10ー4 Paz
「ヤバそうなもの?」
「ああ、とにかくお前らにも見て欲しい」
俺たちがアジトの中へ再び集まると、翔は開いていたノートPCを俺たちの方に向けた。
「翔くん、また何かやってたの?」小さくなったそらのが翔のノートPCを覗き込んでいる。
「ああ、ちょっとここで電源借りて、コネクトセンターのイントラネットを覗いてたんだけど、気になるものを見つけてさ……」
翔は俺たちにだけ聞こえるようにそう言った。そうか、翔はさっきの俺と竜泉寺さんとのやりとりを知らないのだ。
「翔、その……不正アクセスの件だけどな。実は竜泉寺さんたちにバレた」
「えっ、マジで?」
「それで、俺たちがやっていることを正直に話したんだ。そしたら、今回の件が解決するまでは、見逃してくれるってさ」
「へえ~! じゃ、これからは堂々とコネクトセンターのシステムに侵入して良いってことだな!」
「いや、そんな胸を張ってするようなことでは無いと思うけど……」
俺たちの話を聞きつけて、警察組の三人が早速近づいてきた。
「コネクトセンターのネットワークにたった数日で侵入しちゃうなんて……」米倉さんは素直に驚いているようだ。
「こういうの、クラッキングって言うんでしょ? 雨宮くんはとんでもないクラック野郎だねえ」春菜は興味津々といった様子で言った。というか、なんだその「クラック野郎」というのは。
「こんな状況でなければ、現行犯逮捕してるところだ」竜泉寺さんはさすがに呆れた様子だ。
「もう、ほら、お叱りは後で受けるから! とにかく、コレを見てくれよ」警察側から口々に発せられる言葉をしりぞけ、翔はノートPCを差し出した。
モニターには、ある書類データが映し出されている。タイトルは「Paz62発現プログラムによる人体適応について」とあり、さらにその下には“No.001”と記されている。
「……っ」レイナが画面を見て一瞬、身体をこわばらせていた。
「何だ、これは……?」俺は翔に続きを促した。
「最初はこれだ。読むぞ……」
「本実験は、R―Ⅱ型ラットω4を用いた発現プログラムで得られた成果を元に、同処置を被検体α1に適用し、Paz62発現後の反応を観察、能力発現性を検証することを目的とする……」
発現……ついさっきも、どこかで同じ単語を聞いた気がする。
「Paz62って何のことだ?」俺は翔に聞いた。
「知るかよ。だが何らかの実験の記録ファイルみたいなんだ。この報告書にはまだ続きがある」
翔は画面をスライドさせ、報告書の最後のページを表示した。
「気になるのはここだ」翔はノートPCの一文を指で叩いた。
「被検体α1死亡により実験中止。発現性なし」
「この、被験体って……」背筋がゾッとするのを俺は感じていた。
「恐らく、人間のことだろうな……」予想していた通りの答えを、翔は言った。
「つまり、これは……」俺はそこで息を呑んだ。言葉にするのも躊躇われた。
――これは、人体実験に関する記録ファイル。
その言葉に誰しもが辿り着いたのだろう、周囲は静まり返っていた。全員が翔の見つけたレポートを食い入るように眺めている。夏だというのに、やけに冷たい空気が漂っているのを感じた。
「こんなのが山ほどある」翔はノートPCに写っていたデータを、MRDによるARディスプレイに投影させた。今度は違うレポートが表示されている。
タイトルの下には、“No.037”と記されている。これは実験回数を示しているのだろうか。
翔はARディスプレイ上に映されているレポートを手の動きでスライドさせ、文末を表示した。
「被検体β―1死亡により実験中止。発現性なし」
俺は背筋に冷たいものを感じ始めていた。強く握っていた手を開くと、じっとりと汗ばんでいた。
ふと、レイナの方を見ると、レイナは深刻な表情で画面を覗き込んでいた。朱音、エマ、春菜、そして竜泉寺さんや米倉さん、それぞれ険しい表情をしている。そして、そらのも明らかに怯えた表情をしている。
「こんなのもあるぜ」翔の言葉に合わせて、再び違うレポートデータが表示された。
今度は“No.078”という記述があった。先程のものより、さらに後に行われた実験の報告書ということだろう。
「こいつの実験結果を見てみろ」翔に促されるままに、俺はレポート内容を声に出して読んだ。
「……被検体ε4生存。能力発現を確認。本実験をもって、ヒトにおけるPaz62に能力発現性が存在することを確認」
いったん言葉を区切って、次の段落を読み進めていく。
「この結果を持ってフェーズ1を終了し、速やかにフェーズ2へと移行すべきであるとここに進言する……」
翔はまた、違うレポートデータを表示させた。そのまま翔がレポートを読み進めていく。
「本実験は、Paz62を発現させる処置を行った被検体のうち、能力発現した者を指定ポイントにて解放」
「解放……って、どういうことだ?」そう翔に尋ねたが、なんとなく察しはついていた。
「文字通り、どこかで野放しにして様子を見るってことじゃねーか? 続きを読むぞ……」
翔は一度咳払いをしてから、再び読み始めた。
「その後、精神抑制度、破壊衝動抑制度、能力発現制御の可否を観察することを目的とする。以後、これら被検体をH―I型被験体と定義する」
翔はそこでまた一区切りを入れ、1度深呼吸をしてから、読み進めていった。
「実験結果――自我の保持:不可。破壊衝動の抑制:不可。能力発現の制御:不可。適性なし」
そこで翔はPC画面から顔を上げ、俺と目を合わせた。なんと言っていいか分からず黙っていると、翔は肩をすくめてから、またPC画面へと視線を向けた。
「……上記結果より、H―I型被験体ε4を処分」
「おい、ちょっと待ってくれ……この被験体って生身の人間なんだよな? それを“処分”っていうのは、一体……」
俺の質問に応える者は居なかった。
翔はPC画面に視線を落としたまま、押し黙っている。そらのは強い恐怖感を感じているようで、しきりに周りの人たちを見回している。レイナはと言うと、唇を強く噛んで、じっと何かに耐えるように下を向いていた。春菜も、先ほどまでの明るい調子は消え去り、息を呑んで場の成り行きを見守っている様子だ。
それぞれが違う方法で感情のやり場を探しているが、“処分”という言葉から想像したものはきっと同じだろう。
「フン、そういうことだったのか」朱音が憎らしげに吐き捨てた。「全部、コネクトセンターを作ったヤツらの仕業だったんだ」
朱音の言葉は徐々に熱を帯びていく。
「これだけ人体実験を重ねて、実験に使ったヤツらを野放しにして、そいつらが能力とやらを抑えきれずに暴走して、人殺しまで始めてるのに知らん顔をしてた、ってことだ」
「昨日の夜に暴れていた人物も、おそらくこの実験の一環なのでしょう」とエマ。
「にわかには信じがたいが……」竜泉寺さんが右手であごをさすりながら言った。「あの男の右腕の件も、この外道な実験の産物という訳か……」
「ひどいよ。しかも “処分”だなんて」春菜の声には悲しみが含まれていた。「こんな実験、もし本当にやってるとしたら、犯罪なんていうレベルじゃないよ」
予想をはるかに超えた光景を目の当たりにし、俺たちは押し黙った。
「昨日の駅の爆発事件、上からは容疑者死亡でカタが付いたと言われていたが、やはりきな臭くなってきたな」
竜泉寺さんがソファから立ち上がった。「一度警視庁に戻って、資料やらなんやら、洗いざらい捜査のやり直しが必要そうだな」
「米倉、神咲、行くぞ」竜泉寺さんの号令で、春菜は「はい!」と立ち上がった。
「あ、でも……」米倉さんはおずおずと右手を挙げた。「先程の竜泉寺警部補の話によると、出来ればこっちにも警察の人間がいた方が安全だと思うんですけど」
「ふむ、それもそうだな」
「僕が残りましょうか?」と米倉。
竜泉寺さんは目を閉じ、天井を見上げ、しばらく考えてから「じゃ、神咲がここに残れ」と言った。
米倉さんと春菜は同時に「えっ?」と間の抜けた声をあげた。
「米倉のほうが現場に近いところにいたから、お前が捜査担当だ。神咲にはここを任せる」
竜泉寺さんの提案に、米倉さんは一瞬意外そうな顔をしたが、すぐに「了解です!」と敬礼で応えた。
「うーん、ワタシも現場に行きたいような気がしますけど、こっちも大事ですもんね」
春菜は渋々といった感じで承諾した。
「ああ。後を頼んだぞ」
「行ってらっしゃい! こまめに連絡しますね!」同僚ふたりに春菜は大きく手を振った。竜泉寺さんと米倉さんは春菜に軽く手を挙げて反応し、慌しく車を飛び出していった。
「JCOがこんなことをしている組織だったなんてな……」俺は独り言のように呟いた。残された俺たちの間には、重苦しい空気が漂う。
「こんなヤツら、アタシがぶっ潰してやるよ」と朱音。「根こそぎ破壊してしまうことが必要ですね」とエマが首肯する。
重苦しい空気を紛らわせようと、俺はさらに報告書を読み進めていく。
「ん……?」ふと、報告書の一部に記されていたある文字列に目が留まった。
本当になんとなく、自然とそれが目に入ったのだ。その文字列が何を意味するのか理解したとき、頭の奥側からキリキリとした痛みが走った。
――Paz分析研究員、折笠レイナ。




