10ー2 Paz
それから、話題は竜泉寺さんの趣味についてになっていた。一歩下がったところでその会話の行く末を見守っていると、「なあ、楠原」と朱音が静かなトーンで俺に話しかけてきた。
「なんかさ……あんなに楽しそうなエマ、久しぶりに見たような気がする」
「え?」
レイナや春菜と何やら話しているエマは、俺から見るといつもと同じエマに見えた。無表情で、淡々としている。
「楽しそうか? 別に、笑ったりとかしてないけど」
「いや、アタシにはわかるんだ」朱音は何かを懐かしむような眼差しをエマに向けた。
「これも楠原のおかげだと思うから、一応礼を言っとく」
「そうか。なら良かった」朱音が何故このタイミングで礼を言ってきたのか、俺にはいまいちピンと来なかったが、俺はひとまず朱音の気持ちを受け止めた。
* * *
賑やかな食事が済み、片付けや出発の準備など、各自思い思いの時を過ごしていた。部屋に備え付けられたARディスプレイモニターには、笑顔の女性キャスターが今日の東京周辺の天気予報をしている映像が映し出されている。
「げっ、昼過ぎに夕立の予報だってよ」朱音がだるそうな口調でそう言った。
「雨が降る前にここを出発しますか?」とエマ。
「そうだな」朱音は手短にそう答えてから、翔の方を振り向いた。「おい雨宮! そこどけよ」
翔はなぜか運転席へと繋がる扉の前であぐらをかき、一心不乱にノートPCをいじっている。
「こいつ、人の話、全っ然聞いてねえ……」
「そのモードに入ると、周囲の雑音を勝手にシャットアウトするタイプなんだよ、そいつは」
「まあまあ、そんなに急いで出なくてもいいんじゃないかな」米倉さんが俺たちの方を見回しながら言った。「もう少しここで、作戦を立ててから行こうよ」
「確かに、あてもなく動いたってしょうがないかもしれないよね」春菜もお気楽な口調で米倉さんに賛同する。
春菜と米倉さんの言葉を受けて、一同はめいめいその場に座り直した。
「予報の途中ですが、ここで緊急ニュース速報が入りました」
ARディスプレイに映る女性キャスターの声だ。先ほどの明るいトーンから一変、暗いトーンとなり、何かよくないことの前触れであることを暗に告げている。
その場に居た全員が、無言でARディスプレイを見た。
「建造物侵入罪、情報窃盗罪、および記憶保全法違反の容疑で、男女二名が指名手配されました。指名手配されたのは、東京都在住の楠原裕樹容疑者と、折笠レイナ容疑者です」
「は……? 今、俺の名前が……なんで……?」俺は思わず立ち上がった。
「楠原、折笠両容疑者は、一昨日の夜、東京・符中市のコネクトセンターに侵入、および、同施設内に保管されていた記憶に関する個人情報を持ち出した疑いが持たれています。なお同容疑者らは、記憶保全法が制定されて以来、初めての違反容疑者となり、今後の情報が入り次第追って――」
ARディスプレイには、ふたりの人物が建物内の部屋に侵入する様子を映した防犯カメラの映像が流れている。何台ものPC端末が置かれた広い部屋だ。見ようによっては、機密データを管理している場所のようにも見えなくもない。ふたりはそのうちの一台のPC端末へと近寄り、女の方がキーボードを操作し始めた。男の方は周囲を警戒しているのだろうか、ひたすらキョロキョロと部屋の外を見回している。
「何だよこれ……あの部屋はどこだよ? 俺たちは行ってないぞ、あんなとこ……」
映像に映っているのは、昨日行った、あの懐かしさを感じる対話室とは似ても似つかない部屋だ。それ以前に、翔が居ない時点でそもそもおかしい。コネクトセンターの入口から談話室まで、俺と翔は一緒に居たし、その後で俺とレイナが出会ったのは全くの偶然によるものだ。この映像では、あたかも俺とレイナが共犯者であるかのように映し出されている。
「そんな……」レイナも信じられないといった様子で、画面を凝視している。「ヒロキ、今すぐGPS機能を切って」そう言うと、レイナは自らのMRDを素早く操作し始めた。俺も自分のMRDを操作し、GPS機能をオフにする。そして、MRDを操作し終えたその直後――不意に耳元で、乾いた金属音がした。振り返ると、俺の頭に銃を向けた竜泉寺さんの姿があった。
「竜泉寺さん……」ドクンと心臓の音がやけに大きく聞こえた。
「どういうことだ?」厳しい表情をした竜泉寺さんが、いままで聞いたこともないほど低い声で言った。
「いや……俺、こんな部屋には入った覚えがないです。きっとレイナだって……」
レイナの方を見ると、無言で頷いた。
「この映像はねつ造です!」俺は竜泉寺さんに強く訴えた。
「本当にそうなのか? 君たちは、記憶データへの不正アクセスには関わっていないと言ったはずだが、それも怪しいということか……」
「それは……!」俺は言葉に詰まった。目の前に流れている映像は確かにねつ造されたものだが、不正アクセスについては否定できない。
「……」レイナも言葉を失っている。
「俺は、君たちを信じたいと思ってるんだ」竜泉寺さんの表情が苦々しいものに変わっていく。「だから、何か言ってくれ……」
俺はそれ以上反論しうる言葉を思いつけず、竜泉寺さんに向けられた銃口を見つめていることしか出来なかった。銃口の先に見える竜泉寺さんの顔は、怒りとも困惑とも判断つかない、複雑な表情だった。目の前に居る大学生を信じるかどうか、迷っているのかもしれない。
「待ってください、竜泉寺警部補」春菜が竜泉寺さんと俺との間に割って入った。
「JCOに何か裏があるなら、楠原くんやレイナさんを指名手配したことにだって裏があるのかもしれません」
春菜の表情はこちらからは見えない。だが、肩が小刻みに震えているのは分かった。
「容疑はあくまで容疑です。確証もなく、抵抗もしていない市民に拳銃を向けるのはいかがなものかと思います。それに――私たちは、楠原くんもレイナさんも悪い人じゃないって知ってます」
春菜は竜泉寺さんの方へ一歩踏み込んだ。「違いますか? 竜泉寺警部補 」
「……」竜泉寺さんは押し黙っている。どうすべきか考えているのだろう。
「もうしばらく一緒に行動していれば、本当に容疑をかけるべきなのかどうかが見えてくるはずです。それまで、もう少し待って頂けないでしょうか?」
さっきまでとは別人のように、毅然とした態度で、春菜は俺たちをかばってくれた。
「……くそっ!」竜泉寺さんは拳銃を床に叩き落とそうとして――それを静かにホルスターに収めると、黙ったまま車の外へと飛び出した。俺も車を出て、竜泉寺さんを追いかけた。
「竜泉寺さん! 待ってください!」
竜泉寺さんの背中に声をかけると、竜泉寺さんはこちらを振り返らずに立ち止まった。竜泉寺さんのすぐ後ろまで駆け寄って、俺も立ち止まる。
竜泉寺さんはしばらく無言だったが、やがてゆっくりとこちらを振り返った。
「俺は嘘をつく人間が、一番許せないんだ……」
「……すみません」竜泉寺さんの横顔には一切を拒絶する空気が漂っていて、俺は余計な言い訳をすることも出来ず、ただ謝った。
「――以前、福岡のコネクトセンター支部近くで不審な事件が起きた、という話をしただろう」そう話しながら、竜泉寺さんは煙草を取り出し、火をつけた。今の時代には珍しい紙のタバコだ。
「はい、覚えています」俺は静かに頷いた。
「その事件の後、とある少女が行方不明になってな……当時まだ十歳で、両親も必死に探していた。しかし県警は、その不審な事件と少女の失踪との結びつきが乏しいとして、家出人扱いにするだけで大がかりな捜査をしなかったんだ」
「それは……」俺は息をのんだ。「例えその不審な事件とやらに関係なくても、誘拐の可能性だってあるのに……」
「明らかにおかしいと思った。その事件に関しても不自然な形で幕が引かれ、ますます俺の疑いは強くなっていった」
竜泉寺さんは吸っていたタバコを地面に落とし、つま先で火を消した。
「そんな中で少女の母親に、絶対に娘を見つけ出して欲しいと頼まれたんだ。握り潰されてしまうかと思うほどに、強く手を握られたよ……地元の警察は何も動いてくれない、頼れるのはあなただけだ、って」
語る言葉の真剣な響きから、竜泉寺さんという刑事の真摯さが伝わってくる。威厳は持ちつつも警察だからと偉ぶることをせず、真剣に話を聞いてくれ、動いてくれる。俺も、その母親が竜泉寺さんを頼る気持ちがわかるような気がした。
「本来、東京の管轄の刑事が福岡で捜査をするなんて、上層部からの命令じゃないかぎりルール違反だ。だが、俺は仕事の合間に少女の地元に渡り、聞き込みを続け、何とか足取りをつかもうとした」
竜泉寺さんの両手が固く握られている。
「そして、少女の存在が最後に確認された場所まで突き止めた。いよいよこれからだという時だった」
握りしめられている竜泉寺さんの両手に、更に力が込められていく。
「いきなり上司から呼び出され、辞令を叩きつけられたんだ。俺は第一線の捜査から外された」
「そんな理不尽なことが……」俺の言葉に、竜泉寺さんは即座に「あるんだよ」と被せた。
「警察という大組織の中で、たかが刑事ひとりが出来ることなんて限られている。もちろん俺だって、黙って引き下がった訳じゃない。ちゃんとした根拠を元に、捜査を継続する――むしろ対策本部を作って捜査を拡大する必要があると進言した。だが、それは上層部への反逆と取られてしまった」
「それは、他の人が怠惰なだけじゃないですか」
「怠惰なのか、あえて触れないこととして決められていたのか……どっちだろうな。今となってはわからない。いずれにせよ、俺は強制的に東京に戻され、デスクワークをする羽目になった」
竜泉寺さんは大きくため息を吐いた。
「最後に少女の母親に挨拶に行った時……」当時の感情を思い出しているのか、その表情は緊張に満ちている。「まともにその顔を見られなかったよ。申し訳なくてね」
竜泉寺さんは右手の拳でもう一方の自分の掌を強く殴った。
「そして言われたんだ。あなたは嘘つきだ、と」
俺はこの時、理解した。嘘をつく人間が一番許せない、という意味。竜泉寺さんは、今でも許せないのだ。何よりも、自分自身を。
「だから、竜泉寺さんは今でも捜査を……?」
「ああ。しばらくは腐ってたが、神咲が入ってきてから、このままじゃダメだと思ってな。自分に出来ることをやろうと、時間を見つけては独自に動いている」
竜泉寺さんは、右手の拳を胸の前で握りしめる。
「今でも真実を知りたい。なぜあの少女は消えてしまったのか。どこへ行ってしまったのか。そして、コネクトセンターがもし、この一連の事件に絡んでいるのなら、全て明らかにしてやる」
竜泉寺さんは自嘲気味に小さく笑った。「自分語りが過ぎたな」
竜泉寺さんの発した言葉の重みが、ずっしりと俺の肩にのしかかってきた。小手先の言葉で、この人を騙すことは出来ない――。
「……竜泉寺さん、会って欲しい人がいます」




