12ー5 瑞梨葵
「ヒロくんヒロくん」
名前を呼ばれて、はっと目を開けると、目の前にそらのが居た。
「ああ……俺、寝てた」
「うん、目を閉じた瞬間に寝てたよね」
目を閉じてすぐに、俺は意識を手放していたようだ。久しぶりに安らかに眠れていたような気がする。
「居眠り星人の本領発揮って感じだったね。すごい速さで寝てた」
「いや~、まあ、大学でも結構こんな感じだよね」と翔。
「あ、やっぱりそうなんだ」
「この状況下でも寝られるというのは身体のために良いことね」とレイナ。眠り込む前に展開されていたARディスプレイは、今は全て消えていた。
「すごい前向きな意見! 新鮮だね!」翔がレイナの言葉を受けて茶化す。
「もう、悪かったよ」もはや謝る以外にできることは無かった。
「ううん、思ったより時間が掛かったから丁度良かった」レイナがMRDに目をやりながら言った。
MRDで時間を確認すると、どうやら寝てから1時間程は過ぎているようだ。
「それで、どうだった?」
「正直、驚くことばかり。思っていたよりかなり古い時点から、JCOは今の実験体勢を準備していたみたい」
「とにかく」レイナは立ち上がった。「順序立てて説明する」
レイナはそう言って、足元に開かれたノート――そらのの部屋から借りたのだろう――を全員が見れるような位置に置いた。
「まず前提として、私が何をしていたかだけど……そもそもは、マコト先生が確立したe-Memoryの技術を応用して、記憶を移植する研究を進められないかとJCOから持ちかけられたのが、ことの始まりなの」
レイナは腕を組んで、壁にもたれかかった。
「もし実現出来れば、医療研究が飛躍的に進む可能性がある、とも言われたわ。私もその考え方には賛同したし、ある種の理想も抱いてJCOの研究チームに参加することにした」
レイナはもたれかかっていた壁から離れて、部屋の中をゆっくりと歩きながら話した。全員の視線がレイナに集中している。
「初期の段階では、一般的なラットに他のラットの記憶を移植することを試みたの。この実験には私も実際に関わっていたわ。この実験では移植元のラットにだけ、放射状迷路と呼ばれる装置を使って、餌の出る順序を覚えさせる訓練を行ったの」
レイナは右手の人差し指を立てて、その指をくるくると回しながら続ける。
「もし記憶が移植されるのであれば、訓練を行っていない移植先のラットも、移植後は迷路上で同じ動作をすることになる」
レイナは再び腕を組み、目を閉じた。「結論から言うと、この実験は成功した。移植先のラットも健康そのものだった」
「私たちは次の実験に進んだ。今度は、Paz発現しているラットの記憶を移植することにしたの。そして、この実験も成功した」
レイナは目を開き、俺たちに背を向け、窓の外を見た。
「さらに、移植先のラットは、移植元のラットの記憶だけではなく、Pazを発現する能力まで受け継いでいたことがわかったの。これは、Pazを一度でも発現したことがある個体の記憶を移植すると、移植先の遺伝子発現にも変化が起こるということを意味する」
外は今日も強い日差しが降り注いでいる。強烈な太陽の光が窓から差し込み、レイナの輪郭をかたどる影を部屋に落とした。
「さらに今度は、Pazを発現しているラットに対して、発現していないラットの記憶を移植させてみたの。すると、移植元の記憶を受け継いだ上で、Pazも発現するという結果になった。これはつまり、移植元の個体がPazを発現していれば、移植先にPazを発現させる能力を受け継がせることが出来、逆に移植先の個体がPazを発現していれば、Pazを発現させる能力を保持したまま、移植元の記憶を受け継がせることが出来るということ」
レイナは俺たちの方へ再度振り返った。太陽の光で逆光となり、レイナの表情は良く見えない。
「この結果を見たときは、正直、とても興味を惹かれてしまった」
逆光に次第に目が慣れ、レイナの表情をうかがい知ることが出来た。興味を惹かれたという言葉とは裏腹に、彼女の表情は曇っていた。
「だけど――」レイナは目を伏せ、腕を組んだ。「Pazを発現しているラットの実験では、どのような組み合わせでも、移植先の個体は全て、わずか一週間程で死んでしまった。特に病気なんかの兆候もなく、ね」
「それって……原因はわかってるのか?」
「色々と調べたんだけど、結局のところははっきりしなかった。だから、この実験をこれ以上進めることは中止して、私のグループは医療用チップに特化した研究にシフトするよう命じられた」
レイナの腕を掴む手に力が入るのがわかった。「……でも、クロダは秘かにこの記憶移植の実験を続けていたみたいね」
「クロダは次に、マウスで成功した記憶移植を人間にも適用しようとした。でも、安全性が確立されていない実験だから、当然歪みが生まれる。人間性を保つことは困難で、被験体はコントロール出来ず、暴走した。例えば――」
レイナは一枚の報告書をARディスプレイに表示させた。
「この少年は福岡での実験で、七名を殺害したと書いてある」
「当時十五歳か……やることがエグイな」翔もいつになく深刻な口調だ。
「そうだな……その被検体って、やっぱり、ひとりだけって訳じゃないんだろ?」
「そうね、記憶を取り出された人、移植された人……この報告書が全てじゃないから、正確な人数は把握できないけど」
レイナはしばらく黙り込んだ後、ゆっくりと顔を上げた。「ごめんなさい、説明を進めるわね」
「報告書によれば、実験はさらに次の段階に入っていて」さっきとは別の報告書がARディスプレイに映る。「記憶を移植した後も、人間性を保持できるように改良したもの、とある」
レイナはさらに別の報告書を表示させた。
「例としては、この被検体」
「これは……」報告書に添付されている写真を見て、俺は一瞬息が詰まりそうになった。「あの、腕が刃の男……」
俺たちを狙い、襲いかかってきた、正体不明の男。あの男の写真がそこには掲載されている。
「これが名前か?」翔が指した写真の下には、シグマと書かれている。
「シグマ……か」
それから、何枚か別の報告書が映された。いずれも、同じく被検体の写真の下にベータ、ラムダなどのギリシア数字が割り当てられている。
「実験の便宜上つけられた名前ね」とレイナ。
シグマと名付けられたあの男。あいつは加害者だが、同時に被害者でもある――。だが、JCOがやっていることの非道さはさておき、シグマが翔を傷つけ、俺たちの安全を脅かしていることには変わり無い。
「ヒロくん……」そらのは自らの手を、俺の手の横までそっと近づけてきた。もちろん、本当に触れることはない。それでも、そらのが伝えようとしている不安を感じとることは出来た。
不意に、背後でガラスが割れるような音が聞こえた。「きゃっ……」小さな叫び声。
振り返ると、いつの間にか部屋の扉が開いており、そこには葵さんが立っていた。
その足元には、先程落としたのであろうガラスのコップの欠片が散乱し、お盆とペットボトルが転がっている。レイナの話に夢中になるあまり、背後の気配に注意するのを怠っていた。
「そらの……なの……?」葵さんはそらのの方を見つめ、呆然と立ち尽くしている。
「……お姉ちゃん」
それは、予想外の姉妹の再会だった。




