12ー4 瑞梨葵
「どうした?」俺の疑問に、レイナは「ごめんなさい」と頭を深く下げた。
「私がJCOに居た時、もっと早くあの実験の存在に気付いていれば……そして、どうにかして止められていれば、ヒロキを巻き込んでしまったり、カケルが怪我をしたりすることもなかった……」
レイナは憂いを含んだ面持ちで唇を噛んだ。「私の落ち度が、この結果を生んでしまった……」
「それは、違うんじゃないか?」俺は言った。「お前は人を助けたくて、研究を進めてたんだろ?」
「でも、結果は人を助けるどころか、傷つけるようなことをしていた。マイクロチップのことも、自分でなんとかしようとして、結局そのことでヒロキを巻き込んでしまった。私の感知してないところでだって、きっと多くの人たちを既に巻き込んでしまったはず」
「それは、お前の研究を悪用した奴らのせいだろ」
「……“私たちの研究を悪用しようとする人間が現れる日がいつか必ず来る。だから、君がこの研究を正しい方向に導いて欲しい”」
レイナは立ち上がり、窓から外を眺めた。「もう長くないってわかってから、先生が口癖のように言ってた」
「確かに、自分の研究が誰かを助けることに繋がれば良いとは思ってた。でも、今思うと私は、先生が託してくれた期待にちゃんと応えられてるかどうか、そのことしか考えてなかった」
レイナはしゃがみ込み、目を伏せた。
「私は自分を過信してた。自分は周囲に居る誰よりも上手く出来てるって、本気で思ってた」
レイナの声は震え、目から涙がこぼれた。
「どうして、気付けなかったの……私は……」その身体は小刻みに震えている。
東耶教授が晩年に教え子へと遺した言葉。その言葉だけで、東耶教授がどれだけレイナを信頼していたかがわかる。だが、その期待が逆に、レイナが周囲の悪意に気付くのを遅らせたのかもしれない。レイナは今にも泣きそうな様子で膝を抱えている。女の子がひとりで抱えるには、その期待はあまりにも大きすぎる。
「……俺もさ、何であの時、気付くことが出来なかったんだろうって思うことがあって」俺はひとりでに話し始めていた。
「俺も、これは自分の責任なんだってずっと思ってて……ええと」頭の中に何かが浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。
「上手く、まとまらないんだけど……」俺の言葉に「うん」とレイナが静かに答えた。
レイナは俺の方を見ていなかったが、静かに俺の言葉を待っているように見えた。俺は言葉を慎重に選んで、再び口を開いた。
「でも、これは自分の責任なんだ、なんて考えてた俺は、凄い自惚れてたんだなって思ってさ……ある意味悔しいけど、本人がどんなにそうであることを望んでても、自分だけがその全ての責任の対象になれるなんてこと、不可能なんじゃないかって」
今、確かにレイナが関わっていたことで、事態は悪い方向に向かってしまっている。レイナの周りに、手を差し伸べてくれる人が居れば、また結果は違ったのかもしれない。だが、手を差し伸べるのは、今からでも遅くはない。この部屋に四人が揃う途中で、俺が翔やそらの、そしてレイナに助けられたように。
「だから、先生との約束のことも、今こうなってるのはレイナひとりのせいじゃない……と、俺は思う」
ひとりの人間だけが、何かの責任を全て背負うことなど出来ない。出来ると考えているのだとしたら、それは周囲を全く見ていない人間だ。それは今日までにあった様々な出来事で、俺自身が強く思い知らされたことでもあった。
「そうだよ。それに、レイナちゃんの研究のおかげで少なくともひとり、助かってるヤツを俺は知ってるよ」俺の言葉に繋ぐ形で、翔もフォローしてくれた。確かに、レイナのマイクロチップのおかげで、俺はまだ生きている。
「レイナちゃんはとても責任感が強いんだね」そらのは、少し悲しげな表情でレイナに微笑んだ。
「そんなこと……」
「ううん、レイナちゃん見てたらわかるよ」そらのがレイナの両手に自身の両手を重ねた。
「大切な人との約束のために、今までずっとひとりで頑張ってたんだよね」そらのは静かに、それでいて優しげにレイナに言った。「それは簡単に出来ることじゃないよ」
そらのの言葉を聞いて、レイナは少し驚いたような顔をしてから――
「……ありがとう、みんな」そう答えて、少しだけ表情が明るくなった。
簡単に割り切れないという気持ちがあるのは、俺にも心当たりがある。過去に何かをしておけば良かったと後悔するよりも、これからどう最善を尽くしていくか。その方が大事だということは、理屈としてはわかる。それでも、認めたくない現実が目の前にあるのは確かで――自分がどうにか出来なかったのだろうかと考えることを止められないのだ。
それでも、そらのの言葉でレイナの気持ちが少しは晴れたようだ。そのことに少し安心しながらも、同時に何度目かわからない驚きを感じていた。
レイナに優しい言葉を語りかけるそらのは、まさに人間のそれだ。
呼びかけると、いつも通り返ってくる答えと柔らかな微笑み。俺は何度も、本物のそらのが目の前に居るかのような錯覚を感じている。
しかしながら、同時に、この姿はデータの集合なのだということを、頭の片隅では常に意識させられている。
そらのが最後になぜ“もう会わない方が良い”と言ったのか。その理由を知ることができれば、そらのがこの世に居ないという現実を受け入れられるかもしれない。いや、受け入れられないかもしれない。より一層後悔し、自分自身を責めてしまう結果になるかもしれない。
それでも――俺は知らなければならない。
「さてと」翔が不意に、バッグからノートPCを取り出した。
「おい、お前はケガ人なんだから、まだ休んでろよ」
「いいの! 俺にしか出来ない技を使うんだからな」
「何だよそれ。教えてくれりゃ、俺にだって……」
「いーから!」翔は頑なに、ノートPCを譲ろうとしない。
翔も翔の中の思いと必死に闘っているのだろう。だから、それ以上は止めないことにした。それに――“俺にだって”とは言ったものの、翔がこれまで行ってきたことは、教えてもらってすぐに出来るようなことでは無いのはわかっていた。
「もう一度確かめたいことがあるんだけど……」レイナが恐る恐る翔に提案した。「カケル、私の名前が書かれていた報告書のファイルだけを、ソートして取り出すことは出来る?」
「おう、全部は無理だったけど、ゲットできたやつはとりあえずローカルに落としてあるぜ」翔は、MRDからARディスプレイを呼び出す。
最初そのARディスプレイの中には、正方形に近い形をしたアイコンがいくつも並んでいた。再び翔がMRDを操作すると表示形式が変更され、ファイルがリスト形式で並べ替えられた。それぞれのファイルのデータ形式や更新日付などの詳細がひとつずつ確認出来る。
見ると、ファイル名にはタイトルらしき文字列と、その後ろに日付やIDらしき数列がつけられている。
「これ全部、あの実験のデータなのか?」だとすると、途方も無いほどのデータ量だ。
「ほとんどそうだけど、メールとか、テキストデータで抜き出せるものもとりあえず全部落としといたから、ちょっと整理が必要だな」
「ありがとうカケル。じゃあ、ちょっと見てみる」
レイナはそう言うと、そのリストを縦にスクロールさせながら、ざっと内容を確認してから、ファイル名でソートしてみたり、いくつかのファイルを開いて内容を確認したりしていた。
レイナはいくつかのファイルを開いては小さく口を動かしながら、ちょっとショックを受けたような表情をしたり、眉をひそめたりしていた。レイナがファイルを閲覧する時に表示されるARディスプレイは、ディスプレイスリーブという、背後からは内容が見えないモードになっているため俺からは内容は見えないが、行われている実験の内容から考えて、あまり見て楽しい内容では無いのだろう。
やがて、レイナは息を吐いて少し伸びをした後、自分のMRDを操作して別のARディスプレイを表示させた。翔が出したリストの中から、レイナはひとつのファイルを指先で触れ続ける。すると、そのファイルだけがリストから少し浮き出た。レイナが指先を少しだけ動かすと、指先に吸着するかのようにARディスプレイから完全に離れた。
次に、レイナはそのまま指先を自らのARディスプレイの方へ素早くスライドさせる。レイナの指先に吸着するかのように浮き出ていたファイルから、同じファイルが細胞分裂のようにさっと現れ、テーブル上を滑るカードのような動きでレイナのARディスプレイの中に格納された。そして指先を離すと、元のファイルはまたリストに収まった。
それから、レイナはその手順でいくつかファイルをコピーしていたが、途中で手を止め、横で静かに眺めていた翔に声を掛けた。翔はそれに頷き、MRDから仮想キーボードを表示させ、それを軽快に叩きだした。すると、リスト中のデータの数がぐっと絞られた。
「ほわぁ、真剣な表情のレイナちゃんって、なんか格好いいな~」レイナの一連の動作を見て、横に居るそらのがひどく感心している。
確かに、実際に研究をしている人間だけあって、その指さばきは非常に手馴れているように見えた。
一方俺は、蓄積していた疲労のせいか、目の前の淡々とした作業光景を見ているうちに、意識が途切れ途切れになりつつあった。
(レイナの作業はまだ暫く掛かりそうだ。少し目を瞑ろうかな)
心地よいまどろみに包まれながら、俺は目を閉じた。




