12ー6 瑞梨葵
俺たちはガラスの破片を片付けた後、リビングに降りてきていた。葵さんが昼食を作ってくれたからだ。
テーブルの上には、豚肉ともやしの入った素麺、すり胡麻がふりかけられたカボチャ、オクラの和え物、鶏肉やきゅうりやトマトが乗った豆腐などの食事が並べられている。
そんな色とりどりの料理を前にして、俺たちは無言で座っていた。葵さんはそらのを少し見つめては、下を向き、再びそらのを見る、ということを繰り返している。
そらのの像がここに居る、そのいきさつについては軽く説明したのだが、にわかに信じがたいのだろう。そらのも目の前の葵さんに対して、何と言ったらいいのかわからないのだろう、先程から一言も話さずに下を向いている。
葵さんはついにそらのを見るのをやめ、俺たちの方を見て、困ったような笑みを浮かべた。
「ほら、皆、食べて」葵さんは努めて明るく話そうとしていた。「気分が落ち込んでる時こそ、ちゃんと食べないとね」
「えーっと……じゃあ葵さんのお言葉に甘えて、いっただきまーす」と翔が素麺に箸に伸ばす。
「……頂きます」レイナも遠慮がちにカボチャに箸を伸ばした。
ふたりの動きにならうように、俺もオクラの和え物に箸を伸ばした。その和え物には鰹節と、梅肉が乗せられている。俺は器からオクラと梅肉を箸に取り、それを口に運んだ。口の中にさっぱりとした酸味と、程よい歯ごたえが広がる。味もわからないのではないかと思ったが、むしろ身体は本能的に食事を求めていたらしい。身体全体に血が巡るような感覚がした。
「……うまい」俺の言葉にレイナも同意した。「うん、美味しい」
「あ~なんか、ご飯食べてますって感じするわ~」翔も同じだったようで、口いっぱいに素麺をほおばっている。
「昨日米倉さんが作ってくれたのもうまかったんだけどさ、やっぱ、なんていうかこう、手間暇かかってるって感じがするのが良いな」
翔の言う通りだと思った。手の込んだ料理というものを、本当に久しぶりに食べた。
「ほんと、うまいっす、葵さん!」翔は葵さんに頭を下げた。
「……あ、うん、ありがとう」そう答えたものの、葵さんは上の空だ。
それから、葵さんはゆっくりと箸を置くと、そらのの方へと右手を伸ばした。それはほとんど無意識の動きなのだろう。そらのは悲しげに微笑むと、小さく首を横に振る。俺がそうであるように、葵さんがそらのに触れることは不可能なのだ。
「ごめんね、お姉ちゃん」そらのは力なく微笑む。それは姉を先に遺して逝ったことへの謝罪か、触れられない存在になったことへの謝罪か。
「……何だか、そらのが戻ってきたみたい」葵さんは呆然とした様子でそらのを見続けている。「本当にそうだったら、良かったのにね……」
「私も、もう一度お姉ちゃんに会いたいと思ってたよ。ちゃんとお別れを言う時間もなかったから……」
「そうだね……」
しんみりとした空気が流れた。葵さんから何かを聞くとしたら、今しかないかもしれない。
「葵さんは……コネクトセンターには、行かなかったんですか?」俺は言葉を選びながら葵さんに尋ねた。
葵さんも言葉を選んでいるのか、少しだけ目を泳がせてから、こちらに向き直った。
「こうして、そらのの前で言うのは、凄く恥ずかしいことなんだけど」葵さんは少しだけ目を伏せる。「電葬される前に行かなきゃ、もう二度と話が出来なくなっちゃうって、ずっと思ってたのに、どうしても行くことが出来なくて……」
葵さんも、同じことで苦しんでいたのだ。行かなければとは思いながらも、どうしても躊躇してしまう。心が強いブレーキをかけるかのように、胸が締め付けられてしまう。
「ほんと、私、お姉さん失格だね」葵さんは小さくそう呟いた。それから、優しい微笑みをそらのに向けた。
「だから、今日はこういう形でそらのと会えて……驚いたけど、本当に良かった」
葵さんがそらのに向ける視線には、喜びと苦みが入り混じっているように見えた。
「うん……あのね、お姉ちゃんにはちゃんと伝えておきたかったんだ」そらのも葵さんの方に身体を向けた。「わたしを育ててくれて、ありがとう」
「そらの……」
「お父さんとお母さんが亡くなってからも、何不自由なく生活出来て、お姉ちゃんと一緒に居ることが出来て、楽しかった。わたしを大学にまで行かせてくれて、感謝してもしきれないよ」
そらのの両手が葵さんの手を包んだ。「本当にありがとう、お姉ちゃん」
「そんな……ありがとうだなんて水臭いこと、言わないでよ。私だってそらのが居てくれたから、折れずに頑張ってこれたんだし……」
「……えへへ」
葵さんは右目を軽く手でこすった。妹の前で涙を見せないよう、耐えているのだろう。それから再びそらのに微笑むと、葵さんは立ち上がった。
「ごめん……ちょっと、洗い物してくるね……」
葵さんはすぐ隣にあるキッチンに歩いていった。
「余計なこと言っちゃったかな……」そらのが悲しげに呟く。「そんなこと無い」とレイナが背中をさするようにそらのに手を当てた。
「……ちょっと手伝ってくる」俺は立ち上がってキッチンの方へと向かった。
キッチンに入ると、葵さんが流し台に手をついたきり、下を向いているのが見えた。
「葵さん、片付け、手伝います」
「……そうね」葵さんは少し鼻をすすった。「それじゃあ、お願いしようかな」
葵さんは、流し台に置いてあったザルや鍋などの調理器具をスポンジで洗い始めた。
「こっちの布巾で拭いていってくれる?」
「わかりました」
葵さんは暫く無言で洗い物をしていた。俺も受け取ったものを拭くことに集中する。やがて、葵さんは口を開いた。
「さっき、どうしても行くことが出来なかったって言ったけど、あれ、嘘なんだ」
「コネクトセンターに行かなかった理由、ですか?」
「うん」葵さんは流し台に視線を落としたまま答えた。
「コネクトセンターって所にそらのの記憶が保存されてて、そこで話が出来るって言われても、それは違うって思ってたんだよね。それは本物のそらのじゃない――私の大切な妹なんかじゃない、って」
葵さんが食器を俺に手渡してきた。俺はそれを黙って受取り、布巾で拭いていく。
「それで救われる人たちも居るってのはわかるんだ」葵さんは再び口を開いた。「もちろん、その人たちの気持ちもわかるけど……」
「いざ自分がその立場になった時、正直、馬鹿にしないでよって思った。人の気持ちを何だと思ってるんだ、って」
葵さんは洗い物の手を止めることなく、視線も台所に向けたままで、ひとりごとのように、自分に言い聞かせるように話し続ける。
「……でも、さっき、あそこに座ってるそらのを見て、話をして」葵さんの声が少しずつ震えていく。「ああ、今目の前にそらのが居るんだって思っちゃった」
全ての食器を洗い終えて、葵さんは「は~」と腰に手を当てて身体を伸ばした。
「あやうく、そらのに会うチャンスをみすみす見逃すところだった、私」
葵さんがこちらを向いた。優しい微笑み。俺の知っている葵さんの顔だ。
「ありがとね、裕樹」
「いえ、俺たちも、葵さんが助けてくれて、本当に感謝してます」
そらのと葵さんの予期せぬ再会は、結果的に良い方向に作用したようだ。俺はそのことに安堵しつつ、今が良いタイミングだと考えていた。
葵さんにずっと聞けずにいたこと。そらのの事故について。




