16ー7 発現者
葵さんは俯いていて、その表情を伺うことはできない。銃を突き付けられたレイナは、何かを訴えるように俺を見つめながら唇を噛んでいる。
あの時、葵さんに銃を向けられたのは錯覚だった――そう思いたい気持ちが心のどこかにあった。しかし、俺の目の前に広がっている光景が、その切望をいとも容易く打ち崩していった。
「何してるんですか……葵さん……」
葵さんは表情も変えず、黙ったままだった。
「どうして、葵さんが、そんなことしなきゃいけないんですか」
またも葵さんからの応答は無かった。
「何か言ってくださいよ! 葵さん!」
葵さんは一度もこちらを見ないまま、ただレイナに銃口を突き付けている。もしかしたら、この状況は葵さんにとっても本意ではないのかもしれない――俺はそう思いたかった。
「脅されているんですか? だって、こんなこと、葵さんが望んでやってるはずが……」
「黒田さんに……!」葵さんは俺の言葉を断ち切るように、絶叫に近い声でそう言った。それから少しの静寂の後、葵さんはぽつぽつとつぶやいた。「黒田さんに、言われたの」
それを聞いて、俺は安堵した。黒田に言われた。だから仕方なくやっている――葵さんはそう言おうとしているのだ。
「言う通りにすれば、そらのの記憶データは、私のものに出来る……」
だが、その先に続く言葉は、俺の予想していたものではなかった。
「そんな……」
そんな約束は、明らかに黒田の嘘だ。これまで黒田が行ってきたことを考えれば、それは容易にわかるはずだ。
「それを信じるんですか!? 葵さん!」
「このまま何もしないでいれば、そらのの記憶は、遅かれ早かれこの世から消えるのよ! だったら……」
「だからって! こんなこと、そらのが望んでる訳無いじゃないですか!」
「あなたが私を責められるの!?」今まで聞いたことの無いほどの悲痛な声に、俺は息を呑んだ。
葵さんは鋭い視線で、俺を睨みつけ、銃を構える手に力を込めた。その目は、怒りに満ちている。それは、俺に対する怒りのようでもあり、葵さん自身に対する怒りのようでもあった。
「あなたのしてることと、私がしてること、何が違うっていうの?」
俺は何も答えることが出来なかった。
「あなたのせいよ、裕樹」葵さんは弱々しく言った。「あの時、そらのの姿を私に見せなければ、諦めることが出来たのに……」
葵さんは俺から視線を逸らし、悲しく微笑んだ。
「ずっと、そらのがもうこの世にいないっていうことを、受け入れなくちゃいけないって、自分に言い聞かせてた……でも、 あの時――目の前にそらのが現れた時、私は知ってしまった……」
そこで葵さんは俺の方を見た。その目からは涙が絶え間なく流れ続けているのに、顔には微笑みが張り付いていた。
「記憶データさえあれば……! ずっと、そらのと一緒に居られるんだって……! それが、私が本当に望んでいたことなんだって……!」
葵さんの声は震え、時折裏返り、時折笑い声を滲ませた。
「ねえ、裕樹……あなただって、そう思ったんでしょう?」
葵さんは俺に優しく微笑んで、もはやそれにすがるしかない絶望感を含ませた声でそう言った。その目から流れ続ける涙は、悲しみからなのか、狂喜からなのか、もはや判別がつかなかった。。
「だったら、わかってよ……」葵さんは懇願するように、声を絞り出した。最後の方はもはや声も掠れている。
「私が、そらのにしてあげられることは、もう、これしか無いの……」葵さんの声はもはや、泣き声でしかなかった。「お願いだから、止めないで……」
葵さんの目からはいまだに、涙がとめどなく流れ続けている。涙が流れるたびに、葵さんの中にある人間性まで流れ出てしまっていくように思えた。このままだと、間違いなく葵さんは壊れてしまうだろう。
「例えそれが嘘だとわかってても、ですか?」俺は静かに言った。
「……本当、馬鹿ね、私」その言葉は、あまりにも悲しい響きだった。
たったひとりの大事な妹のために、遺された姉が出来ること。それが、こんなにも悲しいことだけなのか。
「うぅ……」
葵の言葉を聞いて、レイナは泣いていた。必死に嗚咽を噛み殺しながら、涙を流している。
「ごめん、なさい……ごめんなさい……」
レイナの懺悔に、葵さんの態度は冷ややかだった。
「……あなたに謝られる筋合いは無い。全部、私が決めたことよ」
言い終えると、葵さんの目には強い意思が宿っていた。葵さんの決意を変えさせることは、もう不可能なのだ。ARディスプレイの向こうから黒田の拍手の音が聞こえてくる。
「いや、良い物を見させてもらった。こちらまで貰い泣きしてしまいそうだ」
黒田はハンカチで目元を軽く拭ったあと、俺に向かって両手を広げた。
「今、葵くんが言ってくれた通りだよ、楠原くん。わかってくれたかな?」
黒田の顔を、俺は睨みつけた。
「お前だけは、絶対に許さないからな……」
この男のしようとしていることは、何があっても止めなければならない。そうしなければ、そらのも、レイナも、葵さんも、取り戻すことは出来ない。
「許して頂かなくても結構だが、自分の置かれている状況について、もう少し良く考えたまえ」
黒田があのいやらしいギラギラした笑みを浮かべた。「これから起こることに比べれば、今のはまだ序章だよ」
「さあ諸君、次のステージに移ろう。準備したまえ」ARディスプレイの向こうの黒田は立ち上がると、そう言って片手を挙げた。
それを合図に、研究員たちが一斉に動き出した。そのうちのひとりが、俺を載せているストレッチャーに近づき、左手の手首を拘束しているベルトだけを外した。別のひとりが、鉄製の器具のようなものを持って近づいてくる。
「何だよ、それは……」
その研究員は答えることなく、黙ったままストレッチャーに器具を固定した後、俺の左手をその器具にあてがおうとした。
「くそ、やめろ!」
俺は左手だけを振り回したが、肘から先だけが自由になったところで抵抗出来るはずもなく、左手は器具に固定された。手首まで完全に固定されたあと、研究員たちはさらに、その器具の先端についた5つの溝に、俺の親指から小指までをあてがおうとしてきた。
俺はそれに抵抗しようとして手を握る。すると、研究員のひとりが棒状の機械を俺の左腕にあてがった。直後、ビリビリとした強い刺激と痛みが身体中を駆け巡り、思わず反射的に手を開く。すかさず俺の指は押さえつけられた。
これで、左手の指先が、1本ずつ、第二関節の部分で固定される形になった。器具の近くでARディスプレイが表示され、規則的な電子音が聞こえ始める。俺の鼓動も早くなるのがわかった。
――何だ、これは。これから、何が始まる?
「さて、楠原くん」黒田は咳払いして続けた。「我々は君の治癒能力について、もっと深く知りたいと思っていてね」
扉の傍にいたひとりの研究員が、葵さんの元に歩いていく。そして、葵さんの持っていた銃を取り上げ、代わりに何かを手渡した。
「えっ……これは……?」葵さんはひどく困惑した表情で手渡されたものを見ている。
「葵くん」
黒田はあの、愉悦を抑えきれないギラギラした目つきで葵さんを見て言った。
「楠原くんの指を一本切り落としたまえ」




