16ー9 発現者
「さて、気分はどうかね? 楠原くん」黒田が右手を挙げた。俺の視線の動きに注目している。
こいつが、こいつのせいで、葵さんが、あんな――熱さだけしか感じていなかった左手に、徐々に痛みが戻ってくる。
「グウぅ! クロダアァ! くそォォ!」
目の前に居るあの男に、この痛みを――いや、これ以上の痛みを与えてやりたい。
「ははは、良いぞ……それで良い。まだ君に死なれては困るからな」黒田は至って冷静そのものだった。まだという言葉が引っかかった。
「しかし、やはり完全に切断してしまうとなると、切断部から先は再生しないものか」その声には落胆と関心が入り混じっていた。「まあ、予想通りと言えば予想通りだな。呼吸と血圧はどうだ……」黒田は別のARディスプレイに表示された数値を見て、小さく頷く。
「さて」黒田がARディスプレイから俺に再度視線を戻した。「今の実験で、他人を支配する側に立つということの意味が、実感してもらえただろう」
黒田の口調は淡々としていた。一変の罪悪感すら、その表情からは感じられない。
「実験、だと? 拷問の間違いだろ?」
「それは行う者の目的や思想によって変わる。これは未来を形成するための研究なのだ」
「これの、どこが……!」
「君にもいつかわかる時が来るだろう。さて――」黒田は自身の身なりを一度整える動作をした。
「これは命令ではなく、心からのお願いなんだ、楠原くん」黒田は俺と向かい合うような位置へ移動し、向き直り、そして両手を広げて俺の方へと差し出した。
「君も、こちら側に来てはくれないだろうか?」
“心からのお願い”という言葉。それこそが、暗に強制力を持った命令、ともすれば脅迫であることは、理解した上で言っているのだろう。もしここで、気持ちが変わったと言えば、この拷問は止められるのかもしれない。
だが――同じことだ。例えこの場を逃れられたとしても、シグマのように黒田の使い駒にされて死ぬ道が残されているだけだ。そんな人生は、ここで生き延びるよりも、もっと屈辱的なことだろう。
「楠原くん?」
答えを促す黒田に、俺は目を逸らすこと無く、ただ無言で睨みつけた。それが今、俺が示すことの出来る、最大の拒絶だ。
「そうか、よろしい」黒田は淡々とした声でそう言うと、早足で俺の視界からは見えない場所へと移動した。
「では、このまま続けることにしよう。覚悟してくれよ、楠原くん」
ふと、俺がレイナの方を見ると、彼女と目が合った。
「ヒロキ……私は、どうすれば……」その目には、涙と、絶望が宿っている。ずっと泣き叫び続けていたのだろう、ひどく疲れた顔をしている。
「目を……閉じておけ……」かすかに絞り出すことが出来たのは、その一言だけだった。
「ところで、私はずっと疑問に思っていることがあるのだがね」黒田が再度、意気揚々と語り始めた。
「先程の君の左薬指だが、あれは明らかに“君そのもの”から分離された。だから“君そのもの”は残りの部分に宿る。これはわかるね」
黒田は両手を握り、2つの握りこぶしを重ね合わせる動作をした。「ではもし」黒田は両手の握りこぶしを左右へ移動させる。「君を頭の先から左右半分に切断したとして、どちらが“君そのもの”なのだろうね? どちらに意思が残るのだろう?」
切断という言葉に、俺は戦慄して息を呑んだ。
「体積だけの話をするなら、左薬指を失った左半身が不利のようにも思える。あるいは、優位半球が、君という存在の主導権を握っているのかもしれないね。君は右利きだったと思うから、優位半球は左大脳半球だ。それとも、ふたりの“君そのもの”が生まれるのかな?」
頭の先から電動ノコギリが入れられていく光景を想像する。電動ノコギリが頭の骨を削っていく感覚を想像する。肉を裂き、俺そのものが分断されていく痛みを想像する。
そして、その先どうなるのかを想像する。
その先は、一体どうなる?
「はは、理解を超えたものを想像するのは、恐ろしいだろう? だが、それは最後に取っておこう。まだやることはあるぞ、楠原くん」
黒田が「さあ諸君、次の準備だ」と言うと、研究員たちがそれに反応し、無表情を保ったまま準備を始めた。彼らは俺の周囲に集まり、唯一自由だった俺の頭まで、新たな器具で固定しだした。それが終わると、更に身体を拘束しているベルトの締め付けが強くなるのを感じた。
頭を完全に固定され、左右に動かすことも、上下に動かすことも出来ない。俺は必死に目を動かし、自分に取り付けられた器具がどんなものか、確認しようとした。だが、どんなに目を横に向けても、その正体はわからなかった。
「済まないが、拘束を強くさせてもらった。これから行うのはとてもデリケートな部分の実験なのでね。息苦しいとは思うが、どうか我慢して頂きたい」
「なに……」
「2030年現在、ヒトの脳機能マッピングは完了している。今や脳のどの部分がどのような機能を持っているかは解明されている。だが、その機能を破壊された時、人間がどのような状態になるのかは未だ不明な部分も多い。何を理解し、また理解していないのか、その時の感情はいかなるものか」
左耳のすぐ近くで、キーンという高い機械音が鳴り出した。それは歯医者などでよく聞く音に似ている。先程取り付けられた頭部の器具から、何かが動き出したのだ。心臓が強く握りしめられたかのように締め付けられ、強い恐怖が頭の中で膨らんでいく。
「お、おい、やめろ!」
「これから、脳機能が破壊された後、君がどうなるのか、確かめていこうじゃないか」
黒田の目に宿る狂気に、俺の身体は自然と震えだす。恐怖を掻き立てる機械音が、どんどん大きくなる。顔の左半分全てが総毛立ち、右手を強く握り締めた。
「あまり動かない方が良いぞ」




