↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【本編完結済】Memory's Dogma - 記憶をデータ化できる2030年の日本で巻き起こる脳科学×異能サスペンス  作者: 高橋ワタル
CODE: 02 〈九重朱音 編〉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
109/110

9ー5 朱き夜

「うおおぉ――っ!」岩垣が土を蹴り上げたのと同時に、俺の体は動いていた。


 恐怖はなかった。行動はほとんど無意識だった。体に力を込めるために、俺は吠えた。大きく、右足を踏み込んで勢いをつける。


 岩垣が、先ほどのエージェントと同じことをやるのなら。俺も、先ほどと同じことをやるだけだ!


 右腕を思い切り振りかぶり、手に持った盾を、岩垣へ向けてブン投げる――!


「うおおっ!?」


 予想だにもしていなかった方向からの攻撃だったのだろう。岩垣は明らかに動揺した声を出した。それでも、右腕を顔の前にかざして、投擲された盾から身を守った。まったく、つくづく反射神経が人間離れしている。盾は岩垣に叩き落されて、朱音の目の前に落ちた。


「な……」ようやく、目の痛みが治まったのか、朱音が、信じられないような顔で、俺を見ていた。


「ヒロキ……一体、何、やって……」呆然とした朱音の声。「どうして……そんなことしたら、ヒロキ、お前……」


「同感だ」と岩垣。「俺ぁさっき、盾を選ぶなんて大したもんだと言ったが――訂正するしかないな」


 岩垣が、大きく後ろへ跳躍した。


「……っ!」


 それに気づいて、朱音が追いすがろうとしたが、間に合わなかった。まだ、目つぶしの余波で足腰に力が入りきらなかったのだろう。


「お前――さては、バカだな?」


 朱音と四メートルほど離れたのを確認してから、岩垣の銃口は、朱音から外され――そして、俺へと向けられた。盾を失って、無防備になった俺の体に。


「ああ、そうだ」俺はそこで笑って見せた。「バカに決まってんだろ」


「ヒロキ――っ!」


 朱音の叫び声と、銃声が重なった。


 銃撃を受けた印象は、先ほど盾で防いだときの印象、そのままだった。まさしく、高速で砲弾がぶつかってきたような衝撃が、肩と脇腹にぶつかった。


「……っ!」次いで感じたのは、その熱だ。


 体に穴を空けられて溶岩を流し込まれたような、内側から身を焦がす灼熱だった。銃弾は、火薬を爆発させて飛ばすもの。焼けた金属が、体を通り抜けていったのだから、熱いのは当然だろう。そんなことを、俺は、他人事のように考えていた。痛みが襲ってきたのは、一番最後だった。


「う、あぐ、は、あがアァ……っ!」


 叫び声が、無意識のうちに口から吐き出された。激痛。まるで、指で直接、内臓をこねくり回されているような痛みだ。視界が白く染まる。かと思えば赤くなり、青くなり、そしてまた白くなる。痛い。痛い。痛い。痛い――!


 気が付くと、目線が低くなっていた。膝が折れて、地面に座り込んでしまっていた。


「ヒロキぃっ!」


 強がりも何もない、年相応の女の子の、甲高い叫びが俺の耳に届いた。痛い。痛い、痛い……!


 意識が、ふらりと遠のきかけた。上半身が揺らいで、後ろに倒れようとして――


「来るな、朱音……っ!!」


 なんとか残っていた力の全てを駆使して、それに耐えた。


「ありゃ。まだ生きてんのか」岩垣のぼやきが聞こえた。「だーめだなぁ。ちゃんと狙わないと。心臓打ち抜けなかったか」


 しかし、逆に言えば俺はもう、ただ生きているだけの存在だ。もう、俺の体には何一つ残っちゃいない。振り絞る力も、身を守る術も、何もない。


 だけど――まだ、心だけは残っている。朱音を護らなければ、という強い意志だけが、胸の内にある。


「岩垣、を、見ろ……っ!!」


「……っっ!」すんでのところで、朱音は俺の言いたいことに気付いたらしい。朱音は、地面に落ちた盾を左手で拾い、体の前に構えた。


 そして――岩垣が彼女に銃を向け直したのは、それとほぼ同時だった。


「……チッ。そう上手くはいかねぇか」


 岩垣が舌打ちする。朱音は、盾を構えつつ後ずさった。


「今度はお嬢ちゃんが盾持ちか。あの兄ちゃんは後で殺すにしても……こうなると、面倒なんだよなぁ」

「よくも、ヒロキを……っ!」


 岩垣は苦笑しながら頭を掻く。


「いや、よくもって、お前さ。盾放り投げて、無防備になったら、そりゃ撃つだろ。だって、敵なんだぜ? しかも、いいとこ邪魔されたんだぜ?」


「うるさい、うるさい、うるさい……!」朱音の顔が、倒れる俺を見た。「ヒロキ、待ってろ……! この野郎をぶっ殺して……っ! 今すぐ助けてやるからっ!」


 その声は泣きそうだった。表情がぐしゃぐしゃに歪んでいた。今にも、体から力が抜けてしまいそうに見えた。


――でも、違う。違うんだよ、朱音。


 俺が言いたかったのは、そういうことじゃないんだ。


「あか……ね」


 声がうまく出せない。先ほど、声を張り上げたことで、かなり残りの体力を消耗したらしい。痛い。体が熱い。体の感覚がない。手足がどろどろに溶けてしまったみたいに、力が入らない。


 それでも――まだだ。


 俺は、朱音を守らなくちゃいけない。この体が死んだって、構うもんか。今の俺が喋れる言葉は残り少ないだろう。


――俺はいいんだ。落ち着け。冷静になれ。


 そう朱音に伝えたかった。どうすれば、彼女にそれを伝えられる? 俺は、少しだけ考え――そして、脳裏に浮かんだのは、慈しむような、朱音の笑顔だった。


「おもい……だ、せ……」


 口の奥から、ドロドロした液体が上がってくる。不快感に耐えきれずに吐き出すと、それは血だった。だが俺は、赤い血の海に溺れそうになりながらも、言った。


「えいすけ、さんの……ことを」


 なんとか、そう言い切ることができた。


「とう、さん……?」朱音が、ぽつりと呟いた。


「んだぁ? 英介? 天国のパパに祈れってことか?」


 岩垣が、銃口を盾に向けたまま、挑発するように言い放った。


「父さん……」朱音がもう一度、呟いた。


――ああ、そうだ、朱音。


 英介さん――お前の父さんのことを、思い出せ。


――朱音、お前は俺の娘だ。どんな境遇になっても、戦い続ける根性と頑固さが、お前の中にもきっとある。


 彼の言う通りだ。俺も、朱音を信じているよ。


 だから――俺のことなんて気にするな。ただ、目の前の敵を見ろ。戦い続けろ。愚直に。正直に。誠実に。


 そこに、きっと、勝機はあるんだ。朱音――


 朱音は、俯いて言った。「うん。わかったよ。父さん」手に持った盾を、大きく上に振り上げて――


「アタシ、やってみる」


 振り上げた盾を、思いっきり振り下ろした。強かに叩きつけられた盾は、土を抉り、地面に深々と突き立った。それは、朱音を守る壁のようにも見えた。


「父さんのくれた全てが――きっと、アタシの力になってるんだ……だから、アタシは、それを、信じる」


 朱音は、盾の中で身を屈めた。小柄な彼女は――盾の中に、すっぽりと納まっていた。


「なんだぁ? なに考えてやがる」岩垣は、銃口を少しもブレさせず、盾を睨み付けている。


 朱音は槍を握り、盾の中でじっと体を縮みこませていた。岩垣は、朱音が盾から少しでも体を出せば、銃撃するつもりだろう。かといって、無理やり盾を乗り越えようとすると、槍の強烈な一撃が飛んでくる。


 朱音は朱音で、彼女から仕掛けることはできない。身を晒した瞬間、銃弾が飛んでくるからだ。左手に盾を持ちながら、距離を詰めることは可能かもしれないが――ナイフならともかく、全力で槍を繰り出すには、盾はあまりにも大きすぎる。無理な体勢で刺突を繰り出せば、得物を奪われてしまうかもしれない。そうなればお終いだ。


「埒が明かねえよ。しょーがねぇな、こっちから行くか」


 こう着状態に耐えきれなかったのは、岩垣だった。


 ゆっくりと、岩垣が銃口を向けたまま、朱音に歩み寄る。地面に突き立てた盾を、奪おうとしているのだろう。その一歩一歩に、重みがあった。これで終わらせる、という決意と戦意が岩垣の全身から滲み出ていた。


 蹴るか殴るかして、盾の壁を引きはがしてしまえば、その瞬間に朱音は終わる。たった四メートルほどの距離は、瞬く間に一足一刀の距離へ。朱音はまだ動かない。


「……秋月のおっさん」


 盾の中。母の胎内で眠る赤子のように、朱音は体を丸めて。


「やっぱ、この機能、役に立ったな」


 そう小さく呟いた後、ひときわ大きく息を吸い込んだ。


「アークシータ起動――〝プロジェクション〟!」


 直後、アークシータが眩い光を放つ。それは、粘ついた闇を引き裂くような、眩い輝き。慈愛を込めて周囲を照らす、静謐な白だった。


「なんだッ!? クソ、妙なことしやがって!」


 岩垣のわずかに焦った声。彼は、光を視認するや否や、盾へ向けて突進した。今すぐ、朱音を盾から引き剥がすつもりなのだろう。その隙を縫うようにして――


「やあっ!」盾の右側から、朱音が飛び出た。地面をしかと踏みしめ、槍を中段に構えている。


「はっ、分かるっての、それくらい!」


 だが、岩垣は鼻を鳴らしながら、銃の引き金を引いた。銃声。ひたすらに激烈で、苛烈なマズルフラッシュが、優しい白を塗りつぶす。


「〝プロジェクション〟ってこたぁ――要は、投影だろーが!」


 岩垣が撃ったのは――盾の左側。朱音が飛び出してきた、反対側だ。彼の言葉を裏付けるかのように――右側から飛び出した朱音の姿が、不自然に揺らいだ――それは、槍によって地面に映写された朱音の幻影。


 彼女は丸ごと夢幻だったかのように、かき消えてゆく。岩垣は、盾の左側へ銃を撃ち続けた。一発。二発。三発。そこに朱音が立っていると予想して。今度こそ止めを刺さんとばかりに。苛烈な銃撃により、辺りに白煙が立ち込める。


「……ぁ?」白煙の向こう――盾の左側から、朱音は現れなかった。


 プロジェクションは、基本的には、一回の戦闘で一度しか使えない。種が割れてしまっては、敵を騙すことなどできないのだから。盾の右から偽物を投影して、左から本物が飛び出て槍を繰り出す――それが本来、朱音が取るべき作戦だったはず。だが、そこに朱音の姿はなく――


「……なんだと?」


 困惑気味にそう言う岩垣は、まだ気づいていない。ふたりから遠く離れた俺だけが、彼女の姿を捉えていた――プロジェクションを起動したのと同時に地面を蹴り、盾の持ち手を蹴り、地面に深々と突き立った盾の縁を足場にして、天高く飛翔した、朱音の姿を。


「父さんはさ、いつだって、アタシを、高いとこに連れてってくれたんだ」


 そんな朱音の独白が、聞こえたような気がした。


「――はっ」岩垣は上空を見上げた。既に銃を何発も撃ち続け、全てが終わってしまった後に、ようやく宙を舞う朱音の姿に気付いたのだ。


「はぁぁぁぁぁあああ――ッ!」


 朱音は、空中で槍を大上段に振り上げる。アークシータの球体が輝き続け、まるで後光のように彼女を包んだ。


「クソ。なんだよ、それ」溢れるような優しい光の中。岩垣はそう言い捨てた後、笑った。負け惜しみのように。祝福するかのように。


「カッコいいじゃねぇか……」


 振り下ろされた槍の穂先が、深々と――岩垣の胸を、切り裂いた。


 朱音が地面に降り立つ。アークシータの光が収束し、しばらく辺りを静寂だけが満たした。


 やがて――一分か、二分か。はたまた、わずか数秒ほどのことだったかもしれないが。少しの間が空いたあと――岩垣の右手から、拳銃が落ちた。体がぐらりと傾いで、最後には、大きな音をたてて、彼は仰向けに倒れた。


「……」


 生きているのだろうか。分からない。まるで、糸の切れた人形のような、力の抜け方だった。だが、少なくとも、意識は失っただろう。


「ヒロキ!」朱音が、俺のもとへと駆け寄ってきた。「大丈夫か、ヒロキ!」


「ああ……なん、とか」俺はそう言って笑ってみせた。だが、少し体を動かすたびに、激痛が走った。血はいまだに流れ続けている。


「無茶しやがって、このバカ……!」彼女は自らの服を破いて、俺の傷口を強く縛った。触れられる度に痛みが引き起こされて、思わず息が漏れる。知ったことかと言わんばかりに、朱音は入念に包帯代わりの布を片結びした。


「……多分、急所は外れてる。あとは、血さえ止まれば、何とか……!」


 あの激闘の中、隙を突いての銃撃だったからだろう。岩垣の銃弾は、かろうじて、致命傷には至らなかったようだ。ただ単に、運が良かった、としか言いようがない。


「秋月、さんは……」

「……分からない。後で、アタシが様子を見てくる」


 秋月さん。最後まで、残りのエージェントが俺たちに向かってこなかった辺り、うまく対処はできたのだろうが――生きているだろうか。うまく逃げられただろうか。そうであって欲しい。


「……ばかやろう。ほんっとに、馬鹿だ。ばかやろう……」


 朱音は、布を結び終えると、ぽつりと呟いた。その声には、確かな怒りが込められていたが、ところどころ掠れていて、聞き取りづらかった。俺の胸元、心臓の辺りに、朱音はそっと右手を置いた。不思議なくらいに、その手が温かく感じた。


「離れてろって、言ったのに……盾、捨てやがって……」


 俺は、去勢を張るように笑ってみせた。


「へへ……でも、勝てた」

「ふざけんな……そういうことじゃない。違うんだよ、ヒロキ」


 朱音の顔から、ぽたぽたと雫がこぼれて、俺の服に滴った。それが涙なのか、汗なのか、よく分からなかった。


「……もう、大切な奴を、失いたくなんて、ないんだ……」


 視界がぼやけてくる。ああ。畜生。手に、もう力が入らない。朱音を抱き寄せて、頭を撫でてやりたかった。せめて、体温を分けてやりたかった。だから代わりに、朦朧とする意識の中、口だけは動かした。


「……わるかった」


 朱音は黙ったまま、俺の次の言葉を待っている様子だ。


「でも……大丈夫だ。もう、だいじょうぶ」


 朱音は、一瞬、息を飲むように言葉を失ったあと。


「……ばかやろう」とだけ言った。言葉とは裏腹に、声音は怒っている感じでは無かった。そして、霞む視界の中で――朱音が、小さく笑ったように見えた。


「ばかやろうだ。ほんとうに」


――彼女は、そっと。俺の胸元に、頭をくっつけた。


「……これで、ようやく前に進めそうだよ。父さん」


 朱音の呟きは、耳が痛くなるほどの静寂の中に溶けて、消えていった。


 空を見ると、太陽が登ろうとしていた。世界を覆っていた闇を晴らすように、清浄な光が満ち満ちていく。朱音は俺から少し離れた場所で、MRDで話していた。おそらく、救急を呼んでいるのだろう。


 これで、全て終わったのだろうか。分からない。


 秋月さん。エマ。あの人たちは、朱音にとって、きっと必要な人だ。


 俺も、朱音の悲しんだ顔は、もう二度と見たくない。


――だから、頼む。生きていてくれ。


 俺はただ、それだけを願いながら、意識を手放した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。