言いながら、朱音は押入れに詰め込まれているあらゆるものを両手で引っ張り出していく。
「楠原、何ぼーっとしてんだよ! 手伝え!」
「あ、え、ああ……!」
朱音に言われるままに、俺も押入れから物を引っ張り出していく。数分後、部屋はまるで誰かに荒らされたかのように物が散乱することとなった。これでは、俺たちが泥棒と間違われても仕方がないかもしれない。
「むぐぐ……」
朱音はそんなことお構いなしの様子で、先程空っぽにした押入れの天井付近に手を伸ばそうとしている。しかし、朱音の身長では届きそうにも無かった。
「楠原! アタシを肩車しろ!」
「おい、俺にも説明してくれよ」
「後で説明するから! はやく!」
朱音はそう言って俺の服を引っ張ってきた。
「わ、分かったから落ち着けって……」
こうなったら、朱音のやりたいようにやらせるしかない。俺がその場でしゃがみ込むと、すぐに朱音が肩に足を掛けてきた。
「お、おい……だから落ち着けって……おぐ!」
突然両肩に負荷が掛かり、思わず声が漏れた。
はやくとせがむ朱音をいさめながら、ゆっくりと立ち上がる。流石に身長も低いだけあって、バランスさえ取れれば、そんなに重くは無かった。
「それで、どうするんだ?」
「あの天井あたりを調べてみたいんだ」
俺の顔の横から、朱音の伸ばす指先が見えた。
「ほら! あそこだよあそこ!」
(全く、人使いが荒いな……)
言われたとおりの場所へ移動すると、朱音はさらに身体を伸ばし始めた。俺は朱音を落とさないように、バランスを取る事だけに集中した。朱音はしらばく身体を伸ばしたり縮めたり、左右に動かしたりしていたが、やがて「あった!」と叫んで――大きく身体を後ろに傾けた。
「うわ! うわ!」突然後ろに負荷が掛かり、バランスを崩しかけた。
危うく落としかけそうになりながらも、朱音を地面に降ろす。
(全く、子供みたいだな……って、子供か、普通に)
なんだか凄く疲れたなと思いながら、朱音の方を振り向く。
「それで、何があったんだ?」
「これだ!」
そう言って、朱音は右手を俺に突き出した。開かれた手の平の上には、リング状の物体が置かれていた――それは紛れもなく、MRDだった。




