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【本編完結済】Memory's Dogma - 記憶をデータ化できる2030年の日本で巻き起こる脳科学×異能サスペンス  作者: 高橋ワタル
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8ー3 凶刃

 爆発、刃物、通り魔、犯人。


 様々な単語とそのイメージが頭の中をよぎる。そして、男から放たれている異様な空気と大きな刃物が、それらの単語と結びついていく。米倉さんが先程言っていた――まだ犯人も捕まってない、という言葉。その犯人と目される男が、今こちらに向かって走ってきている人物なのか。


 ふと、物陰から人影が、俺たちと男の間に現れた。若い女性だ。ふらふらと周囲を見回して、誰かを探しているようにも見える。それはあまりにも悪いタイミングで、この先に起こる“何か”を予期せずにはいられなかった。俺は、みぞおちの上から何者かに強く圧迫されているような息苦しさを感じていた。


 女性は俺たちの視線に気付き、一瞬こちらをぼんやりと見た。それが結果的に、背後の存在に気付くのを遅らせたのかもしれない。朱音が何かを叫び、女性がようやく背後の気配に気付いて振り返ろうとした時には、すでに男は女性のすぐ近くで“それ”を振り上げていた。


 先程まで大きな刃物だと思っていた“それ”は、男の腕そのものだった。肩から腕の途中にかけてまでは人間の肉体だが、その先からは硬質な刃のような形状を成している。人間の腕の中に大きな刃物が溶けて一つになった、そうとしか考えられないような様相だ。


 その大きな腕の刃を、男は振り下ろした。その間、誰も声を発することができなかった。当事者である女性でさえも、一言も発することは無かった――少なくとも俺の耳には届かなかった。


 大きな刃が女性の身体を左肩から斜めに縦断して、そのままアスファルトの道路に叩きつけられるまで線を引いた。重たい衝撃音の後、“先程まで女性だったもの”がアスファルトにぶつかる音が、二回ほど聞こえた。身体の上部と下部が切断されたために、それぞれ地面にぶつかるタイミングが異なったのだと気付くのに、数秒かかった。


 女性は横たわったまま、動かなくなった。


 誰から見ても明確な死が、アスファルトに転がっていた。


 この距離からでは、ただ倒れているようにも見えるが、腹の辺りを中心にして、尋常でない量の赤黒い液体が流れ出している。男はアスファルトにめり込んだ刃を持ち上げると、たった今自分が切り捨てたものを見ることもせず、再びこちらに向かって、今度はゆっくりと歩いてきた。


 何なんだ、これは。


 どれも異常な光景で、あまりにも現実感が無い。目に入ってくる情報が、脳で処理しきれない。頭の後ろ側からじんわりと、得体の知れない感覚が広がっていくのを感じる。


「警察だ! 止まれ! 今すぐに!」


 竜泉寺さんが叫ぶ声が聞こえて、そこで初めて自分が長く呼吸をしていなかったことに気付いた。


「グ、フゥ……!」


 慌てて息を吸い込むと、狭まっていた視界が急速に広がっていくのを感じる。まるで石にでもなったかのように動かなかった身体が動いた。


 再び男の方を見ると、男は竜泉寺さんの方を見て少し首をかしげながら、薄笑いを浮かべていた。他の皆を見渡すと、先程の俺と同じように、目の前の出来事を処理しきれず圧倒されている。


 そして、男と俺たちとの距離がいよいよ五メートル程度にまで縮まったかというところで、男は立ち止まった。しかし武器を放棄する気配は無く、それどころか両手を前に構える姿勢になった。


「神咲! 構えろ!」竜泉寺さんの怒号で、春菜は慌てて腰に手をやった。震えた手で握られた銃が、男の方へと向けられる。


 男は、獲物を品定めするように皆を見回していたが、やがて一点に目を留めた。男の瞳に映っていたのは――レイナだ。この中で武器も持たず身体も小さい、一番弱そうな生き物を本能的に察したのだろう。


「下がっていてください」米倉さんはそう言って、レイナの肩をつかんだ。


 レイナは喉を少し震わせながら小さく息を吐いて、米倉の後ろへと下がった。


「クク……」男は何故か楽しそうに喉を鳴らした。


 男のまとっている空気は、言葉では形容しがたい。だが、あの男の薄笑いを見ているだけで、全身の毛が逆立つような感覚がした。論理的に考えるより先に、本能が“決して近づいてはならない”と警告してくるような、得体の知れないオーラのようなものに満ちている。だがいま、男は少なくともふたりの警察官に銃を向けられている。この状況では、さすがにこの男も簡単に動くことは出来ないはず。そう思い始めた時だ。


「フンッ!」背後から追いついた朱音が、構えていた槍を突然男めがけて振り下ろした。


 正体不明の男相手とはいえ、まったく躊躇の無い攻撃だった。だが、竜泉寺さんでさえも予想していなかったであろうその一撃が繰り出されるよりも速く、男は鋭く息を吐いて地面を蹴っていた。縦に振り下ろされた槍の軌道を横に移動して避け、振り向きざまに横から腕の刃を朱音の方へと叩きこもうとする。


「セイッ!」男と朱音の間にエマが割り込んだ。右手には盾のようなものを構えている。


 朱音の代わりに、手にした盾で男の刃を受け、その衝撃でエマは力を受けた方向へ転がっていく。


「はぁ!」エマと入れ替わるようにして、朱音が槍の切っ先を男の胸へと目掛けて突き出した。


 槍の切っ先が接するかしないかギリギリのところで、男は身体をひねりそれを回避した。そのまま身体を回転させて、朱音に向かって回し蹴りを放つ。


「ぐっ……!」朱音は男の蹴りを槍の柄の部分で受けたが、さすがに踏ん張りきれずに後ろに転がった。


「朱音……!」


 思わず朱音の名を叫ぶと、朱音は立ち上がってからこちらを一瞥して、腹立たしげな表情をした。


「お前ら、何ボーッとしてんだよ!」


 エマが素早く朱音に駆け寄り、右手に持っている盾のようなもので庇いながら、男との間に立った。


「朱音、ケガは」


 朱音はエマの言葉に対し、俺たちの方を睨みつけたまま手の平で制した。エマは頷いて、男の方を向く。


「だから、早く逃げろって言ってんだろ!」男から視線は外さないままで、朱音は俺たちに叫んだ。


「何を言ってるんだ!」竜泉寺さんが困惑しながらもそれに応じた。そこへ春菜も加勢する。「キ……キミたちこそ、その男から離れて! 場合によっては、キミたちも逮捕しなければならなくなるよ!」


「ああもう! だったらさっさとその銃でアイツを撃てよ!」


「話にならん! そこの男と、君たちふたり、全員武器を放棄して両手を上げろ! これは最後の警告だ!」


 朱音、エマのふたりと春菜、竜泉寺さんのふたりの会話が平行線をたどっている。


 男はそのやり取りを聞いているのか聞いていないのか、間に立って微動だにしない。誰もが、男を中心とする人間たちの動きに注目していた。その時だ。


「くっ!」突然、レイナが踵を返し、男たちとは反対の方向へと走りだした。


「おい、レイナ!?」俺は反射的に、レイナの走っていく方を見た。


「おい! 止まれ!」同時に、背後で竜泉寺さんが叫ぶ声と、一発の銃声音が聞こえた。


 振り返ってまず気付いたのは、先程まで居たはずの男の姿が無くなっていることだ。その次に、春菜が地面にへたり込んでいることに気付いた。手から離された銃がアスファルトに転がっている。


「なに、いまの……」何が起こったのか自分でも分からない様子で、春菜は呆然とその場にへたり込んだ。


「どういうことだよ、オイ!」朱音が苛立ちを露わにして、竜泉寺の方を睨みつけている。エマは無言のまま、周囲を警戒しているようだ。


「神咲、しっかりしろ。米倉も来い」竜泉寺さんが未だ呆然としていたふたりに発破をかけた。「さっきの男を探すんだ。まだ遠くには行ってないはずだ」


 俺が一瞬レイナの方を見ている間に、一体何が起こったんだ? だが、それよりも、レイナがひとりで走って行ってしまったことも気になる。もう一度、レイナの方を見ると、丁度通りの角を曲がるのが見えた。


 今追いかけないと、見失ってしまう――!


「翔、俺はレイナを追いかける」俺は呆然としている翔に声をかけた。「とりあえずお前はここから先に逃げろ!」


「あ、えっ?」状況を把握しきれていない翔は、言葉にならない言葉を発した。


 俺は翔がまともな返事をするのを待たず、レイナを追いかけた。

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