16ー4 発現者
「まあまあ楠原くん、そんなに落ち込む必要はない」
黒田は親しげな声で言った。明らかに作り物の親しげさに、俺は嫌悪感を覚えた。
「君のように、特殊な能力が発現した者を、我々は発現者と呼んでいるが――」
さながら大学教授のように、黒田は自身の座っていた椅子の前を行ったり来たりしながら話してから、こちらに微笑んだ。
「安心しなさい、私は発現者を大切にする主義だ。君のことも悪いようにはしない」
「……こんな風に拘束して、皆を傷つけておいて……何を今更、大切にするっていうんだ」
「まあ待て。最後まで私の話を聞きなさい」黒田は両手を顔の横に上げた。「もし、君が私に賛同してくれるのなら、即座に君の拘束を解こうじゃないか」
「そんな見え透いた嘘を、信じるとでも思ってるのか?」あまりの白々しさに、言い返すのも馬鹿らしい。
「君もここ数日経験して感じたと思うが、他人と大きく違う性質を持っている人間は生き辛いものだ」
黒田はまたも表情から感情を消し去った。だがそれは、冷酷さから来るものではなく、何か別の、深く暗いところを覗いているような表情だった。
「例えば、君はまだ子育ての経験はないだろうが――」黒田は椅子に座り、自身の両手を見つめた。「子供の発達には年齢ごとに様々な基準が決められ、そこからはみ出してしまうとある種の障害という烙印を否応無しに押される」
黒田は両手を握りしめ、視線を足元へと落とす。
「そして、はみ出した部分をより平らにして通常の範囲に近づけるように仕向けられる。療育という名を借りてね」
視線を落としたままの黒田の表情を、俺は窺い知ることが出来なかった。しかし、これまで見せていた狂気とは違う、何らかの感情が、黒田の体内から徐々に放たれているように感じられた。
「本人が苦しむから、暮らしやすいように療育してやるんだと親や周りの大人たちは言う」黒田の声が一段と低くなった。「でも本当にそうか? それより先に、自分たちが扱いやすくするためなんじゃないのか? 障害は個性なんて耳触りの良いことを言いながら、それを認めて伸ばしてやろうという気など、初めから持ち合わせていないんじゃないか?」
黒田は顔を上げて俺を見た。その表情には、形容しがたい、複雑な感情が入り混じっているように見えた。
「そして、得てしてそのような親は、子供のはみ出した部分がちっとも平らにならないと言い、勝手に苦しむ。あげくの果てには、思いつめて自ら死を選んでしまう者までも居る……そんなことが起きてしまうのは、本当に馬鹿らしい」
その言葉を呟いた時にだけ、黒田は一瞬ひどく悲しそうな顔をした。だが、すぐに黒田は元の嫌らしい笑みを浮かべた。
「通常という物差しから少しはみ出したところでこれだ。君のように、常人を遥かに凌駕する能力を発揮出来る人間ならどうなる?」
黒田は顔を俺の方へと近づける。
「意図せず周囲の人間を巻き込んでしまい、あまつさえ傷つけてしまうこともある。そうだろ?」
「それは、お前が俺たちをそういう状況に追い込んだだけだ!」
「果たしてそうかな?」黒田が薄く微笑む。「君が発現者になった時点で、私が一切の手心を加えなかったとしても、いつか周囲の人間は君を差別し、迫害しただろう」
「何を根拠に!」そう叫んだ俺に、黒田はゆっくりと時間を掛けて立ち上がり、「何故なら、理解出来ないからだ」と言い放った。「人間は、理解出来ないものを強く恐れる」
「理解、出来ない……」俺は無意識に黒田の言葉を繰り返していた。
「初めて君が力を行使した時、君の友人は手放しで受け入れてくれたかね?」
俺は、初めてシグマと戦った時のことを思い出していた。シグマを倒した後の、レイナの表情はどんなものだったか。
――その表情には、何故か恐怖が張り付いているように見えた。
それは、理解できないものに対する、恐怖を含んだ表情だ。
「君の大切だった女の子、そらのくんはどうかな?」黒田は右手を差し出す。「彼女は何不自由なく生きていたかね? 何ひとつ隠し事をせずに、君と接していたか?」
「……っ!」俺は美琴の言葉を思い出して、息を呑んだ。
――そらのさんは力のことを誰にも知られないように、かなり気を配られていたようです。
そして、そらのが俺に放った言葉を思い出した。
――出来れば、ずっと言いたくなかった。
そらのは人と距離を縮めることを恐れ、苦しんでいた。死の間際でさえ、その力のことを俺に打ち明けることは無かった。
答えることの出来ない俺を見て、黒田は同情するとでも言うように、何度も深く頷いた。
「我々が君の行動をコントロールしていたのは、確かに研究データを得るためでもあった、だが――それ以上にね、私は君に理解して欲しかったのだよ」
「理解だと?」
「そうだ……」黒田の声には怒りが滲み始めていた。
「力を持つ者の苦しみ……」その怒りは、徐々に温度を上げ沸騰する直前の水のように、張り詰めている。
「そして、友人だと思っていた人間に差別される恐怖と悲しみを!」
そう強く言い放つ時には、黒田は両手をきつく握り締めていた。沸騰し、暴れるように動く水のうねりのように、怒りのうねりが、黒田の身体全体から放たれているように感じられた。
「特定の遺伝子が発現しているか、していないか――発現者とそうでない者を区別する境界線は、それだけだ。それだけのことで、人目を避け、白昼の下に出ることを恐れ、大切な人に自らの苦悩を打ち明けることも出来ない!」
自分で意識しているのかいないのか、演説のように力強く語る黒田は、握った両手を小刻みに震わせている。
「何故だ! 同じ人間なのに、何故そのような苦しみを抱えなければならない!?」
黒田の目はもはや俺の目を見てはいなかった。彼はもはや、俺ではなく、俺の向こう側に居る数多の人間たちに向かって疑問を叩きつけているのだ。
「君には答えられるのか!」そう言うと、黒田の目の焦点は架空の大衆から俺へと絞られた。
黒田の言葉は、何かに対する強い憎悪を孕んでいた。黒い液体を流し込まれ肥大化した風船のように、今にも弾けてしまいそうなほどの憎悪。ARディスプレイ越しですら、その内面に巣食う闇の存在を充分に感じ取ることが出来た。
――そして、俺は黒田の問いに答えることが出来なかった。
黒田はその間、肩で息をしながら黙っていたが、やがて落ち着きを取り戻し、再び話し始めた。
「……君にはまだ、答えられないだろう。だが君は理解したはずだ。ここまで君が体験してきたことの全て――それこそが事実なんだよ」
そう言うと、黒田は静かに椅子に座り、肩を落とすように背中を丸めた。
「……今の社会では、発現者は差別され、迫害され、そして苦悩の果てで、絶望の底に沈んでいくしかない」
黒田は一瞬だけ、今まで見たことないほどの、慈愛と悲哀に満ちた表情で俺を見据えた。
「そんな社会はおかしいとは思わないかね?」
無言のままの俺を、黒田はしばらくそのまま見続けていたが、やがて静かに椅子の背に身体を預けた。
「私はね、君のような発現者が世の中を堂々と生きていける、そんな社会の仕組みを作り出したいと思っているんだよ」
黒田は、恐ろしいほどに優しげな表情を浮かべた。それは先ほど見せた慈愛の表情とは異なる性質の感情で満たされているように見えた。
「そのために、まずは私がこの社会の上に立ち、支配してやる必要があると考えたのだ」




