16ー2 発現者
そこは、一見すると何らかの研究室のようにも見えた。だが、天井の中央に備え付けられた異様に大きな照明装置のせいで、研究室というよりも、どこか病院の一室のようにも見えた。
照明の真下には硬質な床以外には何も無い――いや、今は無い、と言うべきか。さらにその床には、底知れぬ沼を塞いだ後のように、何らかの赤黒い液体の痕跡が広がっている。
そして――その照明装置の真下へと、俺の身体を乗せたストレッチャーは運ばれた。
部屋の隅に巨大な金属製の換気装置が取り付けられているのが見える。その換気装置が重たい機械音を小刻みに放っており、かすかに空気の流れを感じる。俺をここまで運んできた白衣の男たちが周囲に集まってきて、感情の抜け落ちた顔で、一斉に俺のほうを見た。
まさか、レイナも同じようにどこかの部屋に――?
「……レイナはどこだ」白衣の男たちは表情一つ変えず、俺の問いかけにも一切応じない。言い知れぬ不気味さを感じながらも、俺はさらに尋ねた。
「答えろよ、お前ら! レイナに何かしたんじゃないだろうな!」
「楠原くん。少し落ち着きなさい」それは、聞いたことのある声だった。
コネクトセンターに初めて訪れた日の道中で。あるいは、報道陣に向かって力説しているニュース映像の中で。
――黒田連十郎。
俺を拘束している台の背もたれが自動的に立ち上がり、上体だけが持ち上がる。同時に、目の前に大きなARディスプレイが映されていることに気付いた。
「あんたが、黒田だな……」
画面の向こうの黒田は、ひじ掛け椅子に腰かけた状態で足を組み、かすかに笑みを浮かべている。
「――やあ、楠原裕樹くん」黒田は興奮を隠しきれない様子でそう挨拶すると、身体を画面の方へと乗り出し、低く、じっとりとした声で言った。「言っただろう……どこに居ようとも、必ず見つけてみせる、と」
俺の顔をまじまじと見てから、黒田は満足げな表情で再び椅子に深く座り直した。
「ようやく君と対面することが出来て、嬉しいよ」
「対面だと? こんなARディスプレイ越しでか?」
「ここからでも充分、君のことは見えるからね」黒田は組んでいた足をほどき、再度身を乗り出した。
愉悦を我慢しきれないと言わんばかりに口角を上げながら、頭から爪先までゆっくりと、まるで仕留めた獲物を吟味するかのように俺を眺めている。その眼光の鋭さは、あのニュース映像で俺の名前を呼んだ時に見たものと同じだった。これが、黒田という人間の本質なのだ。
「レイナは……どうした」
「先程も言っただろう」黒田はやれやれといった様子で肩をすくめた。「落ち着きなさいと」
「そんなに慌てなくとも、いずれ折笠くんとは会わせてあげよう」
レイナもやはり黒田たちに拘束されているのか。だが、今の黒田の言葉の中に、レイナが生きていることを保証するものはひとつも無かった――生きて会わせるとは言っていない。
もしかすると、レイナは既に――そのことを想像して、不安が一気に高まった。
「レイナに何かしたら、あんたを殺す」
俺は頭の中に浮かんだ不安を振り払いたかった。今の言葉に黒田がどう反応するかによって、レイナの安否に関する情報が得られるかもしれない。だが、そんな俺の挑発に対して、黒田の余裕が崩れることは無かった。
「ハハハ! 良いぞ、その威勢! やはり、こうでなくてはな」黒田はそう言って、再び椅子に深く座り、足を組んで微笑した。その姿を見て、俺は自分自身が更に苛立っていくのを感じた。こんなベルト――
「くそっ……くっ……!」
必死に腕や足を動かそうとするが、身体に固く巻き付いたベルトは緩みさえしそうにない。
俺は自分の身体に力が集まるイメージを強く頭の中で描いた。あの力さえ、使えれば、あるいは……。
「ぐぅ……!」しかし、どれだけ試みても、力が湧き上がってくる予兆すら、体内で感じることは出来ない。ただ、俺を乗せた台がガタガタと音を立てて揺れるだけだった。
「ハァ、ハァ……!」
ARディスプレイの向こうで黒田は憐れむように目を細めた。
「安心しなさい。君は保護され、我々の手によってコントロールされているのだ」
「保護だと? これのどこが! 拘束の間違いだろ……!」
「ある意味では、我々はずっと君を拘束していた、とも言える」
「どういうことだ!」
「考えてもみたまえ、楠原くん」黒田はそこで一旦目を閉じ、呆れたような表情をして見せる。挑発だとわかっていても、黒田の一挙一動を見る度に、腹の中に熱いものが煮えたぎっていく。
「コネクトセンターで瑞梨そらのくんの記憶データを持ちだそうとしたあの日、君と折笠くんは自力で脱出したと思っているようだが――」黒田の目が再び開かれた。そこには怒りではなく、愉悦を宿っていた。捕まえた獲物を檻の外から眺めているような目だ。黒田は語気を強めて言った。
「厳重なセキュリティに守られたこの施設から、そんな簡単に出られると思っていたのかね? プロの警備の追跡から簡単に逃げおおせるとでも?」
黒田はさらに語気を強める。「爆発直後の符中駅の前でアレと初めて遭遇した時、何故君たちは助かった?」
自身で話しながら興奮を得ているのか、黒田の声はいまや、大人数の前で演説しているかのようなレベルに到達していた。
「そらのくんの家が襲撃された時、何故君たちだけ撃たれなかった?」
そんな黒田の言葉を聞いて、俺の頭の中では一筋の閃光が駆け巡っていた。俺の中でバラバラになっていた事象が、急激な速度で繋がり、ある一つの推測に辿り着く。全身がぞくりと震え、鼓動が早くなっていく。
そんな俺の様子を見て、黒田は再び口元を悦で歪めた。
「そう、ずっと観察していたのだよ。君がそらのくんの記憶データを持ち出そうとした、その瞬間からね」
「君のお友達の、ええと確か……」黒田は指でこめかみをとんとんと叩いた。「そうそう、雨宮くんだ」黒田は指をぱちりと鳴らす。
「君と雨宮くんは、あの談話室から逃げた後、すぐに取り押さえられるはずだったんだ。だが思わぬタイミングで、折笠くんが君の前に現れた」
黒田はそこで言葉を切り、「ハハ、面白いよなぁ」と感心混じりに笑った。
「当初は折笠くんだけが観察の対象だったのだ。アレが符中駅で君たちの前に現れたのは、彼女にあのマイクロチップを自分に使わせるためだったんだよ」
種明かしを披露する奇術師のように、黒田は両手を大きく左右に開いた。「だから、君はアレにすぐ殺された。折笠くんを追い詰める必要があったからな」
俺はあの夜を思い出した。確かに、シグマはあの時、迷いなく俺を殺そうとした。
腹部に深く突き刺さる刃の感触。
口の中に広がる血の味。
そして、黒く塗りつぶされる意識。
「ハハハ! それがどうだい。なんと、彼女は君にマイクロチップを使ったんだ」
黒田の興奮はとどまることを知らないようだ。どんどん早口になっていき、それに連れて声も弾んでいく。
「信じられるかい? あの状況下でなお、他人の身体を使って効果を確かめようとしたんだ。どこまでも研究熱心なその姿勢に、私は思わず感心してしまったよ。さすがは東耶くんの肝入りという訳だ、ハハハ!」
「黙れ!」俺は叫んだ。
「レイナはそんなつもりで、俺にマイクロチップを使った訳じゃない!」
突然黒田は無表情になり、低い声で問い掛けてきた。
「どうしてそんなことがわかる?」




