14ー2 大符魂神社
「楠原裕樹さん、あなたはここへ来るまでに、いくつもの選択をなされてきたことでしょう」
選択。俺は初めて美琴を見た時のことを思い出す。そして耳元で呟かれた少女の言葉を。
――彼女は選択した。次はあなたが選択する番です。
「その、あらゆる選択の結果として、今ここに存在している世界の在り方、それは現在と呼ばれ、在り方の変化の過程は過去と呼ばれています。そして、未来とは、誰かが何かを選択した時に決定される、世界の在り方の集まりです」
「言い換えると」美琴は大きく息を吐いた。「選択の数だけ、未来があるとも言えます」
美琴は何かを逡巡するように目を伏せてから、再びこちらを見据える。
「……私は、その未来のいくらかを、知ることが出来るのです」
沈黙。洞窟の中を流れる風の音がやけに大きく感じられる。
「あなたには予知能力がある、と言いたいの?」とレイナ。
「一般的に言われる予知とは異なります。確定した未来がわかる訳ではありません」
美琴は両手をお椀のような形にして、自身を中心とする天秤のように、両手を上下に動かす。
「私がわかるのは、ただ、近い将来に、どのような未来が決定されうるか、ということなのです」
美琴は両手を上下させるのをやめ、両手を目の前でひとつに合わせた。
「例えば、先程あなたたちが窮地に陥った時のことですが――」美琴は目を伏せた。「私が介入せずとも、正しい選択がなされれば、あの場を切り抜けることは出来たのです」
「そう、なのか……?」
「もちろん、切り抜けられない未来も存在していました。その、切り抜けられない未来を導く選択を遮断する先手を打つために、そして――」
美琴は祈るように、両手の指を交互に絡め、それを胸に当てた。
「あなたたちに私の持つ性質を信じて頂くためには、あのような手段を取らざるを得なかったのです」
俺が感じている矛盾が答えになると、美琴は言っていた。それはつまり、あのタイミングで救急車を呼べたのは、JCOの仲間だからではなく、未来がわかっていたから、ということなのか。
「あいつらの仲間だったっていう方が、まだ信じられる内容だな……数日前までの俺なら、絶対に信じてなかった」
レイナに出会う前の俺であったなら、ゼルコバの前で美琴に出会った時の俺であったなら、美琴の言葉を絶対に信じることは無かっただろう。だが、今の俺にとっては、美琴が口にした答えこそが、むしろ一番納得出来るものだった。
「そうですね、それが“普通”というものですから」そう言って、美琴は少し憂いを帯びた表情で微笑む。
「しかし、あなたはもう“普通ではない”流れの中に身を置いている――今こそ、お伝えする時が来たのだと思ったのです」
「先天的にPazが発現している人間……」レイナが震えた声でつぶやいた。「理論上存在するかもしれないとは思っていたけど、本当に実在したのね」
レイナは腕を組み、左手を額に当て、目を閉じてしばらくの間「うーん」と小さく唸っていたが、やがて美琴の方を見た。
「未来がわかるだなんて非科学的だけど……これまでに起きたことを考えると、信じる他ない」
俺は一つの疑問が解消され納得している自分の中に、もう一つの感情が湧き上がるのを感じていた。
「確かに、君が未来を知る力を持っているということはわかった」湧き上がる感情が急速に熱を帯びていく。「だったら、もっと早く何とかなったんじゃないのか?」
「翔があんな目に遭う前に、呼ぶことだって出来たんじゃないか?」俺は思わずそう口にしていた。口に出した途端、自身に溜まっていた怒りが次から次へと沸いてくるのを感じた。
「葵さんのことだって……! 連れ去られることがわかってたなら、もっと早くどうにかならなかったのかよ!」
「ヒロキ……落ち着いて」更に罵倒の言葉が喉から出かかっていたのを、レイナが制止してくれた。「……済まない」
「でも……今さら言われたところで、手遅れになってしまったことが多すぎるんだ……」
「申し訳ありません」美琴は悲しげに目を伏せた。「私は未来を見ることは出来ますが、変える力は持っていません」
「既に決定されていることについて、大きく手を加えることは出来ないのです」
「……もうひとつ、教えてくれ」俺はいちばん聞きたかったことについて尋ねた。「彼女は選択した――君が最初に言った言葉の意味を」
「これは、そらののことなのか?」
ややあってから、美琴は静かに頷いて、至るところに置かれているろうそくの一つに近づいていった。
「この大符魂神社は、何百年も前に建てられました。その当時から、悩み迷う方々……その中でも、常人が持っていない力を生まれながらに持ち、苦しんでいる方の言葉を聞き、その魂を救ってきたと聞いています」
「常人が持っていない力、というのは、君の持つ力のような超能力のことか?」
「私たちは、超能力というような言葉は使いません。そのような特定の言葉で言い表せるものではなく、人が持つ個性の一つだと捉えています」
答えながら、美琴はまた一つ、ろうそくに火を灯した。
「例えば、裕樹さんが男性で、レイナさんが女性だというのも個性の一つですね。頭の回転が速い、人への思いやりが強い、というのもまた、個性です」
美琴がろうそくに火を灯すたび、洞窟の中は徐々に暖かな光で覆われていく。
「それらと同じで、人と違うことが出来るというのも個性です。いわば、天から与えられた贈り物です」
美琴は部屋の隅まで歩き、またろうそくに火を灯した。
「しかし……人間というものは自分と違うもの、相容れないものを恐れます。ずば抜けた力を持つ方は、周囲から恐れられ、迫害されることが多いのです。私たちは代々、そのような悩める方が他の方々と共存し、現世での役割を見つけるためのお手伝いをしてきました」
美琴は最後に残ったろうそくの火を点すと、俺たちのほうに身体を向けた。
「そういった天から与えられた力は私の中にもあり、そして――」美琴は右手を胸に当て、俺の目を見た。「そらのさんの中にもまた、あったのです」
それは、美琴の持つ力の話を聞いてから、薄々とは感じていたことだった。この神社の成り立ちを聞いていくことで、それは現実味を持ち始め、美琴の口から事実として語られた。それでも俺は、まだ実感を持つことができずにいた。
「そらのは……そらのにも、そんな力が……」
「そらのさんと一緒に居て、不思議だなと思ったことはありませんか?」と美琴。
「不思議だと思ったこと……?」俺は自分の中にあるそらのとの記憶を手繰り寄せる。そして、その中にある違和感を探す。
――そうだ。
俺はひとつだけ、不思議に思っていることがあった。
「……そらのは、あまり他人と接しようとしていなかった。俺や翔と話している時は明るかったから、友達だってたくさん出来ておかしくないはずなのに」
――なのに、どうして俺なんかと。
それは絶えず心の中にある疑問だった。共に過ごしたほとんどの時間において、そらのは明るくて優しい、普通の女の子であるように見えた。
「でも時々、ひどく怯えた顔で他人を見てる時があったんだ」
それが、とても不思議だった。どうして他人をそんなに恐れているのか? そして、どうして俺なんかと話をしてくれているのだろう。
「そうですね。そらのさんは、他人をひどく恐れていました」
上空から降り注ぐ光を仰いでいた美琴は、懐かしむような口調でそう言った。そして、少しの沈黙の後、美琴はこちらを向き直して、口を開いた。
「彼女には、他者の思考を感じ取ってしまう力があったのです」
「他者の思考を、感じ取る……」
「相手が何を感じ、考えているのか、本人の意思とは関係なくわかってしまう、ということです」
それを聞いて、思い出した。ある日、いつものように鳥居の向こうへ行くそらのの姿を見て、ふと、そのままどこかへ行って消えてしまうのではないかという不安に駆られたことがあった。
――大丈夫。私は消えないよ。だから、ここで待っててね。
その時、そらのはそう言った。当時の俺は、自分がそんなに不安そうな顔をしていたのかと恥ずかしい気持ちになった。だがそれも、俺の表情のせいではなかった、ということだったのか。
「人には様々な感情があります」美琴は神妙な面持ちで話し出した。「その中でも、悪意に満ちた感情というものは、表に出ることは滅多にありませんが、一瞬でもその悪意に触れてしまえば、多くの人は萎縮してしまうでしょう」
それから、美琴は悲しげな表情で言った。「そらのさんのような、優しい方であれば尚更です」
「……どうして、俺には何も……」
「そらのさんは力のことを誰にも知られないように、かなり気を配られていたようです」
美琴は両手を胸の前で合わせ、静かに目を閉じた。
「私は、そんなそらのさんの生き方を尊重し、せめて安心して一緒にいられる方の傍に居るようにと、言葉を添えておりました」
「そういう、ことだったのか……」
「ご自分を責める必要はありません」美琴が俺の右手を取った。「あなたが何の打算も悪意もなく彼女と接していたことは、きっと彼女にとって救いだったに違いありません」
果たして、そうだったのだろうか。本当に、俺は彼女の救いになれていたのだろうか。
「裕樹さん、これから私が申し上げることをよく聞いてください」俺の手を取った美琴の手に力が込められた。
「今、あなた方の周りで起こっていることを、ご自分の目で見て感じているでしょう。その不穏な動きを――」
美琴は俺から手を離し、崩れた天井から見える小さな空を仰いだ。
「今はまだこの周囲の一部しか知るところではありませんが、これから世界を蝕む悪意へと広がっていくでしょう」
「それって……JCOが今行っていることと関係が?」とレイナが心配そうに尋ねた。
「申し訳ありません。具体的に何か、ということまでは申し上げられないのです。今、あなた方が感じていること、体験していることが全てです。そして――」
美琴は少しだけためらうように間を置いてから、再び口を開く。
「この悪意の広がりは、そらのさんの“選択”の結果起こったものです」




