1ー1 手紙巡り
微弱な振動が体を揺らしているのに気付く。
その感覚に少し遅れて、自分の意識も徐々に明確になっていく。体の振動にちょっとした心地良ささえ感じながらも、俺はゆっくりと目を開けた。
そこは、ここ数日で見慣れた景色となっている場所だった。
(……朱音のアジトか)
そこで俺は、《あの日》の夕方の出来事を思い出した。
東総研大学院大学の記念館で、今後の方針について煮詰まっていた時、俺たちのもとへ警察官がやってきた。奴らは自分たちの立場を利用して、強引に俺たち全員を逮捕しようとしてきた。
しかし――そこにシグマが現れて、警察官に襲い掛かった。
襲われた警察官は、無残にも殺されてしまった。すぐにその凶刃は俺たちへ向けられたが、エマと朱音がシグマの前へとたちはかだり、みんなを逃がそうとしてくれた。
しかし、俺だけは逃げずに、エマと朱音が逃げれるよう、一緒にシグマと立ち向かう道を選んだ。
厳しいシグマの攻撃を3人で受け流しながら、一瞬だけシグマの気を逸らすことに成功した俺と朱音とエマは無事、大学院大学を脱出し、朱音のアジトへと帰還することに成功したのだった。
――そう。現在は、《あの日の夕方、楠原裕樹が、シグマからみんなを助けようとしてくれた朱音とエマについて行くこと選んだ》あとだ。
MRDで時間を確認すると、時刻は朝十時を少し過ぎた頃だった。昨日、目を覚ました時と同じように、車内には誰も居ない。微弱な振動が続いているということは、どこかを走っているということだ。
運転席を覗いてみよう。そう思って立ち上がった時――
「目が覚めたんですね、楠原」
「うわっ!?」
すぐ横で突然声が聞こえ、思わずのけぞってしまった。
見ると、俺が横になっていたソファーのすぐ横で、エマが俺の顔を覗き込むようにして、小さく座っていた。
「何をやってるんですか?」
「……いや、そこにエマが居ると思わなかったからさ」
「朱音に見張っているようにと言われていましたので」
「え、あぁ、うん……」
もはやそれくらいしか返す言葉も思いつかず、尻すぼみな返答になってしまった。そうこうしているうちに、車内を振動させているエンジンの音が徐々に弱くなっていくのを感じた。
そして、トラックが完全に停止したと思われた直後、運転席の扉が開き、朱音が現れた。
「あれ、起きてたのかよ、楠原」
「ああ……」
朱音はそのまま俺の向かい側にあるソファに座る。
「……それで?」
「どういう状況かって? お前のせいで計画がめちゃくちゃになった所だな」
朱音の話によると、トラックで符中駅を出ようと思っていたらしい。ところが、符中駅を包囲するように検問が設置されていたため、検問から遠くない符中駅の高架下へトラックを止めた、ということのようだった。
「全くよぉ、お前は余計なことしやがって……まぁ、助かったから良いけどよ」
朱音はひとしきり俺の行動に対する文句を言い続けていたが、やがて落ち着いたトーンで話し始めた。
「他のやつらは?」
「俺も逃げるのに必死で……みんな無事だと良いが、正確なことは俺も分からないんだ……すまん」
「そうか……」
朱音は一瞬不安げな顔をした。
記念館では、きっぱりと決裂したかに思えたが、朱音だって、レイナやカケル、春菜のことを心配しているのだ。そのことが分かっただけでも、俺は、自身の中にあるひとつのアイディアを試そうという気になれた。
「それで、楠原はどーすんだよ」
「……朱音が俺と最初に会った時、言ってたよな? 絶対に行かなきゃならない場所がある……って」
「え? ……あぁ、まぁ、言ったけど」
「俺もそこへ付いて行く」
「はぁ?」
「楠原さん」エマも口を挟んできた。「あなたは私たちとは進むべき道が違うと、さきほど記念館で話をしたはずです」
「だけど今、他のみんなと連絡を取り合うのは危険だろ? それに勿論、一人で動き回るのも危険だ。特に俺は今、朱音たちのアジトの場所を知っている訳だし、朱音たちにとっても都合は良くないはずだ。だったら、お前たちに同行した方が、俺の目的に近づける確率は高まる、違うか?」
俺の言葉に、ふたりは一瞬、互いを見合わせていた。
「そんな格好をしてるお前たちが、本当にコネクトセンターから日本を守ろうとしているのかどうかも、分かるしな」
「朱音、どうしますか?」エマが、朱音の方を改めて見て言った。
朱音はしばらく、どこかを睨むように見つめながら頭を掻いていたが、やがて口を開いた。
「お前は、あの状況で、アタシとエマを逃がすだけの立ち回りをした。っつーことは、少なくとも、ただ突っ立ってアタシ達の邪魔をするようなことは……しない、こともないが、まあ許容範囲……ってことには、なる」
「じゃあ……」
「あ〜。ちっ、しかたねーか……」
俺は朱音の言葉に感謝しつつも、エマの表情を伺った。たとえ朱音が納得したとしても、記念館であのようなやりとりのあった後なのだ。エマが納得していなければ、話はややこしいことになりそうだ。
「分かりました」俺の心配に反して、エマはあっさりとそう言った。
「え、いいのか?」
「朱音が良いと言うのですから。それ以上でも以下でもありません」
――朱音の決定には何があっても従うってことか……。
この朱音へのエマの態度は前々から気になる所ではあるのだが、ひとまず良しとしておく。
「ありがとう、エマ」
「礼を言うなら、朱音に」
「……そうだな、ありがとな、朱音」
そう言って朱音の方を見ると、朱音はこちらを複雑な表情で見ていた。
こちら、というのは正しくない表現かもしれない。視線は真っ直ぐ、エマに向けられていたのだから。
「……ふん」
朱音はそれ以上何も言わず、ただそう言って横を向いた。
「それで、これからどうするんだ?」
「とりあえず、秋月のおっさんに連絡を取ってみるか。お前のことも一応説明しねーとならねーしさ」
「秋月のおっさん……?」
「ああ、アタシの父さんの友達だった人なんだ。このトラックをアジト用に改装してくれたり、アタシの使ってる槍を作ってくれた人なんだ。すごいだろ?」
「……なるほどな」
それを聞いて、自分の中にあったいくつかの疑問が解消された。
このトラックの内装、朱音の持っている槍、これらはどう考えても、朱音のような年齢の子がそう簡単に作ったり出来るものでは無いだろうとは思っていた。なるほど、そういった技術的なサポートをしている人間が居るということだ。
JCOと戦うための団体、という文句もあながち間違いじゃないということなのだろうか。だが、そう考えると、もう1つ疑問が浮かび上がってくる。朱音とエマのコスプレチックな格好は、その「秋月のおっさん」とやらの趣味なのだろうか?
「あー、ひとつだけ注意しておくぞ」
「なんだ?」
「アタシもそうだったんだけどさ」朱音は突然気まずそうな表情になった。「最初見た時、なんつーかこう、ちょっとした驚き? みたいなものがあると思うんだけど」
「驚き……?」
「まあ、とにかく細かいことは流していく方向で頼む」
これは、どういう意味だろうか?
長く考える時間も与えられぬままに、目の前にARディスプレイが浮かび上がってきた。そして――
「はいはーい、こちら秋月でーす。って、朱音ちゃんじゃん! 久しぶり~」
(え……?)
目の前に表示されている人物は、どう見ても女の子だ。しかも若い。
「おう、ここんとこ色々あってな」
「エマたそもいるじゃ~ん! 元気~?」
ARに映る女の子は、エマに向かってぶんぶん両手を振ったが、エマは無表情だ。
「心身ともに健康は保たれています。ご心配なく」
「出た~そういう感じのやつ~! 突っ込みづらいやつね~! エマたそは相変わらず突っ込みづらいね~」
「早速本題でわりーんだけど」朱音もまた低めのトーンで言った。「おっさんに紹介しときたい人がいんだよ」
「ちょちょ! 他の人が居る前でおっさんとか言わないでよ~! 私はまだ16歳なんだからさ~!」
〝秋月のおっさん〟と呼ばれた少女は、画面の向こうで両手でピースを作って左右に揺れている。
「あぁ、はいはい」朱音は気だるそうに女の子の言葉を軽くいなしながら、俺の方を向いた。「そういう訳で、この人が、秋月のおっさん」
「……おっ、おっさ……」俺はなんと言ったら良いか分からず、口ごもってしまった。
「ははは、完全に『なんだこれ』って顔で見てるな~」
一方の朱音はというと、俺の反応を見て、楽しんでいる様子だった。
「今度から色んな人に見せてみるか」
〝秋月のおっさん〟と呼ばれた少女は、むすっとした顔で、頬を膨らませている。
「失礼しちゃうな~! もうっ ぷんぷん!」
なんともつかみどころの無い少女だが、ここはとりあえず、挨拶くらいはした方が良いだろう。
「ええと……楠原裕樹といいます。よろしくどうぞ……」
「分かったなりよ、ヒロちゃん! よろしくね! 私のことはアッキーって呼んでね!」
「アッキー……」
俺はこの秋月という名の女の子のペースに全くついて行けなかった。そもそも、こんな女の子が本当にトラックを改装したり、あの槍を作ったりしたのだろうか? おっさんとはつまり、「技術的な知識が年齢相応以上である」ことの隠喩なのか? だったら、ある程度説明がつく……のか?
「そんで? そっちから連絡してくるなんて珍しいじゃん、どうしたん?」
俺の疑問は解消されぬまま、秋月と朱音は話を進めていく。
朱音はここ数日、主に俺やレイナと出会ってからの経緯を秋月に説明した。話を聞いていくうち、秋月も徐々に険しい表情になっていく。
「ふうん、なるほどね。つまり、いよいよJCOが本当にヤバい組織だってことが証明できそうってことだな?」
「ああ、あの人体実験……間違いないと思う」
そう言うと、朱音は一瞬だけエマの方を横目で見た。
「やはり、武力行使しか無いのではないでしょうか」
エマは朱音の視線には気付いてないようで、なにやら物騒な提案をしている。
「待ちなよエマたそ」秋月さんが、今までの態度とは打って変わった、真面目なトーンでエマに言った。「その情報だけじゃ、JCOが何らかの人体実験的なことをしているのは分かっても、実際にそれが連続殺人事件に繋がっているかどうかは証明出来ない」
――連続殺人事件に繋がるJCOの情報。
朱音の父もやつらに殺されたと、朱音は言っていた。つまり、あのレポートで見た〝被験体の解放〟とやらが、連続殺人事件と関係していると、朱音たちは考えているのだろうか。
「そうですか……」
表情の読めないエマの顔が、この時ばかりは一瞬悲しそうに見えた。
「やっぱり、〝巡る〟しかないんじゃないかねぇ」と秋月さん。
「やっぱ、それしかねぇか……」
「〝巡る〟……?」
俺の疑問に、エマが答えてくれた。
「私たちは元々、福岡を出発点として、ある特定のポイントを辿りながら、この符中までやってきたんです」
「そっ、手紙主を探して何千理ってね」
「手紙?」
少しの静寂の後、少し顔を伏せながら朱音が答えた。
「……うちの父さん、私に毎月手紙を送ってたんだよ」




