10ー5 Paz
氷の柱で頭を殴りつけられたような感覚。なぜだ? なぜこの報告書に、この名前が――。
「えっ……? 折笠レイナって……」翔の声で我に返り、慌ててレイナを見ると、レイナは俯いたまま沈黙している。
「レイナ、これは……一体……?」
どうしてここに、お前の名前が記されているんだ? 頭の中を濁流のように疑問が押し寄せる。レイナは最初からJCO側で、逃がして協力するふりをして、本当は俺たちを監視していた? あの夜に助けてくれた時も、考えてみるとタイミングが良すぎたように思える。
だけど、時折見せる悲しそうな顔は何故だ? だったら何で俺を助けた? いや、待て。あれも実験なのではないか? ほぼ助からないレベルの致命傷を受けた人間がマイクロチップを利用してどこまで再生するかという実験――それには誰かに致命傷の傷を負わせる必要がある。
それに一番適していたのが俺だった? 俺があの男から致命傷を受けるのを見計らってマイクロチップを――だから、レイナはあの時わざとひとりで路地裏まで走った? 実験が上手くいったからあの男は撤退し、今はまた観察のために泳がされているのか?
そう考えれば、今まで起こったことにも筋が通ってしまう。
頭の中で様々な憶測が激流のように流れていき、当時の状況の記憶を巻き込んで腫瘍のように肥大していく。レイナは沈黙を守ったまま微動だにしない。彼女は今何を考えている? 身元がバレてしまって、これからどう逃げようか考えているのかもしれない。それともここで全員殺そうと内心ほくそ笑んでいるのか? 一緒にそらのの記憶の手掛かりを探していたのは、全て演技だったのか?
「オマエ……ヤツらの仲間だったのかよ?」先に口が動いたのは、朱音だった。
今までのとは比べ物にならないほどに低く、怒りを含んだ声でレイナを問う。それでも答えないレイナに対して、朱音は小さく舌打ちすると、自ら近づいていきレイナの胸ぐらをつかんだ。
「妙にチップやら何やらに詳しいと思ったら、そういうことか。アタシたちを騙して、仲間のフリをしてたんだな!」
レイナは朱音から視線を外し、ただ耐えるように黙っている。
「アタシはそういう卑怯なヤツが一番嫌いなんだ!」
「そうじゃない。私は……」震えた声でレイナが答えた。「私は、こんな実験になんて関わってない!」
「黙れ!」
「本当に関わってないの!」レイナは堰を切ったように、一気に言葉を放った。
「こんな風に名前が使われていたのを知ったのも、つい最近のことで……」
「そんなのどっちでもいいんだよ!」朱音がレイナの言葉をさえぎった。
「要はオマエの作った技術が、たくさんの人間を不幸にしていた……そのことに変わりはないんだからな」
「くそっ……返せ……」朱音の手に力がこもっていく。「これまでオマエたちのせいで居なくなった人たちをみんな……返せよ!」
「アカネ……手を……放して……」レイナが苦しそうに懇願した。朱音の手に込める力の強さで、レイナの首が締まっているのだ。
朱音は悲しみと憎しみの入り混じった目をレイナに向けながら、胸ぐらを掴む朱音の手に力が込められていくのがわかった。ギリギリとレイナの首が絞められていく。
「レイナちゃんを放してあげて!」そらのが叫んだ。
「朱音! 落ち着けよ! ほら、その手を放せ」そらのの声を皮切りに、上手く動かなかった俺の身体もようやく動いた。俺はやっとの思いでレイナから朱音を引き剥がした。ふたりとも勢い余って床に転がる形となった。
「レイナ……朱音……」俺はふたりを交互に見た。レイナは、朱音の怒りに燃える瞳を受け止めるようにゆっくりと瞬きをした。
「関わってない、って言ったけど……」レイナは首をさすりながら言った。
「確かに、私が大学で携わっていた研究は、JCOの実験と完全に無関係だとは言えない。結果的に、私は皆を騙していたことになる……」
「今、そんなことを言ってる場合じゃないだろ? レイナは昨日、俺を助けてくれたじゃないか」
レイナは俺の言葉に何も答えなかった。
――やはり、俺を助けたのは、ただ単に監視するためだったのか?
「そもそも」朱音は俺を冷ややかに眺めながら、レイナに尋ねた。「大学がどうとか言ってるけど、信じられねーな。ずっとJCOの手先だったんじゃねーのか?」
「おい、朱音……さすがにそれは言い過ぎじゃ」
「ここに名前があるのがその証拠だろ?」朱音は、ARディスプレイに表示されたレイナの名を乱暴に指でさし示した。
「証明してみせろよ! オマエがJCOの手先でないという証拠を!」
朱音の言葉に対して、誰も反論出来なかった。実際のところ、現状で明らかになっている情報からでは、レイナもJCOの暗部を担う存在である可能性が高いことは誰からみても明らかだ。レイナもしばらく俯いたまま押し黙っていたが、やがて顔を上げた。
「……これから、ある場所に向かって欲しい」
「ある場所?」とエマ。
「東京総合研究大学院大学。そこの記念館に行けば、私がどんな研究室で何をしていたのかが、アカネにもわかってもらえる」
朱音が剣呑な眼差しをレイナに向けた。「その言葉、本当だろうな?」
「ええ。誓うわ」神妙なトーンでレイナは答えた。
「……ふん」朱音はふて腐れた表情のまま、エマに目で合図を送った。
「わかりました」エマは速やかに車を発進させた。




